パラリンピックの進化をみたときに

オリンピックイヤーですね。

東京オリンピックが終わった後、日本の経済はどうなるのか、その心配もありますが、今日はパラリンピックについて書いてみたいと思います。

パラリンピックの進化には、驚くものがあります。

昔とは、競技への関心や、選手への注目度、選手自身が輝いてる姿など格段の違いがあり、オリンピックを上回るような勢いを感じます。

それを通して感じるのは、「人間が、人間じゃないものによってできていること、できていくことが、明らかになる時代。」がきたということ。

義足の選手

義手の選手

科学技術の進化と共に、それがハンディではなく、障害のない人よりも、すごい記録をどんどんだしていく可能性を秘めています。

そして、肉体の進化は、人工知能(AI)の発展と相まって、

AI搭載頭脳へと進み

人間が一生かけても太刀打ちできない知識を、一瞬でもつことができる人間(もはや人間とは呼ばないかもしれませんが・・・)の誕生が簡単に予想できます。

さて、そんなAI頭脳を自分が自分の脳にインストールしたとイメージしたとき

意思決定は、どうするのか、どうなるのか

統制権がもてるのか、そのとき、自分で統制していると果たして言えるのか

全体がわかるのか、全体とは何なのか

なぜ生きているのか、自分とはどこからどこまでなのか、どこにむかってどう生きていけばよいのか

改めて、そんな疑問がどんどん湧いてきそうです。


唯一つ、言えることは、「脳を使って認識している」ということ。

その「人間の脳」がこの世界に誕生する前、何が起こっていたのか。

どのような仕組みで、どのような脈絡で、人間の脳が生まれ、この世界を解析するようになったのか。

この世界に人間が生まれる遥か前、宇宙が出発するときは、何が、どのように起こったのか。

最先端の科学の矛盾(例:相対性理論と量子力学の矛盾等)はどう説明できるのか。

同じところから生まれた宗教同士が、なぜ戦争をし続けるのか。



認識技術(nTech)は、その全てを、シンプルなひとつの動きで矛盾なく説明し、その根源にあるものを明確にデファイン(規定)しています。

そこから見る世界は、とても安心感と躍動感が同居する、シンプルでワクワクする世界です。

「人間の進化」というものがあるとするなら、人を人として成り立たせている「脳」、その「脳」の認識方式が大きく変化して、新しく世界の共通認識が生まれた時、それが起こるんじゃないかと思います。

それは、教育によって可能であり、日本にはそれを始める粘り強さと精密さが、備わっていると私は感じています。

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