人と人が深くつながるためのプラットフォームSNS3.0とは?

SNSが当たり前の世の中になって、離れていても知人友人の近況を簡単に知ることができるようになりました。

そして、気軽に「イイネ」と返すことができます。

ですが、今のSNSは、近況を知ったり、新しく「つながる」きっかけはつくれても、心と心は、どれだけ深く繋がれる実感がもてるでしょうか?

ビジョンや夢でつながる、そして、そのつながりが、フラットでかつ安定的に継続できる、そんなつながりは、今のSNSからは、なかなか生まれにくいのではないかと思います。

そこに、課題を感じて、新しいバージョンのSNSを立ちあげようとしているのが「SNS3.0構想」というプロジェクト。

ミクシー等、匿名でつながるSNSが、1.0バージョンだったとすると、

フェイスブックはSNS2.0バージョン、

そのフェイスブック機能を底上げする、ビジョンとビジョンで今まで以上に深くつながり、シナジー効果を目指すプラットフォームがSNS3.0バージョン。

令和元年10月13日の東京を皮切りに、11月30日に福岡でも、その発表がありました。

次は、来年3月7日に、大阪でイベントが開催されます。


興味のある方は、ぜひ、参加してみませんか?

↓ ↓ ↓

https://t.livepocket.jp/e/200307osaka




SNS3.0について、もっと詳しく知りたい方は、こちら↓もご覧ください!

https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/09/22
https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/09/22

サピエンス全史からホモデウスまで。無用者階級が拡大する未来とは?

早いもので、今年ももう師走に突入しましたね。

昨年から今年にかけて、話題の書「サピエンス全史」「ホモデウス」みなさんは、もう読まれましたか?

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリさんが書いた本です。

http://www.kawade.co.jp/homo-deus/

そこには、なぜ、さまざまな種類の原始人のなかから、「ホモサピエンス」だけが生き残って、現在のように地球全体に広がったのか、

そして、今から未来、人類はどうなっていくのか、が書かれています。

といっても、実は、まだ私も実際の本は読んでいませんが、

様々なまとめサイトや、解説をみて、衝撃を受けました。

AIが進化する未来、現在の社会構造、広い視点そして時間軸から歴史の流れを紐解いてみると、

こんな未来が予測される。

それは、漠然と予測していたものでもあり、でも、予測よりもさらに明確で深刻なものでもあります。

しかも、歴史的な根拠とともに示されていることで、かなりリアリティをもって伝わってきます。

特に「ホモデウス」には、人類は、神の力をもつ一部の「ホモデウス」以外は、仕事もなく人間として生まれた意味もわからない「無用者階級」になりますよ、と書かれているそうです。

それほど遠くない未来、おそらくあと10年~20年のうちには、そんな未来が当たり前に叫ばれるようになり、しかも実際にそうなっていく可能性は高いと思いました。

そこに対して、著書のハラリさんも、明確な解決策は示せていないようです。

 

人類は、この危機を突破できるのでしょうか。

かつて、地球上の生命体には、絶滅の危機は何度か訪れ、そのたびに突破口を見出して、今まで生物の多様性を発展させてきました。

人類の進化が必要な時代。

その進化が、どこから、どのように起こるのか。

具体的には、何を、どのように変化させたら、ホモサピエンスが進化し、無用者階級の量産を回避できるのでしょうか?

私は、0=∞=1という数式と、それが表す新しい認識方式、そしてその教育が体系化され共有可能になった認識技術(nTech)に、希望の種があるとみています。

 

https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/05/05

引用:Noh Jesu公式ブログ https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/05/05

 

↑こちらには、冒頭の書籍の解説にとどまらず、希望の未来に向かうヒントも書かれています。よかったら、ぜひ、読んでみて下さい。

「42」世界を変えた男。

今、大リーグで、黒人選手が活躍することは、当たり前になっています。

でも、初めての時、それがどのくらい大変なことだったか。

同じように、今、黄色人種が、白人や黒人とともに、国際社会で活躍しています。

もしも、明治維新以降の日本の努力と世界へのチャレンジがなかったとしたら、今はどんな世界になっているでしょうか。

今当たり前に平等に感じる世界も、もともとあった大きな格差を超えるために、最初の一歩をチャレンジした人たちが必ず存在します。

そんな先人たちのことを思うとき、この映画を思い出します。


「42」世界を変えた男。




2013年に書いた映画評ですが、われながら結構いいこと書いてるので(笑)シェアしますね。


https://ameblo.jp/hanausagi2010/entry-11698209830.html?frm=theme

エリートの終焉。「ニューエリート」とは?

台風がいくつか去って、ようやく爽やかな秋晴れの季節になりました。

あっという間に9月も末。気が付けば、今年もあと3か月余りです。

さてさて、今日は、「エリート」について考えてみたいと思います。


今までのエリート通用しない時代になっている・・・

そんな話が、そこここで聞かれるようになりました。


ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち』(ピョートル・フェリクス・グジバチ著、大和書房)の著者は、ポーランドで生まれ、ドイツ、オランダ、アメリカで暮らしたあと、2000年に来日したという人物。
モルガン・スタンレーなどを経て入社したグーグルではアジアパシフィックでのピープルディベロップメントを担当したのち、グローバルでのラーニング・ストラテジーに携わり、人材育成と組織開発、リーダーシップ開発などの分野で活躍。日本在住17年となる現在は、独立して2社を経営しているそうです。


https://www.lifehacker.jp/2018/03/book_to_read_google.html


この本、今、話題だそうですね。

既存のエリートの終焉。

先日、超エリートがそろう某シンクタンクに勤めている女性から、かなりアウトなパワハラ行為目撃したと耳にしました。

それは・・・

『たくさんの社員が聞いている職場で、1時間も部下を罵倒し続ける上司』

バブルの時代には、結構あった話かもしれません。でも、1時間はさすがに長いなあと思います。

おそらく、その超エリート氏は、常々、各方面に対してソツなく完璧かつ冷静に、そのIQの高い頭脳を駆使して対処してきた中で、たまっていた様々なものが、予想外の事態に直面して「怒り」という感情となって、爆発してしまったんじゃないかと・・・

これは、勝手な分析ではありますが、最近、「ハラスメント」に関連したドラマも多く放送されていて、もちろんドラマですから、デフォルメしてあるとは思いますが、それを見て感じることは多くあります。

いわゆるコンプライアンスに関する社内教育も受ける中、「あれもしたらダメ、これもしたらダメ」と思えば思うほど、一体、部下とどうコミュニケーションをとったらいいのか分からなくなってしまう管理職はどんどん増えているんじゃないかと。

そして、自分の中では最善を尽くして部下と接しているつもりでも、どうコミュニケーションをとったらよいか分からないために、その思いを伝える方法もなく、

ある日突然、「辞めます」なんて言われた日には

「どれだけお前のことを考えて今まで接してきたか、分かってるのか―!!」

と、叫びたくなる上司もいるのかもしれません。

部下からしたら、きっと、そんなこと言われてもあまりに唐突すぎて、目が点になり

「いえいえ、まったくわかりません」

としか言えない世界なんですが・・・

とにかく、どんなエリートも、既存のやり方では、部下とのコミュニケーションひとつ、上手く行かない。そんな時代が、今この時代、なんだと思います。

AIが人間を代替する、そんなことが、なんとなくな危機感から、数年であっという間に常識に変わりつつある今、人間そのものの変化が、以前よりも鮮明に求められているように感じます。

以下は、前出の本の紹介ページで書かれている文章です。


著者が訴えたいのは、自分がいま当たり前だと思っている世界は、まったく当たり前ではないということ。変化は突然やってくるもので、それを止めることも避けることもできないのだから、変化を受け入れ、乗りこなし、楽しむ必要があるということです。


https://www.lifehacker.jp/2018/03/book_to_read_google.html


人間にとって、今、必要な変化とは何なのか?

何から、どのように変化を起こしたら、希望の未来を創造できるのか?

私は、そのキーワードが「令和」の2文字に込められていると思います。

それが、どういう意味なのか、知りたい方、そして、

ニューエリートの時代を、一緒に創っていくことを「面白そう!!」と感じる方は、↓おススメです!

↓↓

https://t.livepocket.jp/e/nkc-h

ゴジラが平和の伝道師だったということ。

子ども時代は、「ウルトラマン」のような、ただの怪獣映画だと思っていたので、そんなメッセージが込められていることはしらなかったけれど、

映画「シン・ゴジラ」を見たときは、ゴジラの生い立ちを知って、ラストシーンのゴジラの叫びが、恨みや怒り、絶望や悲しみ、といった全ての感情を含んだ、そして「目を覚ませ!」という、人間に対する強烈なメッセージじゃないかと感じたことを、

この記事を読んで思い出しました。


ソ連兵に撃たれた「ダムダム弾」の痛みは今も――宝田明85歳、戦争体験とゴジラに込めた平和への願い

2019.8.23 Yahoo!ニュースより引用


戦争を実際に体験した方たちの中に、生きているうちにそのことを伝えようと、発信してくださる方が増えていると感じます。

当時は、一人一人が壮絶な体験をして、でも戦後は、占領下での長い検閲の影響(※)もあり、事実やその時の様子を積極的に語ることは、長い間できなかったんじゃないでしょうか。

私の記憶でも、父母は戦争当時、4~6才といった幼少期だったので、「みんなお腹を空かせていて大変だった」といったことは聞いたことはありましたが、戦争を体験したときに大人だった祖父母からは、戦争について聞いたことは、ただの一度もありませんでした。


ハルビンの自宅で、両親といっしょにラジオの「玉音放送」を聞きました。父親と母親が、畳の上にへなへなとへたり込んだ姿をよく覚えています。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1421


こういったシーンは、数々のドラマでみたことがあります。

でも、当時の大人たちが、どんな気持ちだったのか、「畳の上にへたり込む」ほどのショックとは、どのようなものだったのかと、想像したときに

それは、まさに「アイデンティティが崩壊した」「一番大切にしてきたものを、ある日突然失った」「中心軸が崩壊した」、家に例えれば、大黒柱が、突然亡くなってしまった、

そのくらいの強烈な衝撃的な経験だったのではないかと思います。


ただ、そのショックを、多くの大人たちが、語ることを禁じられて、自分の胸の中に閉じ込め、耐える事しかできなかったとしたら、それが、どのくらい辛く苦しいことだったのかと思うと、想像を絶するものがあります。

祖父は、そして当時の一人一人の大人たちは、その押さえ込んだ感情の発露を、どこに見出していたのだろう?

そう思ったときに、明らかに、それが戦後の復興や経済成長の推進力になり、

でも、もう一方では、「一番近い身内にしか向けられない怒り」になったケースが多いんじゃなかろうか。

実際、寡黙で、男らしく、実直に仕事をする明治生まれの祖父は、食卓で祖母にだけは、よく大声で怒鳴っていました。

当時の私は、それが祖母の性格や言動が悪いせいだと決めつけ、勝手にそう思い込んでいましたが、家を継いでくれた娘夫婦(私の父は婿養子)や孫たちには気を遣って出せない怒りを、祖母にだけはストレートに向けることができたのかもしれません。

そして、その怒りや悲しみのエネルギーは、実は無意識に連綿と受け継がれている気がします。


令和に入り、その癒されないまま、一人一人がため込んでいる大きな痛み、引き継いできた痛みを、ようやく、オープンして癒しに向かうタイミングが来たように思います。

令和の幟は、その癒しのシンボルでもあります。


【8.25大阪リライズフェスティバル】

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大阪令和維新Re・riseフェスティバル
~明治維新を超える令和維新~
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https://t.livepocket.jp/e/46e_5


映画『東京裁判』が訴えていることとは?

渋谷の映画館で、今週まで上映されていると聞いて、慌てて観に行ってきました。

初めてみる「東京裁判」。

戦勝国に、敗戦国日本が裁かれる様子を撮影したドキュメンタリー映画として、あまりにも有名な、でもこの年齢になるまで一度も見たことがなかった映画です。

しかも長編。

なんと、270分。つまり、4時間半(汗)。

にもかかわらず満席。立ち見まで出るほどに。

令和の時代に入り、日本に本当は何が起こったのか、日本の本当の姿を知りたいという思いが、多くの人たちの中に、自然に湧き上がってきているのかもしれません。


そして、2時間以内の映画でも寝てしまう私が・・・

驚くことに、一睡もしませんでした。

http://www.tokyosaiban2019.com/

【映画 東京裁判 公式サイト】



見終わって感じたことは、あまりにも多くありすぎて、おそらく一回の記事では書ききれません。

日本が、一体、どのような経緯で「戦争犯罪国家」の烙印を押されたのか。

本来、どんな国も、その国にとっては正当な理由があって戦争を始めるはずです。

つまり、戦争を始めたことや、戦争を行った国自体が「犯罪だ」と法廷で判決が下されたことは、それまで、人間の歴史上、ただの一度もなかった。

にもかかわらず、「敗戦国」というその一点だけで、一方的に、戦勝国から犯罪国家として決めつけられた裁判。

それが東京裁判でした。



戦争で負けた痛みだけではなく、

大義をもって戦争を起こしたことや、国民が一つになって何年も耐えてがんばって守ろうとしたあらゆることが悪だったのだと、世界から烙印を押され

国全体のアイデンティティを全否定される、という

日本にとって、これは、そのくらいの

大きな大きな痛み、経験だったんだと感じました。


そして、その傷は、今も実は一人一人の中に残っているのだと思います。


印象的だったのは、終戦の数年前に、非暴力・不服従を唱えたインドのガンジーが日本について語った言葉です。

「もし正義のためだったとしても、日本が、暴力によってそれをなそうとするのは間違っている」

当時の世界情勢からみたときに、日本は、「武力」を使うしかなかったのだと思います。

でも、日本が使うべきは、武力ではないということを、先の大戦では、人間だけではなくて、宇宙自然や歴史文明が、判断したとも言えるんじゃないかと感じました。

世界を、平和と調和に導くために、次の大義は、暴力ではなく、心を使って成し遂げる。

そのために、あらゆる痛みに耐える覚悟で、負けを選択してくれた、先人たちの悔しさと、涙と、潔さと、勇気に報いたいと思いました。


フィクションや再現ドラマではなくて、すべては実際に起こったことを撮影した映像で全編が構成されているこの映画は、リアルだからこそ、多くのことを訴えかけてきます。


私は、東条英機と言う人が、極悪人だったのだと当たり前の様に思い込んでいましたが

なぜ、彼が、真っ先に批判の矢面に立たされることになったのか、その背景も、この映画によって初めて知りました。

先日読んだ、 東条英機氏の直系の曾孫にあたる方のインタビュー記事も、その後のご家族の苦労が明かされていて、とても印象的だったので、ご紹介したいと思います。


「世界を知るには、まず自分を知ることから」 一般社団法人 国際教養振興協会 東條 英利さん

https://note.mu/mamitsukazaki/n/n286a96bae147?magazine_key=m891c62a08b36

リライズニュース 美しい時代を創る人達より】


映画の冒頭に流れた、1945年8月15日の玉音放送を聞いて、私の隣に座っていた年配の女性は、泣いている様子でした。

当時の日本人にとって、初めて聞く天皇の声が、その、敗戦を告げる声だったそうです。

そんな状況で、日本中の人たちは、その日、何を感じたのでしょう。

戦争は、まだ終わっていない。

日本人の中に実は涙があふれていること、そして、あの時はあえて世界人類のために負けを選んだけれど、

後の日本人へと、託されたものがある。

令和になって、その思いや意志を、受け取る準備ができた人たちが加速度的に増えているように感じます。


この週末、8月25日には、大阪で令和の幟が立ちます。

日本が本当に成し遂げたかった夢を、次は武力ではなく、心を使う心のプロになって、みんなで成し遂げていこう、そんな思いがこもった幟です。

何か感じた方は、ぜひ一緒に、8.25大阪の令和の幟のもとに集いましょう。


【8.25大阪リライズフェスティバル】

https://t.livepocket.jp/e/46e_5


映画『アルキメデスの大戦』が描く日本の覚悟

※若干、ネタバレ注意!!です。

少し前から、この夏、みたいと思っていた映画「アルキメデスの大戦」を観てきました。

余談になりますが、私はここ数年、映画を観ると約2時間の間のほぼどこかで「睡魔に襲われ、寝てしまう・・・」という残念な体質になってしまい

今日も、「起きてられるかな??」と若干心配しながら映画に突入しました(笑)




前半、やっぱりウトウトしてしまった(汗)ものの

見終わって感じたのは、

この巨大戦艦造船に込められた本当の意味です。

予告映像の中では、すでに、その戦艦が「大和」であることが表現されていますが、映画の中では、最後の方で、その名前が明かされます。

日本そのものを表す「大和」という名前に込められた意味が語られたとき、「男たちの大和」という映画のシーンがよみがえりました。


間もなく、8月15日、終戦記念日です。

元号が令和になって初めてのその日に、先人たちが大和に込めたメッセージを改めて、深く心に刻みたいと思いました。


そして、令和哲学者のNohJesu氏も、この映画について、ブログで解析しています。

さらに深くこの映画を読み解くことで、いろいろな発見があるんじゃないかと思います。

ぜひ読んでみて下さい。

https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/08/04/movie
引用:NohJesuオフィシャルブログ  https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/08/04/movie








吉本の騒動で思うこと。

闇営業問題をめぐって、今、世間を騒がせている記者会見。

芸人側の、そして社長の、涙の会見。

両方とも涙がありましたが、視聴者の受け取り方は、概ね、芸人側に同情が集まっているように思います。

いろいろな見解が有ると思いますが、私が感じたのは、双方の主張の大きな食い違い。

パワハラが実際あったかどうか、認識不足でやってしまったのか、はたまた本当にまったく通じない冗談だったのか?

普段から厳しいいい方ばかりするけれど、愛情たっぷりの人も中にはいます。

不器用すぎて、伝えたい思いが溢れると怒鳴ったりしてしまう人もいると思います。

もしくは、本当に感情のまま、相手を押さえ込もうとして習慣的に怒りを爆発するケースもあると思います。


ただ、もともとは、「芸人も社員も家族」をモットーとしていた、温かい会社だったとしても、こんなにも、双方の主張や思いが食い違う事態が、どうして起こってしまうのでしょうか?

朝ドラ「わろてんか」での、吉本発祥の物語りが頭をよぎりました。確か、芸人と言う不安定な仕事を、家族も含めてその生活を守るために、初めて給料制を取り入れた会社。その時、「私たちは家族」それが合言葉でした。

そんな会社に起こった、双方の思いの食い違い。


なぜ、そんなことが起こってしまうのでしょうか。


今や、親が子を、子が親を、殺してしまうような事件が、実は毎日の様に報道されている時代です。

家族であったとしても、いや、家族だからこそ、分かり合えない、感情がぶつかり合って、どうにもコントロールできない、

しかもそれをどうしたらよいのか?なぜ、そうなってしまうのか?明確な解決策がないまま、問題だけが、じわじわ、どんどん、拡大しています。


では、「分かり合えない」なぜ、そんなことが、あちこちで起こるのでしょう?

いったい、何が本当の原因なのでしょうか?


nTech(認識技術)では、その原因が、実は、人間が500万年解決できていない「脳の機能的限界」に由来すると規定しています。

誰かの、何かのせいではなく、人間共通の、越えなければいけないテーマ。



それが、いったいどういうことなのか?

それが本当なら、人間は、どうやったらそこを超えていけるのか?


私も、昔は

「どうして、ここまでずっと一緒にいて、何でも話し合っているのに、こんなにこの人は私のことを分かってくれないんだろう。これ以上は、もう、何をどう頑張っても無理かもしれない・・・」

と、深く傷ついて、人生に対して、人との関係性に対して絶望的な気持ちになったことが、何度もありました。

解決策は、あきらめて心を麻痺させるか、別れるか、その二つしか道はないと思っていました。

でも、そのどちらでもない、解決策がありました。


それは、他では聞いたことがない、かなり斬新な「問題発見」と「その問題に対する答え(解決策)」でした。


「分かり合えない」これは、あなたと私、そのミクロのことと思いきや、じつは、これが、戦争やテロといった国際問題、貿易摩擦、宗教間の対立といった、マクロのことにまで直結していました。


その全ての問題を一点に集約した「問題の発見」そして「そこに対する答え」に出会いたい方は、ぜひ、この1冊の本を手に取ってみて下さい。

日本に、希望が託されています。



http://www.noh-jesu.com/kiseki-no-sushiki


働き方改革の救世主とは?

めんどくさい女性”が働き方改革の救世主? 「ババア活用」のススメ

<引用元 ITmedia ビジネスオンライン >

情報スピードが目まぐるしい昨今、もう、ずいぶん前の記事なので、シェアするか迷いましたが、

面白い記事なので、紹介します!

記事の内容をシンプルに表現するならば、

今までの働き方は、「ジジイ活用」。

これからは、「ババア活用」するとうまく行くよ、と伝えています。

その理由は、ババアは一人一人の本音を引き出し、職場内の循環をつくる、とても重要な役割を果たしてくれるから。

たしかに!!

と思いました。

仕事って、やることに追われて、その「タスク中心」でタスクをこなすことだけがミッションになってしまうと、

途端にぎすぎすしてきます。

そんなとき

「おつかれさま~!最近どう??」

なんて気軽に聞いてくれる上司がいてくれたら、そしてその上司に

「聞いて下さいよ~(泣)。○○が△△で・・・」

と、本音をそのまま話すことができたら・・・

職場の問題は、実は9割がた解決しちゃうんじゃないでしょうか。

実際、記事によると、子育てして復帰した女性を、課長に抜擢する会社もあるようですね。

働き方改革の救世主、それは「ババア」。

女性の本来持っている能力を、無理なく自然に発揮することで、仕事の推進や職場環境改善に役立つ。

それって、かなりWin-Winですね!

いずれ、『ババア力検定』、なんてのも出てきたらよいのに(笑)

『統一』する人の共通点

関東に住んで、かれこれ30年経つ私ですが、ようやく先月、人生で初めて「日光東照宮」に詣でてきました。

言わずと知れた、徳川家康が祀られている神社です。

通常の神社とは違う成り立ちだからか、ビックリするほど商業主義に偏った雰囲気に、かなりビックリ仰天でしたが、まあ、それは本題から外れるので置いといて・・・

「家康は、なんで、あの群雄割拠の戦国時代に、日本を統一できたんだろう???」

そんな疑問をもって、東照宮を見学しました。


そして、その数週間後、偶然にも映画『キングダム』をみました。


こちらも、あの、中華統一を歴史上初めて成し遂げた、秦の始皇帝(と一緒に戦った将軍)を描いた映画でした。


何の予備知識もなく観に行ったのですが、そのとき、家康と、始皇帝の『共通点』を感じて、なるほど~だから「統一」することができたのか・・・

と感じるポイントがありました。

その共通点とは何だと思いますか??


私が感じた共通点、それは、「出発の違い」。

それは、ゴール(目的)の違い、でもあります。


闘う大名や、将軍、リーダーの目的の多くは、「戦いに勝つこと」「敵から身を守ること」なんじゃないかと思います。

勝つことで認められる、力を示せる。一瞬の安心が得られる。

でも、これには「落とし穴」があります。

何かといえば、「戦いが、常に有ること」が前提になっているのです。

それに対して、家康と始皇帝の出発は、

『この戦いを終わらせる。戦いのない、平和な時代をつくる』

という意志でした。


家康の原体験は、幼くして人質に出されて、母と生き別れにされたこと。

戦いの世でなければ、そんな辛い悲しい思いはしなくて済んだはず。

だから、戦いのない世の中をつくる。

それが、家康の意志でした(東照宮に併設されている資料館でみた、アニメ映画でそんな内容が描かれていました。機会があったらぜひ見てみて下さい!)。


出発が変われば、結果が変わる。

戦いうことを目的として戦うのではなく、戦いを一掃して平和がずっと続くことを目的に戦う。

その違いが、日本統一、中華統一、を成し遂げた違い。


出発が違えば、失敗が続いても、あきらめずに、どこまでも粘ることができそうです。

家康も、何度も戦に負けて、2番手に甘んじた時代(豊臣秀吉の時代)が長くても、長期戦で天下統一を成し遂げましたよね。



そう思ったときに、今のこの混沌とした時代に、どんな出発で生きる人が、本当に望む世界を実現できそうでしょうか??

ぜひ、考えてみて下さいね!!