「満たされない」のは、あなたに何かが足りないからじゃない

満たされない。
でも、理由が分からない。

ちゃんとやっている。
仕事も、人間関係も、表面的には大きな問題はない。

欲しかったものを手に入れることもある。
頑張って、結果を出すこともある。

それなのに。

少し時間が経つと、また同じ感覚が戻ってくる。

「これ以上、何が欲しいの?」

そう聞かれても、答えられない。

私にも、そんな時期がありました。

そして今振り返ると、あの「満たされなさ」は、私に何かが足りなかったサインではなかったのだと思います。

むしろ、

「その生き方の前提を、一度見直してみたら?」

というサインだったのです。


「足りない、足りない」と、いつも何かを探していた

気づけば、いつも誰かと比べていました。

あの人はもっとできている。
あの人は、もう次のステージにいる。

私も、もっと何かを手に入れなきゃいけない。

もっと認められたら。
もっと役に立てたら。
もっと結果を出せたら。

そうすれば、きっと満たされる。

「ここまで来たんだから、もう満足していいはず」

頭ではそう思うのに、心がOKを出してくれない。

まだ足りない。
まだ何かが足りない。

その「足りない」という感覚が、私をいつも次へ、次へと追い立てていました。

でも、何を手に入れれば終わるのかは分からない。

だから、探し続ける。

今思えば、ずいぶん不思議なことをしていたなと思います。


私は「満足」を、条件付きにしていた

あとから分かったことがあります。

私はずっと、満足することを「条件付き」で考えていたんです。

評価されているか。
役に立っているか。
結果を出しているか。
人からどう見られているか。

そういう条件が揃ったときに、

「これでいい」

と、自分にOKを出そうとしていました。

つまり、私にとって満足とは、

「今ここにあるもの」ではなく、「何かを達成した先にあるもの」

だったんです。

だから、条件が少しでも揺らぐと、満足も一緒に崩れてしまう。

どれだけ積み上げても、安心できない。

それは当然だったのかもしれません。

なぜなら私は、「私がどう感じているか」よりも先に、

「こういう私なら、認めてもらえる」

という基準で自分をつくっていたからです。


では、そもそも「私」って何なんだろう

ここで、私は一つの問いに出会いました。

「私は、いったい何を『自分』だと思って生きているんだろう?」

考えてみると、私たちは「自分」を、とても当たり前のものとして扱っています。

これが私の性格。
これが私の能力。
これが私の過去。
これが私の役割。
これが私の人生。

でも、それらは本当に「私そのもの」なのでしょうか。

過去の経験からつくられた自分。
誰かから見られている自分。
社会の中で求められてきた自分。

そうやってつくられた「自分」を、いつの間にか「これが私だ」と思って生きている。

もしそうだとしたら。

どれだけ頑張って「自分らしく生きよう」としても、その「自分らしさ」自体が、過去につくられたものなのかもしれません。

私は、ここに大きな違和感を持つようになりました。


「自分らしく」の前に、考えたいこと

今は、

「自分らしく生きよう」
「ありのままの自分を大切にしよう」

という言葉を、よく耳にします。

私も、それはとても大切なことだと思います。

でも、その前に一つ問い直したい。

「そもそも、その『自分』とは何なのか?」

自分らしく生きる。

その「自分」が、過去の経験や他人の評価、社会の常識によってつくられたものだとしたら。

その「自分らしさ」を守り続けることだけでは、本当の意味で自由になれないのではないか。

私はそう考えるようになりました。

必要なのは、今の自分をもっとよりよくすることだけではない。

自分を規定している、その土台そのものを見直すこと。

そこから、人間の変化が始まるのではないかと思っています。


不足感は、ダメなサインじゃなかった

だから今は、

「満たされない自分はダメなんだ」

とは思いません。

不足感があると、私たちはつい、

「自分が未熟だから」
「何かが欠けているから」
「もっと頑張らないといけないから」

と考えます。

でも、もしかしたら違うのかもしれない。

その違和感は、

「今までの生き方では、もう次に進めないよ」

というサインなのかもしれません。

外側の評価を基準にして、自分をつくっていく生き方から。

「そもそも人間とは何なのか」
「私は何を基準に生きているのか」

を問い直す生き方へ。

不足感は、壊れているサインではなく、変化の入口になることがある。

私は、自分自身の経験から、そう感じています。


満足できなかった私は、間違っていたわけじゃない

「自分とは何か」

ずっと心の奥にしまっていたその問いを深く探究する中で、
私の中で大きな変化が起きました。

無理にポジティブになったわけではありません。

「もっと自分を好きになろう」と頑張ったわけでもありません(そうしようと思っても実際、無理でした・・・(笑))。

ただ、

自分をジャッジしていた物差しそのものが変わった。

すると、それまで自分を責めていたことも、責める必要がないことがすとんと腑に落ちました。

満足できなかった私は、間違っていたわけじゃなかった。

ただ、違う物差しで、自分や人生を測り続けていただけだった。

そして私は、

人間は、自分を規定している前提そのものを変えることができる。

そんな可能性を、信じるようになりました。


AIが進化する時代だからこそ、人間自身を問い直したい

このことは、これからの時代にますます重要になると思っています。

AIは、ものすごいスピードで進化しています。

知識を得る。
文章を書く。
分析する。
アイデアを出す。
これまで人間が担ってきたことが、どんどんAIにもできるようになっていく。

そうなると、私たちは必然的に問われます。

「では、人間とは何なのか?」

AIに負けないために、人間ももっと能力を高めなければならない。

私は、その方向性では難しいと思っています。

AIだけを進化させるのではなく、

人間の認識。
人間の生き方。
人間同士の関係。
人間の幸福。
人間の自由。
人間の創造性。

そして、

「人間とは何か」そのものを、深く探究しその答えを得る必要がある。

これから必要なのは、「今の人間をどうよりよくするか」ではなく、

人間そのものを開発していくこと

なのだと思います。

そして私は、人間にはそれができると思っています。


私が、その可能性を伝えている理由

私自身も、「自分とは何なのか」という問いを探究してきました。

その中で出会った一つの道が、nTech【認識技術・ネシエンス学】でした。

nTechを、単に「考え方を変える方法」として捉えているわけではありません。

私が面白いと思っているのは、

今ある観点から別の観点へ移動することではなく、

観点そのものをオールゼロ化し、ゼロの基準点から世界を再構築する

という点です。

もちろん、私はこれを誰かに押しつけたいわけではありません。

ただ、

「人間は、ここまで変われる可能性がある」

ということを、自分自身が探究してきたからこそ、伝えていきたい。

それだけです。


今、「足りない」と感じているあなたへ

もし今、

「なんだか満たされない」
「このままでいい気がしない」
「何かを探しているけれど、何を探しているのか分からない」

そんな感覚があるなら。

無理に満足しようとしなくてもいいと思います。

そして、自分を責めなくてもいい。

あなたに何かが足りないからとは限らないからです。

もしかしたら今、問い直すタイミングが来ているだけなのかもしれません。

「私は、何が足りないんだろう?」

ではなく、

「私は、そもそも何を『自分』だと思って生きているんだろう?」

と。

その問いから、これまでとは違う世界が見えてくることがあります。

私は、人間は変われると思っています。

過去に決められた自分を、そのまま生きるしかない存在ではない。

だから私は、これからも問い続けたい。

人間とは何なのか。
人間は、どこまで変わることができるのか。

そして、その可能性を、一人ひとりが自分自身の人生で感じられる未来をつくっていきたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA