男性も妊娠・出産できるようになる??

question mark illustration

令和哲学カフェ、第3期が始まりました。

今期のテーマは「女性性哲学」。

そして、昨夜は、

「男性も妊娠・出産できる女性性とは、どういうことなのか?」

というテーマで、ディスカッションが行われました。

令和哲学でいう男性性、女性性は、とても独特です。でも、そこにはすごく納得感があります。

今までの男性性、女性性は、身体を中心にして語られてきた、いわば「空間的な」男性性・女性性でした。

令和哲学でいう男性性と女性性は、今までと、今ここから。今までの人間の全ての歴史文明が男性性だった。そして、今ここからは女性性、というように、「時間軸で」みています。

男性性の文明を脳を中心にしてきた文明、そして、女性性の文明は心を中心にする文明、ともいえます。

今までは、獲物という敵・目標に向かって団結する「狩の文化」、これからは、すべての観点を鍋に溶かして美味しい料理に仕上げる「料理の文化」、という表現もありました。

nature sky man arm
Photo by Mikhail Nilov on Pexels.com
vegetables and tomatoes on cutting board
Photo by Pixabay on Pexels.com


狩りの文化は、敵に対しては団結できるけど、内輪もめが終わらない。敵を倒しても倒しても、また新しい敵が生まれる。本当に人類の歴史を「言い得て妙」でした。

対して、料理の文化は、敵をつくって団結するのではなく、敵も味方も、鍋の中に全部が解けてなくなってしまって、ワクワクするような、まったく新しいものが生まれる。

まるで、絵本「ぐりとぐら」みたいです。

大きなホットケーキをつくって、森のみんなで美味しく楽しく食べる。

stack of pancakes with strawberry fruits
Photo by Chokniti Khongchum on Pexels.com

男性性と女性性のイメージを使うと、令和哲学の概念がとてもイメージしやすくなるように感じます。

そして、本当の女性性に行くためには、「究極の絶望」に行くこと(但し、体験・経験ではなくイメージで)が、とても大切で、すべての苦しみ悲しみを超えたときに、「究極の希望」に行ける、というコメントがとても印象的でした。

77億の絶望を全て集めた究極の絶望、その絶望でひとつになること。それが、実は究極の希望のスタート。

今日も読んで頂いて、ありがとうございました。


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傾聴ができるようになるために知らなければならない、たった一つのこととは?

photo of a boy listening in headphones

今日は、「傾聴」について書いてみたいと思います。

人の話しを聞くこと。話すことよりも、聞くことの方が難しい、とよく言われます。

昔、令和哲学者のNohさんから、「本当に人の話しが聞こえるようになるには7年かかる」と言われたことがあります。話せるようになるのは1年で十分。話が聞けるようになることが、どのくらい難しく、そして大切なのことなのか、このワンフレーズだけでも身に沁みました。

そして、コミュニケーションの世界は、どのくらい誤解に溢れているのか。

どのくらい、自分勝手な解釈で、相手の話を聞いてしまっているのか。

しかも、全く悪気なく。

今日は、なぜ、そのように誤解に溢れてしまうのか、ということについて触れたいと思います。

分かりやすく言えば、一人一人、人生を通して体験経験してきたことは、全く違います。

自分と全く同じ体験経験をしてきた人はこの世に一人もいません。

これは、双子であっても同じことが言えます。

そして、人は、その人独自の体験経験を土台に、その人独自の判断基準(アルゴリズム)をつくりあげています。

昨日も少し書いたように、ある単語を聞いて、浮かぶイメージが人それぞれ違いがあるように、同じ話を聞いても、精密に見れば見るほど、10人いれば10通りの解釈が生まれているのです。

これは、飲み物に例えると、分かりやすいと思います。

既に自分のコップの中にはコーラが入っている。

glass of cola poured from bottle
Photo by Karolina Grabowska on Pexels.com



そして、相手の話は牛乳です。

close up of milk against blue background
Photo by Pixabay on Pexels.com



自分のコップを空にせず、相手の牛乳が入ってしまったとしたら?

「・・・・・!?」牛乳とはかけ離れた、想像しがたい味の飲み物になってしまいます。

そして、その味を「相手の話」として解釈して、相手を理解したつもりになってしまうのです。


なかなかホラーな話ですよね(汗)

混ぜるな危険

ほんとうにそうなのです。



では、どうすればよいのでしょうか?

それは・・・



まず、自分のコップを空にすること。



シンプルに、それだけです。

自分のコップに入っているものを、まずゼロ化すること。そうすれば、相手の牛乳を、牛乳本来の味で、美味しく味わうことが出来ます。


傾聴ができるようになるために知らなければならない、たった一つのこと。

それは、まず、自分のコップを空にすること。


今日も、読んで下さって、ありがとうございました!



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オリンピックについて考えてみた。

お久しぶりです。ここ半年(実際は1年)程、かなり集中して取り組む必要のある案件に関わっていたので、更新がすっかり止まってしまいました。

これからまた、少しずつ、令和哲学のことや日々のこと、関心のあることや、そらまめが提供しているサービス全般についても、書いていきたいと思います。

今日は、オリンピックについて思うことを少し。

今、オリンピックの開催について、否定的な人が多いようですね。

東京五輪・パラリンピックを今夏開催するべきだとした人の割合は24・5%、再延期するべきだは32・8%、中止は39・2%で、いずれも3月の前回調査の23・2%、33・8%、39・8%から横ばいだった。

2021/4/15日刊スポーツアンケートより引用 https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202104150000121.html


中止・再延期を望む人が、75%近くに上るようです。

諸外国の意見も、民間の調査によると過半数が開催に否定的だということです。

世界中の人が日本に集まり、コロナの新しい変異株ができることを危惧する声や、今も医療体制が大変な中、感染が起こった場合、選手たちを優先するのか、それとも日本人を優先するのか等、いろいろなリスクが考えられますから、無理して開催するよりはしない方が、明らかにリスクは低い、となるのはよく分かります。

直近のことを考えればたしかに、リスクが低い方を選びたくなりますよね。

そもそも、この問題は、日本のコロナ対策が、なかなか思うように進んでいない影響が、かなり大きいと思います。

日本のこれまでのコロナ対策を諸外国と比べてみると、欧米の様にハッキリとロックダウンをするわけでもなく、様子をみながら、なんとなくなんとなく、良い方向に向かえばよいな、といったスタイルで、どうしても「曖昧さ」を感じてしまいます。まさに、合言葉は「がまん」。

そして、飲食店に偏って制限を強いる緊急事態宣言や、蔓延防止法。一部の業種に特に大きな我慢を強いるスタイルは、「それなら、一斉にロックダウンしてウィルスを押さえ込んだ方が、公平性もあるし短期間で済んで効果的なのでは?」という意見も、飲食業界以外からも聞こえるようになっている現状もあると思います。

そんな中、オリンピック、さあどうするか、いよいよ判断を迫られているこのタイミング。

今の状態からみたら、開催を危惧して反対する意見が多いのは分かります。

でもしかし・・・

10年後、20年後の未来から見たら、どうでしょうか?

戦後の高度経済成長を経て、バブル崩壊を経験し、ものづくり中心に経済を成り立たせていくことがどんどん難しくなる中、次の産業が期待されつつも、ITに関しては、日本は今や中国・台湾に較べて後進国となっている現状。

コロナで観光産業もストップし、その目玉だった東京オリンピックも延期となり、もともとオリンピックのあとの日本はどうなるのか?と危惧されていたところに、コロナが長引いていることによる今回の延期か中止か、というオリンピックの開催を危ぶむ議論。

このまま、再延期はないと言われている中、オリンピック開催をただやめてしまえば、日本に、どんなメリット、そして未来がありそうでしょうか?

勇気ある挑戦を避け、成熟したあとの衰退をたどる斜陽の国、そんなイメージが加速する未来が、そこには見えてくる気がしてなりません。

もしも、ここで、「感染対策をしっかりやって、体制も整えてオリンピックやりましょう!」と力強く宣言し、実行するリーダーシップがあったなら、日本人であれば、様々な細かいことまで考えて万全に準備して、世界の選手団を迎え入れ、そして安心して競技をしてもらい、世界中に、「コロナ禍のなかでも、日本の人たちの団結によって、オリンピックが開催できた!」という、希望が示せるのではないかと思います。

日本が世界に示せるのは、自国のことだけを優先して、小さくとどまる姿ではなく、東日本大震災で見せた、大変な状況でも整然と並んで順番を待つような、世界中が大変な中でも、人間の精神の美しさを、その姿勢や態度でみせることではないでしょうか。

そして、今更ではありますが、このコロナパンデミックが始まった当初、いち早くウィルスの特性を解説し、日本式ロックダウンを提案して、心のコロナ、経済のコロナ、体(健康)のコロナに対処しようと発信していたのが、令和哲学者NohJesu氏でした。

令和哲学チャンネルより



そして今も、ポストコロナオンライン会議を通して、コロナ禍の今、様々な分野で活動する方々のリアルな声を聴きながら、これから日本が選択するべき道を、継続して提案し続けています。

令和哲学チャンネルより。ポストコロナオンライン会議アーカイブ動画



もしも1年前、日本が思い切って、日本式ロックダウンに踏み切っていたら・・・と残念に思う気持ちもありますが、”すべてを根源的な仕組み、メカニズムで解明し整理する令和哲学”が、まだ世の中でメジャーになっていない中では、困難な選択であることも理解できます。

今となっては、間に合わないタイミングに来ていますが、それでもまだ、日本が世界に示せることはあると思います。

これは、あくまで個人の意見ですが、多くの日本人は、「やろう」と決めたら、必ずやると思います。

日本が世界を感動させる。その一場面として、ぜひ、東京オリンピック、開催して欲しいと思っています。


●情報過剰な時代の羅針盤、NohJesuリテラシーマガジンはこちら。
https://www.literacy.noh-jesu.com/