令和哲学者NohJesu氏との出会い
ベストビーイングな生き方が、日本から誕生した予祝!長野パレードに参加してきました。
境界線をなくすことに大成功した人たち TPP ~Together Peace Power~ に参加。
神の戸びらが開いた!3.11神戸尊厳パレードが開催!
最優先すべきは問題を〇〇すること。【アインシュタインの55分】からの考察
これからは、ウェルビーイングではなくベストビーイング!NohJesu氏の新刊「これからの生き方 BEST BEING」が発売に
芸術家の定義がかっこよすぎる。令和哲学カフェ#791の感想。
落合陽一氏が提唱するデジタルネイチャーとは?
2023年が明けました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
動画で知った、シンギュラリティの15年分前倒し!?
昨年末に、友人が教えてくれた動画をみて、落合陽一氏が伝えている『デジタルネイチャー』という概念を初めて知りました。
そして、その動画では、2040年に来ると言われていた「シンギュラリティ(技術的特異点)」が、なんと早くも2025年に来てしまう!と言われています。
シンギュラリティとは、コンピュータの進化スピードが臨界点を超え、もうそこから先は、人間がコンピュータを進化させるのではなく、コンピュータ自身が自ら自動的に進化を始める、といわれているポイントのことです。
参考:シンギュラリティとは?起こる時期や社会への影響について | 株式会社パソナ(旧パソナテック)|ITエンジニア・ものづくりエンジニアの求人情報・転職情報 (pasonatech.co.jp)
つまり、人間はその進化に取り残され、無用者になってしまう。それが、15年も早まってしまう、と言ってるのがこの動画。
ちょっとショックだけれど、たくさんの人にぜひ見てほしい動画でもあります。
2025年を境に、既存の人間観か大きく崩れていく、らしい。
らしい、と書きましたが、これは私もこのブログでは何度も書いてきた「AIの進化によって、人間は無用者階級となっていく」「人間の存在意義が問われる時代になる」ということと、全く合致していて、それがかなり早まってしまった、ということでもあります。
さあ、人間は一体、どうしたらよいのでしょう?
デジタルネイチャーとは何なのか?
デジタルネイチャーとは、とっても平たく言えば、今までは、人間が中心になって、コンピュータも使いながら自然を開発開拓してきたけれど、これからは爆発的に自ら進化し続けるコンピュータが自然を開発開拓していく主導権をとっていく(宇宙自然全体がコンピュータ(AI:人工知能)の研究対象・開発開拓の対象になっていく)ので、人間はその中で暮らす一部の要素になる、ということです。
AIは、世界初の論文も5分で書けるようになるし、音楽も絵も、新しいものを数秒で制作してしまう。そんな時代です。今までは、知的労働・一部の知的エリートの仕事だと言われてきたことや、クリエイティブな仕事だと言われてきたことが、のきなみ「機械」にとってかわられることになります。
落合氏は、このことが現実になる、その事実に一度かなり凹んだそうです。
でも、予測不能なことが起きているのではなく、自身の研究・主張してきた内容がそのまま起きるのだ、と理解して、楽しんでいけばいいか、と考えて落ち着いきを取り戻したとのこと。
圧倒的なAIの進化に対応するにはどうしたらよいの?
たしかに、AIが生み出したもの、生み出すものを上手に使って、楽しんで生きる世界もありだとは思います。が、人間にしかできないこと、人間だからできること、そこははっきり知って、人間であることに誇りを持てないと、人間が人間であることの尊厳を保つことは、とても難しくなります。
ドラえもんの圧倒的な賢さに、どうせ人間はバカだし、と無力感に浸ってやさぐれるか、ただ楽しませてもらい依存するだけののび太くんで終わってしまうのは、ちょっと切ない。
でも、安心してください。
コンピュータ(AI)がどんなに進化したとしても、決してたどり着けない領域はこれ!と、人間にしかできない領域を明確にして、誰もが教育によって、そこにたどり着くことができる、その道筋を案内している未来技術が日本で既に誕生しています。
それが、認識技術・nTechです。
この技術であり教育の内容は、nTech創始者NohJesu氏のこちらのブログにも記載されていますので、ぜひご覧ください。
デジタルネイチャー時代の限界を突破する未来技術 – NohJesu 公式ブログ (noh-jesu.com)
読んでみて、分からないことがあれば、いつでもコメントやメッセージを下さい!
お時間の合う方は、そらまめ主宰の「心感覚読書会」にご参加ください。その場で質問していただけたら、私の分かることであればできる限りお答えします。
『心感覚』読書会 ココカナcafe のお知らせ – そらまめ (soramame313.com)

時代の寵児ともいえる天才・落合陽一氏さえも凹んだそんな未来も、危機をチャンスに、楽しんで共に進化していけたら嬉しいです。
武士道を読んで。ー第十一章 克己ー
新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十一章。
この章は、『克己』について書かれています。
武士は「喜怒色に現さず」がよしとされ、感情を表にだすことは、男らしくないこと、と思われていたようです。
例えば、親だったら通常子供に対して「こうしたい」「ああしてほしい」等のいわゆる「親心」の感情を出すことは「弱さ」とされる。
何かに励んでいる忙しい子供には、あえて臨終を知らせなかったり、とくに父親が人前で、自分の子供を抱いてかわいがる、等は良しとされなかったり。
とにかく武士は「自制心」というものを日常でとことん鍛えられている。
私たちの日常でも、道徳的な感覚としてそれはあちこちに残っていて、「一番苦しいときこそ笑顔で」などは、様々なドラマや、親からの教え、学校の先生の講和等々にちりばめられていたように思います。
感情をみだりに見せないのが美しいとされる国民性。
自制するからこそ、文学(詩歌なのの表現)では、繊細な感情表現をするようになったのかもしれません。
以前、韓国出身の令和哲学者ノジェス先生から、「韓国では、感情を出すことが美しいとされている。」
と聞いた時は、心の底からびっくりしたのを覚えています。
大げさな感情表現をする隣国の国民性を、実は私はそれまで奇異な目で、しかもどこか嫌悪感さえ感じつつみていましたが、
感情を出すこと/出さないこと、にもその国が培ってきた歴史的な文化や背景が表れているのだと理解できてから、偏見はなくなりました。
そして、日本については、どれだけ心にストイックな国民なんだろう??としみじみ感じました。
心(ここでは感情、の意)の制御を、世界一トレーニングしてきたのが日本人と言えると思います。「心感覚」をマスターするために、準備されてきた国。
今日も読んでくださってありがとうございます。