座右の銘には、前置きがあった。

mountain covered snow under star

人生は、勇気ある冒険か、さもなくば無だ。』

たしか、20才ごろに出逢った言葉ですが、それ以来、長いこと私の座右の銘でした。

過去形で書いたのは、40代を超えてから、この座右の銘がそれほど響いて来なくなったから。(私もすっかり落ち着いちゃったのかな・・・(笑))

若い時は、ワクワク、そして心が引き締まるような、何かに掻き立てられるような感覚で、このコトバを反芻していました。

最近、このフレーズをメモした紙が出てきました。

そこには、すっかり忘れていた、このフレーズの”前置き”が書かれていました。

久しぶりに宝箱を開けてみたら、自分でも忘れていたお宝を再発見!したような、そんな嬉しい気持ち。

そこに記してあった前置きは、以下のような言葉でした。

人生最大の悲劇は多くがその夢を実現できないことにある

それはリスクを恐れるからだ

人生は勇気ある冒険か、さもなくば無なのだ。

ギルバート・キャプラン


ギルバート・キャプランさん、どんな人だったのか、全く記憶がなく、

作家だったか冒険家だったか・・・?と、ネットで検索してみました。

すると、音楽にはまったくの素人だった実業家の男性で、でもマーラーが大好きで、難曲と言われる「復活」という交響曲の指揮にチャレンジしたところ大絶賛され、有名になった方だそうです。

つまり、普通なら誰もチャレンジしない、チャレンジしようとも思わないことにチャレンジして、思いもよらない結果を得た、そんな人のことばだったようです。

そして、さらに調べてみると、

人生は勇気ある冒険か、さもなくば無なのだ。

という言葉は、ヘレンケラーのことばとしても有名だそうです。

ヘレンケラーも、普通ではあり得ないことに挑戦した人として、本当に有名です。

実際に挑戦して、そしてその結果、突破した過去の偉人たちのことばには、説得力があり、勇気を貰えます。

でも、今、この瞬間も、チャレンジし続けている人たちは世界にたくさんいて、その一つ一つのチャレンジは、見える結果に繋がらなかったとしても、その価値は計り知れません。

そして、一ついえることは、結果までつながった人の共通点は

あきらめなかったこと。

若い時は、リスクを恐れない勇気に魂を揺さぶられましたが、年を重ねると、あきらめないこと、あきらめずにチャレンジし続けること、それが実はとても難しく、そして難しいからこそ大きなことだと感じるようになりました。

あきらめない心はどこから生まれるのでしょう?どうしたら、そのモチベーションを保ち続けることができるのでしょうか。

最近知ったショーペンハウアーという哲学者は、人間には、生への盲目的欲求があり、そこからは誰も逃れることができない。しかも、人生は苦痛か、苦痛から逃れた先にあるのは退屈、そのどちらかを振り子のように繰り返す、と言っていたそうです。

苦痛から逃れたい、その思いにはモチベーションが働きますが、苦痛から自由になってしまったら、一気にそこまでのモチベーションは消え、退屈になってしまう。これは、夢を持てば頑張れる、でも、夢が叶えば途方に暮れる、または、衣食住に困らなくなった先進国の憂鬱といったイメージともつながります。

若い時は、ああなりたい、こうなりたい、と夢や希望に燃えて勝手にエネルギーが湧いてきたのに、年を取って経済的にも豊かになり安定して、先が見えてくると、何に情熱を燃やしたらよいかわからなくなる、そこともつながりますね。

あきらめない心、持続的にモチベーションを持ち続けることは、難しいものです。

あきらめない心は、いったいどこからうまれるのでしょう?

すべての存在を、変化運動移動している力の源泉。宇宙を137億年ずっと進化成長させ続けている力の源泉。

そこに、枯れないモチベーションの秘密があります。

その源泉動きを、人生に活用応用して生きることを可能にするのが、令和哲学でありnTechです。

今日も、読んでいただいてありがとうございました。




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誰もが実はヒーロー(英雄)だった!?

今日は、誰もが実はヒーロー(英雄)だった!?というテーマで書いてみたいと思います。

突然ですが、ふと思い出しました。

昔、「あんたが大将!」という歌がありました。

お!もしや「誰もがヒーローだよ!」と既に歌っている歌だったのか?

と思って調べてみたら、全然違ってました(汗)

どちらかと言えば、

”人生そんなに簡単に上手く行かないけれど、今宵だけは「あんたが大将!」と持ち上げて、いい気持にさせてやるよ!”といった内容・・・

40年以上前の海援隊の歌でした。でも、このころの武田鉄矢さん、若くてかなり反骨精神がある目をしていますね。

はい。雑談でした。

でも、誰もがヒーローになれる、あなたもヒーローなんだ、といわれても、
「何を持ち上げようとしてるんだか」
「おだてたって何もでないよ」
「単なる理想論でしょ?」
そんなふうに思いやすいですよね。

誰もが実はヒーロー(英雄)、なぜこれを書こうと思ったか、といえば、今、時代的にも、どんどん人間の存在意義が小さくなってしまっているからです。

昔は、尊敬される人、憧れの人、そんな分かりやすいモデルとなる人物がいました。大統領、政治家、先生、銀幕のスター、歌手、等々。

でも、時代は進み、価値観が多様化して、インターネットの普及やSNSの広がりによって、更に価値観はどんどんバラバラになり、どんな人物像を目指せば、多くの人にとって貢献でき、模範となるような生き方ができるのか、様々な情報に触れれば触れるほど、判断がつかなくなり、皆目分からなくなってしまったのが、今の時代です。

更に、AIの台頭により、人間の仕事は奪われ、多くの人は、ベーシックインカム、つまり配られたお金で静かに暮す、いわゆる「無用者階級」が量産される社会が、それほど遠くない未来に来る、と予想されています。

誰もが、自分とは何なのか?何のために生まれたのか?どこに向かって、何を目指して生きたらよいのか?そんな本質的な問いに答を持たない限り、「無用者」となってまで、何のために生き続けないとならないのか分からない、人間として、なんとも生きにくい世の中になるでしょう。

そんな時代だからこそ、自分のことをまず自分自身が、とても尊く、そして勇気をもって非凡なことを成し遂げる存在、つまりヒーローだと認識できることは、かなり重要ではないでしょうか。


では、どうしたら、「自分がヒーローだ」と思えるのでしょうか?

結論から先にいうと、だれもがヒーローであることを気づかせる、その役割をするのが令和哲学です。

哲学は、認識主体を啓発するもの。

今、あなたが見ている、聞いている、この現実画面は、認識の結果物、つまり認識対象です。

あなたの身体も実は、認識主体ではなく、認識対象になるのです。

これは、カントが既に18世紀に「純粋理性批判」で語っている内容です。

認識主体を啓発していった先には、カントでいえば「物自体」があり、そこに、「誰もが実はヒーロー」と言い切れる鍵があります。


令和哲学カフェでは、ヒーローたちが生み出す新産業、「英雄産業」についても語っています。多くのヒーローが、新しい概念を生み出し、新しい産業を興していく、そんな未来が語られています。

興味のある方は、ぜひご覧ください。

今日も読んで頂いて、ありがとうございました。


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もっと自由に生きたい、と思ってはいけないのか?

もっと自由に生きたい。

もっと自由に羽ばたきたい。

今いるところが、とても窮屈に感じてしまう。

そんなことってありませんか?

以前の私は、

・実家を離れる高校時代まで
・バイトして好きなことして、やりたい!と思いつくことはほぼ一通りやったバブル真っ盛りの大学時代
・順調に就職して経済的にも自由、毎年海外旅行に行くのがお約束の会社員時代

といった、人生のどんなシーンでも、「もっと自由に生きたい」そう感じていました。

客観的に見て、どんなに自由を謳歌していたとしても、いつも何かに縛られている感覚。


自分を縛っているもの。それが、「自分自身」だと気付いたのは、20才のとき、憧れの国、アメリカに1.5カ月のホームステイにいった帰りの飛行機の中でした。

なぜ、その時、それに気付いたかというと、当時の私は、「自由の国アメリカ」にものすごく憧れを持っていて

「この閉塞感、閉塞的な気分は、アメリカに行けば解消されるに違いない!だって、アメリカは自由の国なんだから!」

と、かなり本気で思っていたのです。

でも、実際行ってみると、そこで感じたのは

「ん?なんか思ってたのと違うぞ?」

という違和感でした。

もちろん、さばさばしていて、細かいことは気にしない、言いたいことはハッキリ言い合う、といった、いつも堂々としてあっけらかんとした感じに、日本との違いは感じました。でも、私にとっては、それが「自由であること」とは直結しませんでした。

逆に、アメリカに行って、短期間ですがアメリカ人と一緒に生活したことで、日本人としての「感覚の違い」(例えば、言わずに察する、まず相手に気を配る、等)を明確に実感して、しかもそちらの方が心地よいとまで感じて、「あ、私は日本人なんだ」と初めて自覚したのです。

ちょっと思い出話が長くなりました(笑)

はじめに戻って・・・


もっと自由に生きたい!と思うこと。

それは、全く悪いことではありません。

逆に、自由に生きたい!と思い、20才で、環境を変えれば自由になれるわけじゃない、自由にさせていないのは、自分自身だと気が付き、自分の変化が必要だ、と悟った私も、

その自分自身から本当に自由になれるメソッドと出会えたのは、それから10年以上後のことでした。

その10年以上の日々は、今思うと、絶望の連続でした・・・(汗)

でも、そのひとつひとつの絶望は、本当の絶望ではなく、ある意味、究極の絶望(=究極の問題一点)の副産物だったんだ、とうことが今ではよくわかります。

その、本当の絶望に出会えて初めて、

長年追い求めていた、「自由」と出会うことが出来ました。

自由を追い求めたからこその出会い。諦めない限り、必ず出会うことができます。

今日も読んで頂いてありがとうございました。

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瞬間、という言葉の美しさ

瞬間:瞬きする間

日常で何気なくやっている瞬き。

瞬きする間のことを瞬間と言うのですね。

ほんの短い時間を表す言葉。

日本語とは面白いものです。

そのあっという間の時間にも、「間」という言葉が入っています。

あっという間にも「間」という言葉が入っていますね。

この「間(ま)」

令和哲学を理解するために、とても重要な概念ですが、一瞬の時間を表す言葉にも、この間の概念が入っていることに、日本人独特の、本質と繋がる繊細な感覚を感じました。

この一瞬にも、間があって、それが、

本質と現実を繋いでいます。

すべての美しさを凝縮したようなことば。瞬間。

今日も、読んで頂いてありがとうございました。

男性も妊娠・出産できるようになる??

question mark illustration

令和哲学カフェ、第3期が始まりました。

今期のテーマは「女性性哲学」。

そして、昨夜は、

「男性も妊娠・出産できる女性性とは、どういうことなのか?」

というテーマで、ディスカッションが行われました。

令和哲学でいう男性性、女性性は、とても独特です。でも、そこにはすごく納得感があります。

今までの男性性、女性性は、身体を中心にして語られてきた、いわば「空間的な」男性性・女性性でした。

令和哲学でいう男性性と女性性は、今までと、今ここから。今までの人間の全ての歴史文明が男性性だった。そして、今ここからは女性性、というように、「時間軸で」みています。

男性性の文明を脳を中心にしてきた文明、そして、女性性の文明は心を中心にする文明、ともいえます。

今までは、獲物という敵・目標に向かって団結する「狩の文化」、これからは、すべての観点を鍋に溶かして美味しい料理に仕上げる「料理の文化」、という表現もありました。

nature sky man arm
Photo by Mikhail Nilov on Pexels.com
vegetables and tomatoes on cutting board
Photo by Pixabay on Pexels.com


狩りの文化は、敵に対しては団結できるけど、内輪もめが終わらない。敵を倒しても倒しても、また新しい敵が生まれる。本当に人類の歴史を「言い得て妙」でした。

対して、料理の文化は、敵をつくって団結するのではなく、敵も味方も、鍋の中に全部が解けてなくなってしまって、ワクワクするような、まったく新しいものが生まれる。

まるで、絵本「ぐりとぐら」みたいです。

大きなホットケーキをつくって、森のみんなで美味しく楽しく食べる。

stack of pancakes with strawberry fruits
Photo by Chokniti Khongchum on Pexels.com

男性性と女性性のイメージを使うと、令和哲学の概念がとてもイメージしやすくなるように感じます。

そして、本当の女性性に行くためには、「究極の絶望」に行くこと(但し、体験・経験ではなくイメージで)が、とても大切で、すべての苦しみ悲しみを超えたときに、「究極の希望」に行ける、というコメントがとても印象的でした。

77億の絶望を全て集めた究極の絶望、その絶望でひとつになること。それが、実は究極の希望のスタート。

今日も読んで頂いて、ありがとうございました。


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傾聴ができるようになるために知らなければならない、たった一つのこととは?

photo of a boy listening in headphones

今日は、「傾聴」について書いてみたいと思います。

人の話しを聞くこと。話すことよりも、聞くことの方が難しい、とよく言われます。

昔、令和哲学者のNohさんから、「本当に人の話しが聞こえるようになるには7年かかる」と言われたことがあります。話せるようになるのは1年で十分。話が聞けるようになることが、どのくらい難しく、そして大切なのことなのか、このワンフレーズだけでも身に沁みました。

そして、コミュニケーションの世界は、どのくらい誤解に溢れているのか。

どのくらい、自分勝手な解釈で、相手の話を聞いてしまっているのか。

しかも、全く悪気なく。

今日は、なぜ、そのように誤解に溢れてしまうのか、ということについて触れたいと思います。

分かりやすく言えば、一人一人、人生を通して体験経験してきたことは、全く違います。

自分と全く同じ体験経験をしてきた人はこの世に一人もいません。

これは、双子であっても同じことが言えます。

そして、人は、その人独自の体験経験を土台に、その人独自の判断基準(アルゴリズム)をつくりあげています。

昨日も少し書いたように、ある単語を聞いて、浮かぶイメージが人それぞれ違いがあるように、同じ話を聞いても、精密に見れば見るほど、10人いれば10通りの解釈が生まれているのです。

これは、飲み物に例えると、分かりやすいと思います。

既に自分のコップの中にはコーラが入っている。

glass of cola poured from bottle
Photo by Karolina Grabowska on Pexels.com



そして、相手の話は牛乳です。

close up of milk against blue background
Photo by Pixabay on Pexels.com



自分のコップを空にせず、相手の牛乳が入ってしまったとしたら?

「・・・・・!?」牛乳とはかけ離れた、想像しがたい味の飲み物になってしまいます。

そして、その味を「相手の話」として解釈して、相手を理解したつもりになってしまうのです。


なかなかホラーな話ですよね(汗)

混ぜるな危険

ほんとうにそうなのです。



では、どうすればよいのでしょうか?

それは・・・



まず、自分のコップを空にすること。



シンプルに、それだけです。

自分のコップに入っているものを、まずゼロ化すること。そうすれば、相手の牛乳を、牛乳本来の味で、美味しく味わうことが出来ます。


傾聴ができるようになるために知らなければならない、たった一つのこと。

それは、まず、自分のコップを空にすること。


今日も、読んで下さって、ありがとうございました!



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感情をコントロールするには?

なぜか思うように行かない、落ち込んでしまってなかなか出口がみえない。そんな、どうにもならないときってありますよね。

気分転換すればいい、環境を変えればいい、といわれても、週末の気分転換も一過性で、月曜日に仕事に戻れば、また一気にテンションが下がってしまったり、環境を変える=仕事をやめてしまうことも簡単にはできないし・・・

感情のコントロールは、本当に難しいものです。

最近は、アンガーマネジメント、という言葉も聞かれるようになり、感情のコントロール手法について、本屋さんや、ネットで検索するといろいろな情報が出てきます。

angry black woman screaming in room
Photo by Liza Summer on Pexels.com

私も、少し調べてみたところ、

発達障害のお子さん向けの対処方法が書かれた記事や、

感情をコントロールするための7つのポイントが書かれた記事を見つけました。

こちらも、良く整理されていて、対処方法としては有効だと思うので、参考にされるとよいかと思います。

ただ、ご紹介した記事には、「生まれてしまった感情」への対処方法は書かれていましたが、

感情がどのようなしくみで生まれるのか、感情が生まれる出所、原因までは残念ながら言及されていません。

(一部、「感情がうまれるポイントを見極めましょう」という記載はありますが、いったい、そのポイントが何なのか(what)、そしてなぜそれが生まれるのか(why)、そしてどのように見極めたらよいのか(how to)、という詳細はここには書かれていませんでした。)

何事も、まず原因を知って、そこに対してしっかり対処して初めて、本当の解決になります。


例えば生理痛も同じ。

A子さんは、毎月辛い生理痛の痛みを、痛み止めを飲むことで解決していましたが、そのうち痛みがひどくなって、痛み止めを飲んでも効かなくなってしまいました。痛み止めの量を増やしましたが、胃もあれるし、効かないし・・・と困り果てて、いろいろ調べた挙句、血液循環や冷えが原因だったと知って、食生活を大幅に改善して、身体を温めることに終始したら、数か月後には、すっかり痛みが治まった。

(あくまで、生理痛については、A子さんの場合の一例です。)

痛み、という結果に対して薬で対処するだけではなく、根本原因を解決することが、急がば回れだったとしても、本当の解決には近道だった、という例えです。

感情についても同じ。

自分自身の感情が、どこから、どのように生まれているのかを知って、その原因にしっかりアプローチすることで、勝手に出てくる感情に振り回されたり、出てきた感情に、その場その場で対処するだけで終わるようなことはなくなります。

それだけではなく、自分の感情をコントロールできるようになれば、自分以外の周りの人の感情が、どのように生まれているのかもよく分かるようになったり、自分で感じたい感情を、自ら、積極的に、能動的に今ここ創り出すことも可能になります。

例えば、私自身のことをお話すると、以前は、人に嫌われることが何よりも怖くて、嫌われれば尋常じゃないくらいどーんと落ち込むので、八方美人と言われても、とにかく相手に合せて、相手の顔色を窺い、気分を害さないようにと、必死でした。

でも、いつも周りに気を遣いすぎているので、週末はぐったり、誰とも会いたくないような状態になる。でも、好かれようと頑張ることをやめられない。つまり、自分でも変だなあと思っても「嫌われたくない」そして「嫌われるのが怖い」という感情を、コントロールできませんでした。

でも、その感情がどこからどのように生まれるのかがハッキリとわかって、さらに、その感情の出発のゼロ化にも成功したので、今では、「嫌われたくない」という感情に振り回されることはすっかりなくなりました。

さらに、それだけではなく、お互いにとってよりよい関係性を創れる感情を、自ら積極的に創り出すこともできます。

感情がうまれる「仕組み」は人間だれでも共通で、これはnTech(認識技術)が解明しています。

そして、その仕組みに沿って、具体的に今ここどんな感情が生まれるかは、一人一人の個性がありますが、これは、nTechを応用した「無意識エンジン発見セッション」によって見えてきます。

そして、さらに、発見された根本原因に対して、お薬まで処方するのが「感情手術」という施術です。

感情手術は、NohJesu氏が以前、令和哲学カフェで実際に施術した際の動画がありますので、よかったらぜひご覧ください。クライアントさんの表情が前後で大きく変化した様子等、ご覧いただけます。

令和哲学チャンネルより



感情のコントロール、対症療法ではなく、根本治療に興味のある方は、ぜひこちらもご覧ください。

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ある数学者について。

今日は、ある日本の数学者について、書いてみたいと思います。

なぜ、これを書こうと思ったかというと、実は、哲学と数学には、意外な共通点があることを知ったからです。

昨年は、令和哲学カフェをオンラインで毎晩見ながら、今までの人生で全く縁のなかった西洋哲学を聞きかじることができました。

宗教は信じることからスタート、哲学は疑うことからスタート。

疑い深い私には、実は哲学は合っているのかもしれません(笑)

そして、その哲学が数学と「似ている」と知ったのは、もう20年前のこと。

当時、母校の同窓会に参加した私は、数学科卒業だという大先輩から、母校の名誉教授で著名な数学者であった岡潔先生のことをお聴きしました。そのお話が、非常に印象的だったので今でもよく覚えています。

岡先生は、「数学と哲学はとても似ている」と話されていたそうです。どちらもどこまでも論理的に突き詰めるものだから、と。当時の私は、哲学は「心に関すること」とざっくりとらえていて、心構えや考え方といった、どちらかというと精神論に近いものだと思っていたので、哲学もどこまでも論理的だ、と聞いて、非常に意外に思ったことを覚えています。ただ、最近、岡先生のことを少し調べてみたところ、実はもっと深くかつ柔らかいイメージを持たれていたことが分かりました。


岡自身によれば、岡は「純粋な日本人」であり、日本人として持っている「情緒」に基づいて、その数学的世界を創造した。岡はこのような自身の体験に基づいた随筆をいくつか書いていて、一般にはむしろそちらの方でよく知られている。

三高時代、岡は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていた。この見えざる数学の本体に迫ることと、仏教的叡智や情緒の探求は岡にとって表裏一体であったと考えられる。

引用元:Wikipedia『岡潔』より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%BD%94




現在、すべての学問の頂点にあるのが数学と言われています。それは、目で見て観察できることを基準とする物理学で証明しきれない部分を、概念知識である数学(数式)によって解き明かせるから。

例えば、ヒモ理論のヒモ、やM理論の膜といった概念は、実際には観察した結果としての存在は実証はされていないけれど、数式や計算上ではつじつまが合う、という段階にあります。

つまり、現実的に観察できていなくても、数式で理論上証明できていれば、あとは実証を待つばかり、と言うことですね。近年、すべての光を吸収してしまうため観測は難しいとされていたブラックホールが観測(撮影)された、というニュースもとても大きく取り上げられていました。

哲学は言葉による概念によって、数学は数字による概念によって、この世の理(ことわり)を明らかにしようとする学問。どちらも西洋から来たものですが、この記事を読むと、

岡先生は、数学と哲学を表で、その裏に仏教を見ていたのかもしれません。

令和哲学は、0=∞=1というシンプルな数式で、仏教の世界と、数学の世界をシンプルに説明する概念でもあります。

さらに、令和哲学では、様々な西洋哲学も、そのシンプルな概念から解析し、歴史上の哲学者たちが何を、どこまで伝えようとしていたのかを、非常に分かりやすく解説しています※。

(※詳しくは、nTech Online Univ.に、令和哲学カフェのアーカイブ動画が掲載されていますので、ご興味のある方はご覧ください)

そして、一番重要なのは、今ここで、一瞬前の自分の考えすら手放して、新しく認識を構築することができること。

死生観も超えて、死の恐怖から自由になり、絶対的な安心感からいつも出発できる。

となりの人を愛しく思えること。そして自分自身も愛しく思える。

しかも無理やりではなく(笑)

これが、特定の人、何十年も苦行した果てにたどり着く境地ではなく、いまはたったの3日間で、到達できてしまう、そこまで体系化できています。

岡先生が探求し、目指されていた境地も、そんな境地だったのではないかと思います。

ひとりひとりが、心の底から安心して、∞の可能性を存分に発揮できる教育であり哲学を、日本から世界に発信する準備は、すでにできています。

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オリンピックについて考えてみた。

お久しぶりです。ここ半年(実際は1年)程、かなり集中して取り組む必要のある案件に関わっていたので、更新がすっかり止まってしまいました。

これからまた、少しずつ、令和哲学のことや日々のこと、関心のあることや、そらまめが提供しているサービス全般についても、書いていきたいと思います。

今日は、オリンピックについて思うことを少し。

今、オリンピックの開催について、否定的な人が多いようですね。

東京五輪・パラリンピックを今夏開催するべきだとした人の割合は24・5%、再延期するべきだは32・8%、中止は39・2%で、いずれも3月の前回調査の23・2%、33・8%、39・8%から横ばいだった。

2021/4/15日刊スポーツアンケートより引用 https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202104150000121.html


中止・再延期を望む人が、75%近くに上るようです。

諸外国の意見も、民間の調査によると過半数が開催に否定的だということです。

世界中の人が日本に集まり、コロナの新しい変異株ができることを危惧する声や、今も医療体制が大変な中、感染が起こった場合、選手たちを優先するのか、それとも日本人を優先するのか等、いろいろなリスクが考えられますから、無理して開催するよりはしない方が、明らかにリスクは低い、となるのはよく分かります。

直近のことを考えればたしかに、リスクが低い方を選びたくなりますよね。

そもそも、この問題は、日本のコロナ対策が、なかなか思うように進んでいない影響が、かなり大きいと思います。

日本のこれまでのコロナ対策を諸外国と比べてみると、欧米の様にハッキリとロックダウンをするわけでもなく、様子をみながら、なんとなくなんとなく、良い方向に向かえばよいな、といったスタイルで、どうしても「曖昧さ」を感じてしまいます。まさに、合言葉は「がまん」。

そして、飲食店に偏って制限を強いる緊急事態宣言や、蔓延防止法。一部の業種に特に大きな我慢を強いるスタイルは、「それなら、一斉にロックダウンしてウィルスを押さえ込んだ方が、公平性もあるし短期間で済んで効果的なのでは?」という意見も、飲食業界以外からも聞こえるようになっている現状もあると思います。

そんな中、オリンピック、さあどうするか、いよいよ判断を迫られているこのタイミング。

今の状態からみたら、開催を危惧して反対する意見が多いのは分かります。

でもしかし・・・

10年後、20年後の未来から見たら、どうでしょうか?

戦後の高度経済成長を経て、バブル崩壊を経験し、ものづくり中心に経済を成り立たせていくことがどんどん難しくなる中、次の産業が期待されつつも、ITに関しては、日本は今や中国・台湾に較べて後進国となっている現状。

コロナで観光産業もストップし、その目玉だった東京オリンピックも延期となり、もともとオリンピックのあとの日本はどうなるのか?と危惧されていたところに、コロナが長引いていることによる今回の延期か中止か、というオリンピックの開催を危ぶむ議論。

このまま、再延期はないと言われている中、オリンピック開催をただやめてしまえば、日本に、どんなメリット、そして未来がありそうでしょうか?

勇気ある挑戦を避け、成熟したあとの衰退をたどる斜陽の国、そんなイメージが加速する未来が、そこには見えてくる気がしてなりません。

もしも、ここで、「感染対策をしっかりやって、体制も整えてオリンピックやりましょう!」と力強く宣言し、実行するリーダーシップがあったなら、日本人であれば、様々な細かいことまで考えて万全に準備して、世界の選手団を迎え入れ、そして安心して競技をしてもらい、世界中に、「コロナ禍のなかでも、日本の人たちの団結によって、オリンピックが開催できた!」という、希望が示せるのではないかと思います。

日本が世界に示せるのは、自国のことだけを優先して、小さくとどまる姿ではなく、東日本大震災で見せた、大変な状況でも整然と並んで順番を待つような、世界中が大変な中でも、人間の精神の美しさを、その姿勢や態度でみせることではないでしょうか。

そして、今更ではありますが、このコロナパンデミックが始まった当初、いち早くウィルスの特性を解説し、日本式ロックダウンを提案して、心のコロナ、経済のコロナ、体(健康)のコロナに対処しようと発信していたのが、令和哲学者NohJesu氏でした。

令和哲学チャンネルより



そして今も、ポストコロナオンライン会議を通して、コロナ禍の今、様々な分野で活動する方々のリアルな声を聴きながら、これから日本が選択するべき道を、継続して提案し続けています。

令和哲学チャンネルより。ポストコロナオンライン会議アーカイブ動画



もしも1年前、日本が思い切って、日本式ロックダウンに踏み切っていたら・・・と残念に思う気持ちもありますが、”すべてを根源的な仕組み、メカニズムで解明し整理する令和哲学”が、まだ世の中でメジャーになっていない中では、困難な選択であることも理解できます。

今となっては、間に合わないタイミングに来ていますが、それでもまだ、日本が世界に示せることはあると思います。

これは、あくまで個人の意見ですが、多くの日本人は、「やろう」と決めたら、必ずやると思います。

日本が世界を感動させる。その一場面として、ぜひ、東京オリンピック、開催して欲しいと思っています。


●情報過剰な時代の羅針盤、NohJesuリテラシーマガジンはこちら。
https://www.literacy.noh-jesu.com/


あるものはある。ないものはない。

令和哲学カフェ、11月末から第2期が始まり、現在5日ごとにファシリテーターが交代して進められています。

1期は、全123回を、令和哲学者Nohさんが一人でリードし、これまでの哲学の壮大な歴史を一気に、そして丁寧に整理しながら、新時代の哲学【令和哲学】を提案しました。

そして2期は、1期を土台に、令和哲学を学んだメンバーが、テーマを選んで会を進行しています。

ファシリテーターによって、個性とテーマが融合して、とても見応えのある内容になっています。

今週は、令和哲学カフェから誕生した若き哲学者【大川 まこと】さんが

ー存在の謎解き編ー

と題して、存在、つまり、「ある」と「ない」についてアプローチしています。

これがまた、面白い。

パルメデウスは、

「あるものはある、ないものはない」

と言い切ったそうです。

何てシンプル~!!と痺れました。

2500年前、古代ギリシャの哲学者ですが、彼は、存在について探求した、初めての哲学者だったそう。

感覚というものは、「あるものをない、ないものをある」と思う、変化するもの。

だから感覚なんてものはニセモノだー!!!と言い放ったパルメデウス。

この宇宙神羅万象、すべてあったりなかったり変化するもの。

なので、まさに、脳が映し出す世界は全て偽物。

全てを生み出す「源泉的な動き一つだけがある」と言い切る令和哲学とめちゃめちゃ通じますね。

そして、今ここの現実は、その源泉的動きひとつが、見ている夢。

若き哲学者が語る、令和哲学との出会いで

今まで「ある」と思っていたものを土台にしてきたすべてがきれいに消えていく経験。

そして、それだけじゃなくて、今までの「ある」がなくなったところから、新しい感覚を付けていく楽しさ。

そんなことを語ってくれています。

なにより、とってもシャープに丁寧に、出演者の話を聞きながら整理していく若き哲学者の姿が、

日本の未来への希望と重なる、令和哲学カフェの夜でした。

今夜は、大川さんのリード最終日。

令和哲学の真打、令和哲学者、Nohさんも登場する、わくわくする回。

今夜も楽しみです!

【令和哲学カフェHP】はこちら
※とっても充実しているのでぜひ覗いてみて下さい!