武士道を読んで。ー第六章 礼ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第六章。

この章は、『礼』について書かれています。

一言でいえば、礼とは、型ではなく心だと、表現されていたように思います。

心とは、相手をおもんばかる気持ち。相手に尊敬の念をもって立場チェンジする気持ち。

西洋人は、日本人の礼儀を重んじる姿をみて

「なんとまあ、形ばかりの無駄なことを・・・」と思う場面が多かったのかもしれません。

でも、実際、よくよく観察してみると、それは、もっとも効率的で、もっともシンプルに集約された型、動作スタイルだということが見えてきたはず。

それが、茶道を例にとって書かれていました。

私も茶道を習ったことがあるので、分かります。

ひとつひとつの決まった動作は、覚えるまでは面倒に思うかもしれませんが、慣れてくると、実は一番無駄のない最短の動きだといわれます。

そこまで洗練され、無駄をそぎ落とされた型を「優美」とこの本では表現していました。

太極拳も、動作はゆっくりですが、実はスピードを上げると全部、戦う際の「型」になっている、と聞いたこと上がります。

長年の間に、最も洗練されて、無駄が一つもない型。

その型を日々繰り返せば、経済効率も非常によく、それが力にもなっていく。

私たちの日常でも、一番シンプルな型を見つけて(洗練させて)、それを日々繰り返して、力を蓄えていきたい。

そんな風にイメージすると、なんだかわくわくしてきます。

今日も読んでくださってありがとうございます。

武士道を読んで。ー第五章 仁・惻隠の心ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第五章。

この章は、仁について書かれています。

まず、愛、寛容、愛情、同情、憐憫、なかでも慈悲が一番重要だとありました。

仁とは、人のことですが、人の中でも、君主として立つ人の在り方、人の上に立つ人の在り方として、仁=慈悲の心が非常に大事だ、ということだと理解しました。

タイトルにある「惻隠」とは、かわいそうに思うこと、同情すること、だそうです。

同情とは、文字のまま受け取ると、相手の気持ち・感情と同じ感情を感じること、つまり、相手の気持ちを推し量りその気持ちに寄り添うこと、ともいえるかと思います。

相手の心と一つになるあり方、ですね。

四章の最後に、「平時の時に友に値するものだけが、戦時の敵となることを要求し、そのレベルになった勇が仁に近づく」とありましたが、

相手と一つになるからこそ、さらに高みを目指し、最高の敵同士(好敵手というとわかりやすいかもしれません)にもなれる、そんな風に感じました。

もう一つ、印象的だったのが、伊達政宗が言ったという格言、

「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」

にも、なるほどと思いました。

道理に固執したら固くなるし、相手に寄り添いし続けて一緒に悲しんでいるだけでは物事は前進しない、なんだか、男性性と女性性ともつながるように思います。

男性は、正しいことを言って道理で解決しようとするし、女性は気持ちに共感するだけでほぼほぼ解決したり・・・と。(ただ共感してほしいだけなのに、解決策を理路整然と提示されて切れそうになった世の女性は多いはず(笑))

いずれにしても、ここまでの義と勇のバランスととるのが、仁、というイメージも来ます。

日常生活でも、正しい道理を通すことに偏りすぎると、かなり疲弊してしまいますよね。そんなときは、すべてとひとつになる(nTechからみたら、「源泉動きひとつしかない」ですが)仁をイメージすると、心が安らぎそうです。

今日も読んでくださってありがとうございます。

武士道を読んで。ー第四章 勇・敢為堅忍の精神ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第四章。

この章は、「勇」について書かれています。

印象的だったのは、「義を見てなさざるは勇なきなり」というフレーズ。

論語で説かれている言葉だそうですね。

今までよく聞いてきたフレーズですが、改めて理解するととても重要なものだとわかります。

三章に、「義」についての説明がありました。

その義があってこその勇であり、義のない勇は、レベルが低いものになります。

つまり、なんの脈絡もなく、自分の力の強さを示すだけの勇は、めちゃカッコ悪いじゃん、ということ。

死に値しないのに死ぬことは犬死とか、正しい道理(=義)に沿わずに、ただ無鉄砲に、もしくは無駄に死ぬのはよろしくないこと、と理解されます。

更に、最後書かれていた、上杉謙信から武田信玄への「敵に塩を送る」エピソードは、武力で闘う敵同士は、それ以外(敵の領地での食料(この場合は塩)などの窮地に対して)のことでは協力する、という、まさに「義」を通す「勇」の例えでした。

日本人だったら幼いころから叩き込まれている「卑怯なことはしちゃいけない」「正々堂々と」といったイメージは、まさに「勇」のエッセンスがしっかり含まれているなあと感じます。

武士道は、私たちの日常のあちこちに、今も根付いていますね。

今日も読んでくださってありがとうございます。