王さまと九人のきょうだい

中国の古い民話だそうです。

幼いころ、シナの五人兄弟、とう絵本が家にあって、王様の仕打ちがかなり過激でびっくりしながらを読んでいたのですが、少し似たものを感じました。

昨日の令和哲学カフェでも、王様は、領民たちの生殺与奪権を握っていた、という話がでていましたが、まさにそんな時代のお話ですね。

絵は、赤羽末吉さん。

この方の絵は、色合いや構図が、とても素敵です。

もう何年も前ですが、原画展を見に行ったとき、赤羽さんの1枚1枚の絵がとても繊細な色使いで、でも、とても迫力があったことを覚えています。

今回私が注目したのは、全体のストーリーというより、冒頭のおじいさんとおばあさん。

なぜか、昔話にでてくる、子どもが欲しいという夫婦は、いつもおじいさんおばあさん。

確か、ももたろうや、かぐやひめにでてくるのも、おじいさんとおばあさんでしたね。

こんなに年をとっても、「子どもが欲しい」と切実に願っているというのが、とても不思議に感じました。

昔は、人生50年と言われていたからでしょうか。

子どもを産む適齢期、といった年齢が過ぎると、今とは違って、もうおじいさん、おばあさんに分類されるのが当たり前、だったのかもしれませんね。

この話のおばあさんは、いきなり9人子供ができてしまっって、それはそれは、出産が恐ろしく大変だっただろうなと、なんだかそこが心配になってしまいました(笑)

とりとめのないレビューになりましたが、今日はこの辺で。



王さまと九人のきょうだい

訳: 君島 久子
絵: 赤羽 末吉
出版社: 岩波書店

最高のやり方、最悪のやり方。

illuminated tower

昨日と一昨日の令和哲学カフェ。

東京オリンピックの是非、そして、「やるならどうやるか?」その最高のやり方と最悪のやり方について、激論が展開されました。

この2日間、視聴してみて、感じたことは大きく2点あります。

一つ目は、議論するときの姿勢態度が美しいということ。

二つ目は、令和哲学者NohJesu氏の診断が、今の日本の実状を客観的かつ総合的にとらえた、非常に納得できるものである、ということ。

議論する姿勢態度の美しさ

6/23は、東京オリンピック開催は、危機かチャンスか、というテーマで、前半は危機を主張する側と、チャンスを主張する側の二手に分かれて討論がすすみました。

開催した場合のリスク、そして開催しない場合はどうなるのか、そのどちらの意見も、確かにその通り!と共感するしかなく、これまで言語化できなかったいろいろなモヤモヤを代弁してくれているかのような討論内容でした。

聴いていて、とても心地よかったのは、議論の展開が、相手の意見を受け入れた上で、さらにその足りない部分を突いていく、というかなり建設的な展開だった点です。

激論、と言えば、「朝まで生テレビ」の様に、深夜に熱くなって最後は取っ組み合いのケンカになって終わる(笑)、そんなイメージもあるかもしれません。それはそれで、エンターテインメント性もあって面白いかもしれませんが、ただ感情的に「こっちの方が正しんだ!!」と最後は吠えて終わり、というのでは、結局、主張の広がりや、融合への道は、見えてこないままじゃないかと感じます。

今回の討論は、相手の意見を受け入れた上で、更に深いポイントから主張を展開していく、という流れだったので、概念がどんどん深く掘り下げられて行くような感覚を覚えました。深く掘り下げるからこそ、そもそもオリンピックとは、どんな意図で始まったのか等、現在のオリンピックの在り方そのものに迫るような主張も自然と出てきたり。

まさにアスリートたちが切磋琢磨しながらお互いに世界最高記録を目指して高めあっているような、最高の解決策を、真向議論の中から生み出そうとしているような、そんな雰囲気。

日頃から、哲学を深めている出演者の皆さんの主張・討論は、品格があり、美しさも感じました。揚げ足をとるような、失言やお金のこと等、本当の問題に迫らず勢力争いだけを主軸としたワンパターンな攻撃し合いばかりが目立つ今の政治家、与野党のやりとりとの大きな格差を感じ、政治家の皆さんにはぜひ、この討論のスタイルを学んでほしい、と心底感じました。


令和哲学者NohJesu氏の診断

二点目についてです。

6/23は、二手に分かれた前半の議論の後で、NohJesu氏から、その議論を踏まえた診断が提示されました。

既にやるかやらないか、ではなく、開催は決定している。だから、やるならどうやるか?に基準点を素早く移動するべき。

たしかに。と思いました。

TVやニュースでは、開催に傾いた報道が多くなってはいるものの、全体としては開催を危惧する報道内容がまだまだ多い現状です。

NohJesu氏によると、開催が決定的になったのは、G7のタイミングだったとのこと。

菅首相が開催の意志を示し各国が支持。このことは、6/11~13のG7コーンウォール・サミットの成果文書にも記載されています。

新型コロナウイルスに打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催することに対する我々の支持を改めて表明する。

引用:2021 G7コーンウォール・サミット|外務省 成果文書 



昨日、6/24は、「オリンピック、やるならどうやるか?その最高のやり方、最悪のやり方」というテーマで、続きのディスカッションが行われましたが、NohJesu氏による

一国のリーダーが決断したことを、全力で応援することが与党の、そして国会議員のやる仕事ではないか。

このコメントにも非常に納得しました。

やると決まったら、最善を尽くす。80%が開催を危惧して反対する状態のままでは、最善を尽くすどころではありません。リーダーが選択したことを応援し、危機をチャンスに転換する意志を持って取り組むこと。リーダーを孤独にさせないことはかなり重要なことです。

そして、最善を尽くすには、感染対策を十分にすること。マスクだけではなく、消毒用アルコールを一人一人が常に携帯して、触ったところ&手指の消毒を欠かさない習慣をつける事。

これは、ウィルスの性質を仕組みから理解した上での対応策の発信ですので、国民一人一人が取り組む必要がある、かなり重要な現実的施策です。

ウィルスとの戦争、これを第三次世界大戦ととらえて、人間がウィルスに負けずに、尊厳をもって新しい時代を切り開けた、東京オリンピックがそんな象徴になれたら日本人として最高です。

逆に、東京オリンピックによって変異株が発生し、それが今までで最悪のウィルスとして世界中に蔓延したなら、それこそ日本は世界の信頼を失い、2021東京は、最悪のオリンピックとして歴史に名を遺すでしょう。

昨日の宮内庁長官のコメントも、天皇陛下がオリンピック開催を危惧しているといったイメージを受けとりがちですが、大事なのは、「開催するからには感染対策をしっかしして臨むように」というメッセージと、そこに答えようとする関係者の姿勢がしっかりと見られることだと思います。

「天皇陛下 五輪開催で感染拡大 ご心配と拝察」 宮内庁長官

引用:NHKニュースhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20210624/k10013101951000.html



やるならどうやるか?日本人の一人として、最高のやり方となるように、今回、令和哲学カフェを令和哲学カフェを視聴して感じたことを発信していきたいと感じました。

思えば、東日本大震災のときにも、NohJesu氏はいち早く、日本の人たちの不安を鎮めるためにメッセージを発信しました。今回も、オリンピック開催について、誰よりもどこよりも早く、日本の可能性を信じて、基準点の移動の必要性をはっきりと示し、不安を払しょくして開催に向けて集中する道を示してくれています。

これには、ひとりの日本人として、やはり感謝しかありません・・・。

この二日間の内容は、アーカイブ視聴もできますので、よかったら以下、是非ご覧ください。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました!


【特別企画①】東京五輪は危機かチャンスか徹底討論!_令和哲学カフェ



【特別企画②】東京五輪の最悪のやり方 最高のやり方を徹底討論!_令和哲学カフェ




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◆NohJesuリテラシーマガジン

オリンピック、やると決めたならば・・・

city dawn dusk night

オリンピックの開催、圧倒的に反対意見が多いと報道される中、開催が決まりましたね。

しかも、無観客ではなく、1万人を上限に観客を入れて開催するとの判断。

テレビ報道も、開催を盛り上げる雰囲気に、ここ数日で変わってきた気がします。

来月の今日は、いよいよ開会式。

ワクチン接種のスピードも、諸外国と比べてかなり遅い日本ですが、この状況をみなさんはどう思われますか?

今から1カ月前、私もオリンピックについては、こんな記事を書きました。

そこから1カ月たって、いよいよ本格的に開催が決定したわけですが、まだまだ賛否両論あって、複雑な感情や、さまざまな意見をお持ちの方、多いんじゃないかと思います。

でも、やる、と決まった今ここですごく大事なのは、

開催後の展望があるのかどうか

ということじゃないかと思いました。

開催後の未来に、希望のイメージがないまま開催しても、終わった後に残るのは、祭りの後の空虚感と、更にます、経済や体や心の健康への出口のみえない不安感、そんな風に感じます。

日本がどんな姿勢でオリンピックを開催して、その後の未来、世界の展望をどうメッセージできるのか。

令和哲学カフェでは、日本から新しくはじまる産業を「英雄産業」として打ち出していますが、

今夜はそのスペシャルバージョンが配信されるそうです。

オリンピック後の日本、その希望のイメージとは?

今夜が楽しみです。


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◆本日の令和哲学カフェ特別企画の詳細はコチラ

相手の話を聞く時に、知っておくべきたった2つのこととは?

今日は、令和哲学者NohJesu氏の語録の中から、珠玉のひとつをご紹介したいと思います。

それは、「相手の話を聞く時に、知っておくべきたった2つのこと」。

これを聴いた時には、「なるほどー!!」と目から鱗で、その後のコミュニケーションが、非常にシンプルになりました。

この話をする大前提として、先日このブログにも書きましたが、自分自身のコップは空にした状態で話を聞く、その姿勢態度がまず必要です。

それについては、こちらの記事をご覧ください。

今日のお話は、自分自身のコップは空にした状態、つまり、オールゼロ化した状態で話を聞くことが出来ている、という前提での、続きのお話になります。

人の考え感情は、一人一人全く違いますし、10人いれば10人全員バラバラ、多種多様です。

ときには、考えや感情が複雑に絡み合っている場合もあります。

もちろん、じっくり時間をかけて聞けば、相手の中でどんなアルゴリズムで考え感情が生まれているのかは、よく分かりますが、時には、表現スタイルが独特すぎて、なかなかわかりにくい場合もあります。

ですが、すべての存在の成り立つ仕組み、絶対世界と相対世界の関係性を明らかにして、相対世界の現象すべてをシンプルに解析する令和哲学者NohJesu氏が発明したNR Thinking Methodに基づいて整理すると、

実は、相手の話は、以下の2つに集約されるとのこと。

それは、

「〇〇」と「△△」。

この、〇〇、△△には、何が入ると思いますか?

私も初めて聞いた時は、「ん?ほんとに??」と衝撃でしたが、仕組みから見ると確かにその通り。

人は、このたった2つのことを表現するために、様々な言葉を使い、感情や考えを展開して、なんとか伝えようと頑張ります。

でも、本当は、こんなにシンプルだったのですね。

みなさんも、この2つ、ぜひ考えてみて下さい。

種明かしは、明日!お楽しみに!

今日も読んで頂いてありがとうございました。


令和哲学者NohJesu氏が毎晩出演する、令和哲学カフェはこちらです。


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誰もが実はヒーロー(英雄)だった!?

今日は、誰もが実はヒーロー(英雄)だった!?というテーマで書いてみたいと思います。

突然ですが、ふと思い出しました。

昔、「あんたが大将!」という歌がありました。

お!もしや「誰もがヒーローだよ!」と既に歌っている歌だったのか?

と思って調べてみたら、全然違ってました(汗)

どちらかと言えば、

”人生そんなに簡単に上手く行かないけれど、今宵だけは「あんたが大将!」と持ち上げて、いい気持にさせてやるよ!”といった内容・・・

40年以上前の海援隊の歌でした。でも、このころの武田鉄矢さん、若くてかなり反骨精神がある目をしていますね。

はい。雑談でした。

でも、誰もがヒーローになれる、あなたもヒーローなんだ、といわれても、
「何を持ち上げようとしてるんだか」
「おだてたって何もでないよ」
「単なる理想論でしょ?」
そんなふうに思いやすいですよね。

誰もが実はヒーロー(英雄)、なぜこれを書こうと思ったか、といえば、今、時代的にも、どんどん人間の存在意義が小さくなってしまっているからです。

昔は、尊敬される人、憧れの人、そんな分かりやすいモデルとなる人物がいました。大統領、政治家、先生、銀幕のスター、歌手、等々。

でも、時代は進み、価値観が多様化して、インターネットの普及やSNSの広がりによって、更に価値観はどんどんバラバラになり、どんな人物像を目指せば、多くの人にとって貢献でき、模範となるような生き方ができるのか、様々な情報に触れれば触れるほど、判断がつかなくなり、皆目分からなくなってしまったのが、今の時代です。

更に、AIの台頭により、人間の仕事は奪われ、多くの人は、ベーシックインカム、つまり配られたお金で静かに暮す、いわゆる「無用者階級」が量産される社会が、それほど遠くない未来に来る、と予想されています。

誰もが、自分とは何なのか?何のために生まれたのか?どこに向かって、何を目指して生きたらよいのか?そんな本質的な問いに答を持たない限り、「無用者」となってまで、何のために生き続けないとならないのか分からない、人間として、なんとも生きにくい世の中になるでしょう。

そんな時代だからこそ、自分のことをまず自分自身が、とても尊く、そして勇気をもって非凡なことを成し遂げる存在、つまりヒーローだと認識できることは、かなり重要ではないでしょうか。


では、どうしたら、「自分がヒーローだ」と思えるのでしょうか?

結論から先にいうと、だれもがヒーローであることを気づかせる、その役割をするのが令和哲学です。

哲学は、認識主体を啓発するもの。

今、あなたが見ている、聞いている、この現実画面は、認識の結果物、つまり認識対象です。

あなたの身体も実は、認識主体ではなく、認識対象になるのです。

これは、カントが既に18世紀に「純粋理性批判」で語っている内容です。

認識主体を啓発していった先には、カントでいえば「物自体」があり、そこに、「誰もが実はヒーロー」と言い切れる鍵があります。


令和哲学カフェでは、ヒーローたちが生み出す新産業、「英雄産業」についても語っています。多くのヒーローが、新しい概念を生み出し、新しい産業を興していく、そんな未来が語られています。

興味のある方は、ぜひご覧ください。

今日も読んで頂いて、ありがとうございました。


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むれ

なんだ?むれ?

タイトルが面白くて、読んでみました。

というより、見てみました(笑)

みんなで楽しめる、そんな絵本です。

nTechでは、「脳のクセ」について学びますが、その一つに

違いをとる

というものがあります。

その脳のクセを活用して、ひとつを見つけ出す、その楽しさがありますね。

この脳のクセ、そんな楽しみもありますが、そのクセが、分離や差別を生む、という側面もあります。

違いに対して、どんな意味付け価値づけをするのか。

脳の機能的な限界を知って、脳機能の外にでて、正しく認識する、Thinking Method、大事ですね。

正しく認識すれば、違いはとても貴重で、ただただ美しいことがよく見えてきます。

そして、違いを違いで終わらせず、深く共有・共感したり、融合して更に美しく再創造することも可能になります。

絵本をより深く、広く、楽しむ。

沢山の人と一緒に、そんな時間を過ごしたいものです。


作者は吉本興業の芸人さんだそうですね。

みんなで楽しめる絵本が生まれる理由が分かった気がしました。


むれ

作: ひろた あきら
出版社: KADOKAWA

情報の洪水の中で、何を選べばよいのか?

anonymous person with binoculars looking through stacked books

インターネットで世界が繋がって、SNSを使うのが当たり前になった昨今、ネット上には様々な情報があふれかえっています。

例えば、新型コロナウィルスのワクチン接種に関しても、ネット上には賛成反対、いろいろな情報が出てきます。

ニュースで報道されることが、必ずしも正しいわけではない、と知ってしまっている現代に生きる私たちは、玉石混合、さまざまな情報の洪水の真っ只中にいます。

そして、最終的な判断は一人一人にゆだねられている、そんな現在地ですよね。

いったい、何を基準に判断したらよいんだろう?

できれば、正しい判断をしたい。でも正しいって何だろう?

そんな風に思う場面も、多いのではないでしょうか。

「この人の言うことを聴いておけば間違いない!」

という人がいればよいのですが、そんな人を見つけること自体も難しいし、変化の速い時代です。その人の言うことがいつも正しいとは限らない、とうっすらわかってしまうのも、この時代の特徴だと思います。

ではどうしたらよいのでしょうか?



そんな時は、まず自分の中で、今ここ何を優先するかが明確になっていることが大事です。

優先順位が明確になるには、今まで、自分自身が何を優先して生きてきたのかをちゃんと知ること。

そして、自分自身だけではなく、人間が、今までどのような仕組みで優先順位を決めてきたのか、

その仕組みを理解すること。

そして、理解が出来たら、一旦、その仕組みの外に完全に出て、まずは、まっさらな土台に立ってみること。

そこから、自分の意志で、新しく優先順位を決めること。これもまた、仕組みに沿って。


この順番で、新しい基準を創れたなら、

シンプルに、今ここ、どんな情報を選択すればよいか、その優先順位や、

そして様々な情報をどう扱い、解析すればよいかが見えてきます。

仕組みに沿って理解することで、誰かの言っていることを盲目的に信じたり、依存したりせずに、自ら意思決定することができるようになります。

優先順位の決め方については、令和哲学チャンネルにヒントになる動画があったので紹介しますね。

人間共通の仕組みをしるコンテンツはnOUで、ご自身の優先順位を決めている判断基準・無意識に働くエンジンを知りたい方はそらまめにご相談下さい。



◆令和哲学チャンネル|令和哲学で解決!「自分のことを優先できない…」


◆気軽にnTechの基礎を学ぶなら|nOU(nTech Online Univ. )



◆令和哲学・nTechをベースにしたそらまめのセッションはコチラ

もっと自由に生きたい、と思ってはいけないのか?

もっと自由に生きたい。

もっと自由に羽ばたきたい。

今いるところが、とても窮屈に感じてしまう。

そんなことってありませんか?

以前の私は、

・実家を離れる高校時代まで
・バイトして好きなことして、やりたい!と思いつくことはほぼ一通りやったバブル真っ盛りの大学時代
・順調に就職して経済的にも自由、毎年海外旅行に行くのがお約束の会社員時代

といった、人生のどんなシーンでも、「もっと自由に生きたい」そう感じていました。

客観的に見て、どんなに自由を謳歌していたとしても、いつも何かに縛られている感覚。


自分を縛っているもの。それが、「自分自身」だと気付いたのは、20才のとき、憧れの国、アメリカに1.5カ月のホームステイにいった帰りの飛行機の中でした。

なぜ、その時、それに気付いたかというと、当時の私は、「自由の国アメリカ」にものすごく憧れを持っていて

「この閉塞感、閉塞的な気分は、アメリカに行けば解消されるに違いない!だって、アメリカは自由の国なんだから!」

と、かなり本気で思っていたのです。

でも、実際行ってみると、そこで感じたのは

「ん?なんか思ってたのと違うぞ?」

という違和感でした。

もちろん、さばさばしていて、細かいことは気にしない、言いたいことはハッキリ言い合う、といった、いつも堂々としてあっけらかんとした感じに、日本との違いは感じました。でも、私にとっては、それが「自由であること」とは直結しませんでした。

逆に、アメリカに行って、短期間ですがアメリカ人と一緒に生活したことで、日本人としての「感覚の違い」(例えば、言わずに察する、まず相手に気を配る、等)を明確に実感して、しかもそちらの方が心地よいとまで感じて、「あ、私は日本人なんだ」と初めて自覚したのです。

ちょっと思い出話が長くなりました(笑)

はじめに戻って・・・


もっと自由に生きたい!と思うこと。

それは、全く悪いことではありません。

逆に、自由に生きたい!と思い、20才で、環境を変えれば自由になれるわけじゃない、自由にさせていないのは、自分自身だと気が付き、自分の変化が必要だ、と悟った私も、

その自分自身から本当に自由になれるメソッドと出会えたのは、それから10年以上後のことでした。

その10年以上の日々は、今思うと、絶望の連続でした・・・(汗)

でも、そのひとつひとつの絶望は、本当の絶望ではなく、ある意味、究極の絶望(=究極の問題一点)の副産物だったんだ、とうことが今ではよくわかります。

その、本当の絶望に出会えて初めて、

長年追い求めていた、「自由」と出会うことが出来ました。

自由を追い求めたからこその出会い。諦めない限り、必ず出会うことができます。

今日も読んで頂いてありがとうございました。

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令和哲学は思惟で到達するもの。

「思惟」とは、辞書で引いてみると

1 考えること。思考。「思惟の方法」「心中思惟」

2 哲学で、感覚・知覚と異なる知的精神作用。

デジタル大辞泉より


とあります。

令和哲学カフェを見ていて、そして、令和哲学者NohJesu氏のコメントを聞いて、安心・納得・共感するのが、令和哲学は、「体感ではなく、思惟で到達するもの」という点です。

そもそも、哲学とはそういうものなのかもしれませんが・・・。

いわゆる、仏教など、悟りを開く等と言われますが、そこでは「体感」を重視するコメントが多く聞かれます。

体感は、ひとりひとりの主観に基づくものですから、否定はしませんが、どうしても「共有することが非常に難しい」という難点があると思います。

いわゆるスピリチュアルで、何か特別なものが見えたり、コメントする側の人に対して、盲目的に信じてしまって依存が生れたり、逆に怪しげにみえてしまったり、そういったことも、

本人にしか分からない体感に基づくものなので、共有が難しい、他の人が再現するのが難しい、根拠を語りにくい、という点にあるんじゃないかと思います。

その反面、思惟で到達できる、つまり、考えて考えて、疑って疑って、それでも、なるほど、と納得せざるを得ない論理展開をたどって出た結論であれば、必ず、みんなが到達できて、共有できるものだと、安心できます。

脳は因果論が得意ですから(○○だったら××、という思考展開)、因果論をたどってたどって、そして到達した結論で、脳の全ての因果論を、静かにする作用があるとしたら、どうでしょう。

これは、なるほど!となった人には分かりますが、自らの思惟の力で到達できる、びっくりするような境地です。

自らの考えによって、自らの考えを統制できる、考えの外まで行くことができる。

それを案内してくれたのが、私にとっては、令和哲学であり、令和哲学者NohJesu氏でした。

だれもが到達できる論理展開ですから、誰でも考えの外に行けますよ、と令和哲学について聞かれたときにはお話しています。

ただ、その前に、大事なことがあります。

考えの外まで到達するためには、まず、絶望と出会うことが必要だということです。

それは、例えば

・会社を解雇された
・大切な人を亡くした
・信頼していた人に裏切られた
・全財産を失くしてしまった・・・

というような体験・経験による絶望ではありません。そこではない、本当はなにが一番の絶望なのか、絶望を正しくイメージできること。そこからすべてが始まります。

日本がかつて、欧米との戦いに敗れ、いわゆる覇権戦争に負けた絶望も、体験・経験による絶望ですが、実は、正しい絶望に出会えば、体験・経験による絶望は、すべて消えていきます。

すべての絶望が消えて残る1点、それが、正しい絶望であり、

正しい絶望から、次の希望がスタートします。

今日も、読んで頂いてありがとうございました。




◆令和哲学カフェ|平日毎晩無料開催中!

いのり

オルガンの音楽がついた絵本を紹介します。

いまここにすべてがある。

すでにすべては、完全であり足りている。

聖書のような、讃美歌のような、

コロナ禍、今の時代の人間活動のすべてをストップしなさいというような

ウィルスを使った地球からのメッセージともリンクする気がしました。


ストップしたら、何を次、スタートさせたらよいのか。


脳から心へ。

今までを、とにかく脳を中心に突き進む男性性文明というならば、

今からは、心。今までのすべてを受け入れ、溶かして自然も科学も人間も誰も取り残さずに再創造する真の女性性の文明に。

人間は、今まで、本当の女性性は一度もつかっていない。

だからこそ、そこに希望が見いだせます。

絵本「いのり」(絵・詩 まつむらまさこ/作曲・オルガン 平澤真希)こどものせかい至光社



作曲と、オルガンを弾いているのは、中学・高校で同学年だった、平澤真希さん。

ヨーロッパで活躍の後、今、日本で作曲や、ネイチャーピアノ、という、自然の中で音を奏でる演奏会もしています。

自然や全てからメッセージを受け取ってピアノを道具に音を奏でる、とても、心に響いてくる音楽です。

真希さんの活動はコチラから。

絵本と音楽のコラボレーション、素敵ですね。