最近、人との関係性について、ちょっと面白いことを考えるようになりました。
それは、「知らない人は、ちょっと警戒する」という設定をやめてみてもいいんじゃないかということ。
これまで私は、よく知っている人には安心感があり、知らない人に対しては、どんな人なのか少し様子を見ながら接する、というところがありました。
よく知っている人は仲間。
まだよく知らない人とは、少し距離を置いておく。
考えてみれば、ごく自然なことのようにも思います。
でも、最近ふと思ったんです。
そもそも、よく知っていると思っている人のことも、本当に知っているのだろうか?
家族や友人、長年一緒に過ごしてきた人であっても、その人のすべてを知っているわけではありません。
昨日のその人と今日のその人だって、違うかもしれない。
そう考えると、よく知っている人も、知らない人も、実はみんな「知らない人」なのかもしれません。
だったら、知っているか知らないかで、人との距離を決めなくてもいいんじゃない?
誰に対しても、今ここ、先入観ゼロで出会ってみる。
そんな関係性もいいなあと思うようになりました。
「知らない=不安」という設定を外してみる
私たちは、知らないことや分からないことに出会うと、不安を感じることがあります。
相手がどんな人か分からない。
何が起こるか分からない。
自分がどう対応すればいいか分からない。
だから、先に情報を集めたり、相手をよく観察したり、自分の知っている範囲に収めようとしたりする。
つまり、知らないことを知ることで安心しようとしているのかもしれません。
でも、世の中には知らないことが山ほどあります。
どれだけ知識を増やしても、経験を積んでも、知らないことがなくなるわけではありません。
だったら、知らないことをなくそうとするよりも、知らないことに対する自分の認識を変えてみたらどうだろう?
例えば、
- 知らない=不安、ではなく、知らない=面白い
- 分からない=怖い、ではなく、分からない=わくわく
- 予測できない=危険、ではなく、予測できない=可能性
- 決まっていない=不安定、ではなく、決まっていない=自由
こんなふうに。
知らないのが当たり前。だからこそ、安心して出会える。
そうなったら、毎日がもっと面白くなりそうです。
知らないことへの不安は、社会の分断にもつながっている?
このことを考えていたら、最近の社会の動きともつながっているように感じました。
例えば、日本でも外国人の受け入れをめぐって、反対意見や排除的な言動が目立つようになっています。
もちろん、文化や習慣の違いによる摩擦、生活上の問題、社会制度の課題など、現実に向き合う必要があることはたくさんあります。
ただ、その背景には、自分たちとは違う、よく知らない人たちが増えることへの不安もあるのではないでしょうか。
自分たちとは違う文化。
自分たちとは違う習慣。
自分たちとは違う価値観。
よく分からないものに出会ったとき、人間は不安や恐怖を感じることがあります。
そして、その不安を解消するために、相手を理解しようとするのではなく、遠ざけたり、排除したり、自分たちと同じであることを求めたりすることがある。
知らないことへの不安を、知らないものを排除することで解消しようとしているのかもしれません。
でも、それで本当に安心できるのでしょうか。
自分と違う人を遠ざけても、世界から知らないことがなくなるわけではありません。
違いをなくそうとするのではなく、違いがあることを当たり前に受け入れられたら。
違うから排除するのではなく、違うからこそ知り合い、そこから新しいものを一緒に創造していく。
そんな社会のあり方もあるのではないかと思います。
排除ではなく、調和。対立ではなく、融合。そして共創へ。
そのためには、まず私たち自身の認識が変わる必要があるのかもしれません。
まず、自分自身をジャッジしないこと
そして、もう一つ大切だと思うことがあります。
それは、自分自身をジャッジしないこと。
自分に対して、
「こんな自分ではダメ」
「もっとこうならなければ」
「こんなことを感じてはいけない」
そんなふうに、いつも良し悪しの基準を持ち込んでいないでしょうか。
自分をジャッジしていると、知らず知らずのうちに、他人に対しても同じような基準を持ち込んでしまいます。
自分の価値観に合う人は安心。
合わない人は不安。
自分にとって都合のよい人は好き。
そうでない人は苦手。
もちろん、人それぞれ感じ方も違うし、誰とどこまで関わるかは自由です。無理に近づく必要もありません。
でも、最初から自分や相手に良し悪しの判定を下さずに、まずそのまま出会ってみる。
自分にも、他人にも、先入観ゼロで。
そんな関係性をつくっていけたらいいなと思います。
理想の関係性も、最初から決めなくていい
そう考えると、人との関係性も、最初から決めておく必要はないのかもしれません。
「この人は仲間」
「この人はまだ知らない人」
「この人とはこれくらい親しくなるべき」
そんなふうに、先に関係性を設定しなくてもいい。
最初からフラットに出会い、普通に話し、関わってみる。
その中で、もっと仲良くなることもあれば、そこまで深くならないこともある。
近づいてもいいし、少し離れてもいい。
関係性を固定せず、その時々の自然な距離感を大切にする。
関係性を先に決めるのではなく、今ここから関係性が生まれてくる。
これなら、人間関係もずいぶん自由で軽やかになりそうです。
知らないことを、安心して楽しめるようになるには?
ここまで考えてきて、私自身が改めて感じることがあります。
それは、知らないことへの不安をなくすためには、単に考え方をポジティブに変えればいい、という話ではないということです。
私自身、以前は知らないことに対して、不安や警戒心を持つことがありました。
でも、ある学びとの出会いを通して、人間の認識の仕組みそのものを知り、世界の見え方が大きく変わりました。
それまでは、なぜ知りたいのか、なぜ知らないと不安になるのか、何を知れば知ったと言えるのかさっぱり分からなかった。
でも、今は、なぜ人間が知ることを止められなかったのか、人間が、どこに向かって何を知ろうとしていたのか、よくよく分かりました。
これは、無理に暗記して知識として覚えた答えではありません。
言葉で表現するなら、理解を通して辿りついた境地です。
そして、世界の見え方、認識そのものが変わったことで起きた変化でもあります。
もし、一人ひとりがこの認識の変化を起こせるようになったら、人間関係も、社会のあり方も、大きく変わっていくのではないでしょうか。
知らないことを怖がらなくてもいい。
知らないことを無理に知ろうとしなくてもいい。
知らないことがあるからこそ、新しい出会いや発見が生まれる。
そんな認識の変化を、誰もが実現できるようになったら、どんな世界になるだろう。
私は、そんな可能性にとてもワクワクしています。
今ここ、最高・完全・完璧。だから自由。
最後に、今回の気づきを一つの言葉にまとめるなら、
「今ここ、最高・完全・完璧。だから自由。」
未来に理想の状態を設定して、そこに向かって今を変え続ける必要はない。
理想を持ってはいけないのではなく、理想を固定しない。
自分も、相手も、世界も、まだ知らないことだらけ。
だからこそ、今ここで新しく出会い、今ここから新しい関係性や可能性を生み出していけばいい。
自分にも、他人にも、世界にも、先入観ゼロで出会う。
知らないことを不安に感じるのではなく、安心して楽しめる。
違いを排除するのではなく、違いを活かし合う。
そして、調和し、融合し、共に新しいものを創造していく。
知っていることを増やして安心する世界から、知らないことを安心して楽しめる世界へ。
そんな人間の進化が、これからの時代に必要なのではないかと思っています。

