『心感覚』読書会 ココカナcafe のお知らせ

読書会をスタートして、今朝で22回目を迎えました。

これまで、ブログでは案内していませんでしたが、一単元ずつ読み進めて、今は3章。ちょうど半分を過ぎたところです。

毎回、新しい気づきが生まれるこの読書会。

どなたでも参加できますので、ぜひ気軽に遊びに来て下さい。以下、詳しいご案内です。


自分が好きになる。相手を理解できる。『心感覚』読書会 ココカナcafe


心感覚読書会 - 心を奏でるカフェ ”ココカナcafe”  へようこそ –

昨年末に、イースト・プレス社より発売された、Noh Jesu著「心感覚」を輪読しながら感想シェアをする会です。

コロナ禍で行動範囲が制限され、
人との交流の減少や関係性の変化を実感したり
世界の情勢をみても、不安なことが増えている時代。
そんな時代に知っておきたい新しい感覚、それが“心感覚”です。

こちらの本の紹介動画(※)にもあるように、この本は、

”人に優しくなれる本”

心の秘密を知ることで
自分のことが好きになる
相手のことを理解できる
良好な人間関係をつくるために
最良な本

です。

私も、この「心感覚」を知って、初めて自分のことが好きになれました。
しかも、嫌いな人が一掃されて、相手のことが理解できるように!
まさに、良好な人間関係をつくるために、とっても役に立つ一冊です。


※書籍の紹介動画はコチラ


どんな人でもふらっと立ち寄っていただけるように
参加者の皆さんと共につくる、一生に一度だけのひと時を、
超リラックスして楽しんでいただける時間になるように
心を奏でるカフェ 『ココカナcafe』と名付けました。

もしかして、ここに探していた何かがあるかも?
「ここかな?」と思って立ち寄ってもらえたら・・・
そんな意味も込めました。

この読書会は、お手元に本がなくても大丈夫です!

輪読後にワークシートを使って感想をシェアしながら、内容を深めていきます。
初参加の方も大歓迎です。
ぜひ、一緒に楽しく、心感覚に触れ、そして深めていきましょう。

 
<こんな人にオススメ>
・良好な人間関係を築きたい
・実は、自分があまり好きになれない
・どうしても理解できない人がいて困っている
・人に優しくなれず自己嫌悪したことがある
・“心感覚”にちょっと興味がある
・今の社会・教育に疑問がある
・共産主義VS自由主義の構造に限界を感じている
・新しいことにワクワクする
・自分の可能性を知りたい、発揮したい
・変化のきっかけをつかみたい


【詳細】
・日時:今後の日程とお申し込みはこちらから
・場所:オンライン@Zoom
・参加費:無料
・当日の流れ
 ー主催あいさつ
 ー自己紹介
 ー輪読&シェア
 ーインフォメーション


※Noh Jesu著『心感覚』をお持ちの方は、ご用意のうえご参加ください。
https://noh-jesu.com/shinkankaku/
※ワークショップ形式の読書会となりますので、紙とペンをご用意ください。
※リラックスしてご参加ください。(飲み物&お菓子等もご自由に)
※以下は、心感覚について解説した動画です。可能な方は、参加前にご視聴ください。



■動画の内容
0:13 心理学で言う”心”との違いは?
5:45 自己啓発で使う”心”との違いは?
8:21 Noh JesuがDefine(規定)する”心”とは?
13:59 一人ひとりが”心”をマスターする意味・価値は?
17:57 時代から観た”心”をマスターする必要性は?



【主催者情報】
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心感覚公認アンバサダー/認識コンサルタント/マインドームコーチ
平野善子(HIRANO YOSHIKO)



大手企業でSEとして勤務する中で、本質的に求められる仕事が何かを追及。利便性や科学技術の進化よりも自然と暮らすことがより豊かな生き方だと感じ、庭師を志し退社。その後、認識技術・nTechと出会い、思考/感情のアルゴリズムのALL ZERO化と再創造が、生き方や習慣に確実な変化を起こし、AI時代の新しい仕事の創出にも繋がることを実感。現在は、認識コンサルタントとして、クライアントが安心をベースに無限の可能性を開く入口となるセッションや、各種プロジェクトのマネジメントを推進。

武士道を読んで。ー第十七章 武士道の将来ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第十七章。とうとう、最後の章になりました。

この章は、武士道の将来、つまり、今後「武士道」はどうなっていくのか?について書かれています。

そのことが、ヨーロッパの騎士道との対比で語られていました。

封建制度、つまり武力によって国を治める制度がなくなってから、騎士道はキリスト教会によってその寿命を延ばしたけれど、

日本の武士道の場合は、それに相当する宗教はないので、なかなか難しいだろうと。

ただし、全体を通して述べられているのは、形としての武士道は失くなっても、その意志や本質、神聖なる本能は残って、人間の様々な行動や生き方の中に広く浸透していくだろうという予測を込めた願いでした。

他にも印象的だったのは、武士道は、主に治者や公人や国民の道徳的行為に重点を置いていたのに対して、キリスト教は個人のこと、個人的にキリストを信じる人に関する道徳を説いているので、

個人主義が広がる時代には、キリスト教的道徳が勢力を増すだろうとあり、

まさにそれは、現代を表していると感じました。

地球上に個人主義が蔓延して、その良さを通り越して問題点が多く語られるようになった現代には、地球に生きる一人として、つまり「公人」としての規範である武士道の理念に、もう一度、光を当てるタイミングに来ていることを、改めて強く感じます。

今回、この書籍を約8か月に渡って少しずつ読み進めてきて感じたのは、武士道が今ここ、私たち日本人の中に、その日常の中、あちらこちらに今も確かに息づいている、という点です。

そのことが、戦後77年を経て、令和のこの時代に、世界の基準となる精神性として、武力ではなく、心の力として、人と地球が持続可能なシステムとなるための基本の教育として受け入れられていくことを期待しています。

今日も読んでくださってありがとうございます。

※9/12(月)より、令和哲学カフェでは『SAMURAI哲学』と題して、日本の侍たちの哲学を取り上げています。その中で、nTech講師でもある塩見典子さんが、この新渡戸稲造の「武士道」を取り上げて、解説していますのでそちらもぜひご視聴ください。

令和哲学カフェの案内はコチラ

令和哲学カフェアーカイブは、nOUで視聴できます。

武士道を読んで。ー第十六章 武士道はなお生くるかー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第十六章。

この章は、”武士道はこの先も生き続けていくのか?”ということについて書かれています。

次の2点が印象的でした。

一つ目は、武士道は簡単にはなくならない。その根拠。

二つ目は、歪んだキリスト教について(新渡戸稲造はキリスト教徒です)。

一つ目について。いきなりの結論ですが、その根拠がいろいろ述べられていましたが、とくに印象的だったのは、

フランスの経済学者シェイソン氏の計算によれば・・・というくだり。

「各人は、その血管の中に少なくとも西暦一千年に生きていた2000万人の血液をもっている」そうです。

経済学者の計算、というのがとても興味深い。

歴史文化によって一世紀にわたって多くの人の意識が実は血液の中に入り込んでいて(今風に言えば、DNAの中に刻み込まれていて)、そんなに簡単に消え去るものではない、ということでしょうか。

表面的には西洋化して変わったように見えても、無意識の99%は武士道という美しいものが私たちの中にしっかり根付いている、と思うと、安心と共になんだか嬉しい気持ちになります。

そして二つ目。歪んだキリスト教については、今、宣教師が伝えるキリスト教は、本来イエスが説いた純粋な内容からは離れてしまって、西洋人(アングロサクソン)的思惟妄想を含むと。

異教徒にとって、異教徒の歴史の脈絡を配慮しながらその人たちがつかっているイメージを用いて伝達されたなら、普遍的な要素として速やかに納得されるだろうに、と。

確かに、何度理屈を聴いてもまったく納得できなかったことが、日常でよく使われている単語やイメージ一つで「なるほど、それを言いたかったのね」と、スッと分かってしまうことがあります。

単語ひとつも、長い長い歴史を紡いできた先人そして宇宙自然があって、それが私たちのイメージのバックボーンとなって、すべてを引き受けて今ここ生み出されている奇跡のような一言。

そして、キリスト教徒であった新渡戸稲造は、キリスト教の本質と武士道が、根柢ではつながっていることを見ていたのだと感じました。

ただ、最後の一文は気になりました。

武士道の存続を脅かす勢力がある、というものです。

それが、予兆だけではなかったことは、私たちは既に知っています。

ですが、この章にも書かれているように、意識ではなくても、日常のあちらこちら、そして無意識には、しっかり存続している「武士道」があることをタイムマシーンがあれば、著者に伝えに行きたい、と感じました。

今日も読んでくださってありがとうございます。


※9/12(月)より、令和哲学カフェでは『SAMURAI哲学』と題して、日本の侍たちの哲学を取り上げています。その中で、nTech講師でもある塩見典子さんが、この新渡戸稲造の「武士道」を取り上げて、解説していますのでそちらもぜひご視聴ください。

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令和哲学カフェアーカイブは、nOUで視聴できます。

武士道を読んで。ー第十五章 武士道の感化ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第十五章。

この章は、「武士道の感化」について書かれています。

冒頭にあった、「まず武士階級を照らした倫理体系は、ときをふるに従い大衆の間からもその追随者を惹きつけた」という文章が印象的でした。

朝、まず山頂を照らした光がやがては山のすそ野にまで広がるように・・・という例えにあるように。

武士道は、最初は武士の階級を貫く倫理体系だったものが、大衆にも受け入れられ、それを模範として自らもそうあろうとし、老若男女が賛同したからこそ文化として根付いたものだったのだと感じました。

それが日本における武士道。

鎌倉幕府創設以来、武士が天皇を支えながら日本を統治するようになり、その700年近い歳月の間、とくに武士が治めつつも戦いがなくなった江戸300年間に、倫理規範として体系化され、庶民にもその規範に沿った生き方が根付いたのではないでしょうか。

「花は桜木、人は武士」

と言われたことからも、武士は全日本人の理想、ヒーローでもあったようです。

本居宣長の

「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」

とにかく、武士を表すときに、セットでイメージされるのは桜。

薔薇のように華美ではなく、淡い香り。

でもその美しさや潔さ、そして、微かな中にもそれとはっきりわかるその香りが、日本そのものの心をあらわしていると言われれば、とてもしっくりきます。

「大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である」

という文章も印象的でした。

自然に、この日本に醸し出された魂、それが大和魂。

それを植物に例えれば、まさに、自然に山に咲いた桜。

誰に見せるためでもなく、ただ自然の中でありのまま毎年咲き続けるのが山桜です。

第二次世界大戦で大敗し、その後は世界の平和と発展のために、戦争犯罪国家の烙印を押されようとも、黙々と働き続けその利益を、世界中の国々に還元し続けた、まさに日本という国の魂をあらわしている、

そんな風に感じました。

今日も読んでくださってありがとうございます。

※9/12(月)より、令和哲学カフェでは『SAMURAI哲学』と題して、日本の侍たちの哲学を取り上げています。その中で、nTech講師でもある塩見典子さんが、この新渡戸稲造の「武士道」を取り上げて、解説していますのでそちらもぜひご視聴ください。

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令和哲学カフェ 第551回(9/13開催分)では、新渡戸稲造の「武士道」を解説!(9/20まで無料で視聴できます)

令和哲学カフェアーカイブは、nOUで視聴できます。

10/8・9・10は、第2回Dignity2.0国際カンファレンス@ニセコ

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昨年、大阪で初開催されたDignity2.0国際カンファレンス。

コロナ禍の中でも、オンライン、オフライン、メタバースで3000名が全国から、さらにはオンラインでは世界各地からも結集して、大変盛り上がりました。

今年は、開催地を北海道・ニセコに移して、来月の10月8(土)~10(月・祝)の3日間、開催されます。

今年のテーマは、『-シン技術でつくるわたしの宇宙- 心( シン)未来への出発』。

昨年、講演された植松電機の植松社長が、今年はロケットを打ち上げる企画をされるそうです。

なぜロケットを?と思いますよね。

実は、今回打ち上げ予定のこのロケット、サイズは2mほどですが、構造や仕組みは、本物のロケットと同じだそうです。そのロケットが、本物さながらに空に打ち上げられる。こんな機会、なかなかないですよね。ちょっとワクワクしませんか?

この企画を通して植松さんが伝えたいこと。それは、多くの大人は、とっくにあきらめてしまっているかもしれない「夢は叶う」という実感、だそうです。

これは、 Dignity2.0国際カンファレンス 全体の主旨にもつながります。

誰もチャレンジしようとしてこなかった、不可能だと思われてきたことへのチャレンジ。

でも、そこに到達する道具はある。だから、あきらめさえしなければ、きっと叶う。

それが、 Dignity2.0国際カンファレンスを昨年に引き続き開催する、私たちの思いでもあります。


公式ホームページに記載されている、このカンファレンスのコンセプトは以下の通りです。

Dignity2.0ムーブメントとは

2050年人類滅亡の危機が叫ばれる背景に

1.気候変動による環境破壊の危機
2.SDGsを掲げるも進展がみえない持続不可能な危機
3.AI活用による尊厳破壊の危機
4.貧富格差による共同体破壊の危機
5.人間関係が築けないことによる少子高齢化の危機

があります。これらの危機を解決できるイノベーションが必要です。

それを、教育、経済、政治、文化芸術に対して、何をどのように変化させるべきかの「革新的価値」を提供するために研究していくのが『Dignity2.0ムーブメント』です。

それらの危機に対して、「革新的価値」を提供するための研究発表の場が『Dignity2.0国際カンファレンス』です。

Dignity2.0国際カンファレンスでは、1日目は教育、2日目は経済、3日目は政治、文化芸術のジャンルで研究の発表、討論、翌年へつなげていくイベントを開催しています。

引用元:2022開催日程&概要 – 2022年 Dignity 2.0 国際カンファレンス 3Days in 北海道



ロケットの原理が発明されたからこそ、そして、何度もその打ち上げに命がけでチャレンジし続けた人たちがいたからこそ、人は宇宙に飛び立つことができ、月面に着陸することができました。

今、解決が難しいと思われている、上記5つの危機も、このカンファレンスで語られる「革新的価値」があるからこそ、それを使ってあきらめずにチャレンジし続ければ必ず、すべての問題は解決に導くことができる、そう言い切って、昨年に続き今年も開催されるのがこのDignity2.0国際カンファレンスです。

今年も、3日間で様々な企画が出展されます。

タイムテーブル – 2022年 Dignity 2.0 国際カンファレンス 3Days in 北海道

今年のカンファレンスの詳細は、こちらになります。興味のある方は、ぜひ一緒に参加しましょう。そして、北海道にお住まいの方は、オフライン会場でのロケット発射の瞬間を体験してみることをお勧めします。

2022年 Dignity 2.0 国際カンファレンス 3Days in 北海道 – 10月8日~10日 ヒルトンニセコビレッジでオフライン/オンライン/メタバースでトリプル開催!


今日も、読んでくださってありがとうございました。

武士道を読んで。ー第十四章 婦人の教育及び地位ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第十四章。

この章は、婦人・女性への教育と地位、つまり「女性と武士道のつながり」について書かれています。

一番心に残ったのは、武士道の中では、男性よりは女性の地位は低いもの、武士道は男性中心の精神性だった、というイメージが覆った点でした。

確かに、武士と言えば戦う人、戦うと言えば一般的に男性をイメージしがちです。

ですが、女性もなぎなたや護身術を習い、また、音楽や舞踊や文字を学ぶことは当然だったそうです。

それは、家庭を守る中心が女性(母)だからであり、家庭を健やかに保つ、そして守るためには、夫人は、死もいとわず命を捨てる覚悟で挑む。

家の外では主君と臣下の関係が、家庭の中では主人と妻の関係として、とても美しいシステムが連続二段階のような形で、できていたんじゃないか、と感じました。

他の章でも出てきたように、武士道での主君と臣下の関係は、ただ隷属するのではなく、もし主君の行いが天下の大道に反するものであれば、身をもってそれを制するというものでした。その精神が、夫と妻の関係にもあった、ということです。

さらに、家庭での子供の教育は妻に任されていた、ということですから、幼少期から日常で培われる武士道の精神は、母親からのものが多くを占めていた、と言えます。

地位に関しても、単純に比較できるものではなく、家の外では男性、家庭の中では女性、と、場面によって違うから一概には言えない、という見解でした。

夫婦で一体、という個人主義の国には見られない考え方が、「身内をほめることはしない」ということに反映されていて、それは夫もしくは妻を、自分の一部として認識しているから、という内容にも納得でした。

女性も実は、武士道という精神性の一部をしっかり担いかつ受け継いでいることを発見し、実感できる章でした。

今日も読んでくださってありがとうございます。

戦後77年目の夏

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今年は、太平洋戦争が終わり日本が敗戦してから、77年目となります。

1945年8月15日は、日本がそれまで一番大事にしてきた「何か」を手放した日。

そこから7年間のGHQによる占領が始まり、あらゆる言論統制が敷かれていたと聞きます。

一般人の郵便物の検閲まで、徹底的に統制されていたようです。

さらに、ラジオ番組では、一般の日本人が如何に事実を正しく知らされないまま、軍部に騙されていたか、といったことを暴くような番組が、自然な形で毎日流れ、大衆は自然に自然に、「日本は、なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう」と思うようになったと。

敗戦国ですから、戦勝国による思想統制は当たり前のように行われたでしょう。

さらに、東京裁判では、戦争とは関わった国々にそれぞれ理由があるとわかっていながら、歴史上はじめて日本だけが「戦争」という「犯罪」を犯した「国家」という烙印を押されました。パール判事という方、一人だけが、その判決に反対した、という話は有名です。

それから77年目。

7月7日の七夕の翌日、日本全体がショックを受ける大きな事件が起こりました。

まだ、事件の全容は解明されていませんが、この日本で、こんなことが起こるなんて、日本人も、世界中の人も、だれも予測してはいなかったと思います。

今、報道されている情報だけ見ても、犯人は一般の人、しかも現代社会を象徴するような立場の人の様にみえます。

そんな人が、一国の政治的リーダーを、一発で死に至らしめるというのは、どういうことなのか。

この出来事が、今、この日本に投げかけていることはどんなことなのか。

そして昨日は参院選がありました。

この国のことを、今まで以上に深く考えた人も多かったんじゃないかと思います。

ただ、結果としては自民党の圧勝。与党の圧勝。

大きく流れを変えるまでの結果には至らず、という印象です。

政治のことは話さない、信条については話さない、深い話はしない。

戦争に負けてから、この社会について、国について熱く語ることは、日本人にとって暗黙裡にタブーとされてきたと思います。

ですが、

これからの日本の行く末を、そして日本の現在地を、一人一人が自分の国のこととして考えるべきときに来ている、ここ数日はそんな風に感じます。

困っていること嬉しいこと、悲しいこと問題だと感じていること、当たり前に当たり前のことを、人目を気にせず、罪悪感なく安心して、何でも話せる雰囲気づくりを、どこでもいつでも、まず私自身から、チャレンジしていきたいと思います。

変化は、一番些細にみえる事から。

武士道を読んで。ー第十三章 刀・武士の魂ー 

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第十三章。

この章は、武士の魂である刀、について書かれています。

今回、これを読んで初めて、本当に武士にとって刀は「魂」なんだと理解しました。

なぜならば、

まず、武士は5歳になると、おもちゃの刀ではなく、「真剣」を与えられ、外出の際は必ずそれを携える、ということ。

さらに、身分を示すものでもあり、それを持つと同時に「自尊」と「責任」が伴う、ということ。

忠義や名誉の象徴でもあり、誤って跨いでしまうなどもってのほか、つまり、刀は武士にとって自分の「分身」でもあり、魂が宿っているものとして「呼び名」までつけられている。

神社には刀が奉納されていることも多いように、それは、ただ武器としてではなく、刀鍛冶は、霊感をもって芸術作品として刀を創作する、とありました。

だからこそ、刀は、崇拝の対象にもなったり、今でも国宝級の刀が大切に受け継がれていたりするのですね。

さらに、むやみやたらと抜くものではなく、正当な使用を求められ、濫用は×、と認識されていたそうです。

その事例として、勝海舟の話がとても印象的でした。

幕末の騒乱期、暗殺の対象に何度もあったであろう勝は、決して刀を抜かなかったそうです。刀を抜かずに、いかにして問題を解決するか。勝海舟に魅了され、180度の方向転換をした坂本龍馬の話は、あまりにも有名ですが、

本当の刀の遣い方は、そういうことなのでしょう。

決して抜かずに、目的を達成する。

誇りや、アイデンティティ、精神性の象徴。それが刀。

心が一番美しく、緊張感をもった目に見える形として現れたもの。

それが武士にとっての刀の本質なのかもしれません。

さて、現代の武士たちが、刀の代わりに持つとしたら、何を持てばよさそうでしょうか?

今日も読んでくださってありがとうございます。

武士道を読んで。ー第十二章 自殺および復仇の制度ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第十二章。

この章は、『自殺および復仇の制度』について書かれています。

武士の自殺といえば、言わずと知れた「切腹」のこと。

復仇(ふっきゅう)とは、あだうち、かたきをうつこと、を指しています。

この章は、かなり強烈でした。

切腹に関しては、実際にその場に立ち会った外国人が記した内容の記載もあり、物語とは違う事実の記述は、今までどんな映画やドラマで見た切腹よりも、とても強い印象を受けました。

そして、武士の切腹という行為には、人間が表現しうる精神性の、究極の姿、まるで【肉体よりも精神が勝ることを体現する姿】が映し出されているように感じました。

そして同時に、そこには「武士の哲学」というものが凝縮されているようにも感じました。

実際に、切腹は「最も高貴なる行為」とみなされていたそうです。

それは、あるときは罪を償う行為であったり、またあるときは、潔白を証明する行為であったとのこと。

腹部には霊魂が宿ると考えられていたため、「腹を切る」ということは、霊魂が汚れていないことを、自ら開いて示す行為でもあったようです。

切腹を命じられた兄弟が、8歳の子供でさえ、兄たちのやり方に倣い、静かに切腹するという記述に、武士とは、生まれた時からどれだけ高い精神性を教育されているのか、と驚きました。

最後の一人になるまで、大切なものを守るため、命を賭して戦う。アメリカが恐れたのは、その日本人の精神性だったと思います。

だからこそ、アメリカは日本に徹底的な空爆をし、原爆を2つも落とした。

そして、日本は敗戦を選択しました。

あれから77年。まもなく夏の盛り。終戦記念日がやってきます。

あのときの精神性は、すっかり失われてしまったのでしょうか?

武士道精神は、今でも私たちの生活のあちこちに残っているのを感じます。アニメや映画や、生活習慣や、日本人が、日常で当たり前につかう口癖のなかに。

今日も読んでくださってありがとうございます。

武士道を読んで。ー第十一章 克己ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第十一章。

この章は、『克己』について書かれています。

武士は「喜怒色に現さず」がよしとされ、感情を表にだすことは、男らしくないこと、と思われていたようです。

例えば、親だったら通常子供に対して「こうしたい」「ああしてほしい」等のいわゆる「親心」の感情を出すことは「弱さ」とされる。

何かに励んでいる忙しい子供には、あえて臨終を知らせなかったり、とくに父親が人前で、自分の子供を抱いてかわいがる、等は良しとされなかったり。

とにかく武士は「自制心」というものを日常でとことん鍛えられている。

私たちの日常でも、道徳的な感覚としてそれはあちこちに残っていて、「一番苦しいときこそ笑顔で」などは、様々なドラマや、親からの教え、学校の先生の講和等々にちりばめられていたように思います。

感情をみだりに見せないのが美しいとされる国民性。

自制するからこそ、文学(詩歌なのの表現)では、繊細な感情表現をするようになったのかもしれません。

以前、韓国出身の令和哲学者ノジェス先生から、「韓国では、感情を出すことが美しいとされている。」

と聞いた時は、心の底からびっくりしたのを覚えています。

大げさな感情表現をする隣国の国民性を、実は私はそれまで奇異な目で、しかもどこか嫌悪感さえ感じつつみていましたが、

感情を出すこと/出さないこと、にもその国が培ってきた歴史的な文化や背景が表れているのだと理解できてから、偏見はなくなりました。

そして、日本については、どれだけ心にストイックな国民なんだろう??としみじみ感じました。

心(ここでは感情、の意)の制御を、世界一トレーニングしてきたのが日本人と言えると思います。「心感覚」をマスターするために、準備されてきた国。

今日も読んでくださってありがとうございます。