武士道を読んで。ー第五章 仁・惻隠の心ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第五章。

この章は、仁について書かれています。

まず、愛、寛容、愛情、同情、憐憫、なかでも慈悲が一番重要だとありました。

仁とは、人のことですが、人の中でも、君主として立つ人の在り方、人の上に立つ人の在り方として、仁=慈悲の心が非常に大事だ、ということだと理解しました。

タイトルにある「惻隠」とは、かわいそうに思うこと、同情すること、だそうです。

同情とは、文字のまま受け取ると、相手の気持ち・感情と同じ感情を感じること、つまり、相手の気持ちを推し量りその気持ちに寄り添うこと、ともいえるかと思います。

相手の心と一つになるあり方、ですね。

四章の最後に、「平時の時に友に値するものだけが、戦時の敵となることを要求し、そのレベルになった勇が仁に近づく」とありましたが、

相手と一つになるからこそ、さらに高みを目指し、最高の敵同士(好敵手というとわかりやすいかもしれません)にもなれる、そんな風に感じました。

もう一つ、印象的だったのが、伊達政宗が言ったという格言、

「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」

にも、なるほどと思いました。

道理に固執したら固くなるし、相手に寄り添いし続けて一緒に悲しんでいるだけでは物事は前進しない、なんだか、男性性と女性性ともつながるように思います。

男性は、正しいことを言って道理で解決しようとするし、女性は気持ちに共感するだけでほぼほぼ解決したり・・・と。(ただ共感してほしいだけなのに、解決策を理路整然と提示されて切れそうになった世の女性は多いはず(笑))

いずれにしても、ここまでの義と勇のバランスととるのが、仁、というイメージも来ます。

日常生活でも、正しい道理を通すことに偏りすぎると、かなり疲弊してしまいますよね。そんなときは、すべてとひとつになる(nTechからみたら、「源泉動きひとつしかない」ですが)仁をイメージすると、心が安らぎそうです。

今日も読んでくださってありがとうございます。

武士道を読んで。ー第四章 勇・敢為堅忍の精神ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第四章。

この章は、「勇」について書かれています。

印象的だったのは、「義を見てなさざるは勇なきなり」というフレーズ。

論語で説かれている言葉だそうですね。

今までよく聞いてきたフレーズですが、改めて理解するととても重要なものだとわかります。

三章に、「義」についての説明がありました。

その義があってこその勇であり、義のない勇は、レベルが低いものになります。

つまり、なんの脈絡もなく、自分の力の強さを示すだけの勇は、めちゃカッコ悪いじゃん、ということ。

死に値しないのに死ぬことは犬死とか、正しい道理(=義)に沿わずに、ただ無鉄砲に、もしくは無駄に死ぬのはよろしくないこと、と理解されます。

更に、最後書かれていた、上杉謙信から武田信玄への「敵に塩を送る」エピソードは、武力で闘う敵同士は、それ以外(敵の領地での食料(この場合は塩)などの窮地に対して)のことでは協力する、という、まさに「義」を通す「勇」の例えでした。

日本人だったら幼いころから叩き込まれている「卑怯なことはしちゃいけない」「正々堂々と」といったイメージは、まさに「勇」のエッセンスがしっかり含まれているなあと感じます。

武士道は、私たちの日常のあちこちに、今も根付いていますね。

今日も読んでくださってありがとうございます。

武士道を読んで。ー第三章 義ー

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新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。

今日は第三章。

この章で一番心に残ったのは、義が武士にとって最も重要であるということ。そして「義理」の本来の意味は「正義の道理」だという点。

なぜ、それが心に残ったのかと言えば、この宇宙自然を貫く法則が、義であり、それを道として理論体系化したのが「義理」だと感じたからです。そして、それをもっとも重要視するのが武士の生き方。

やはり、死と常に隣り合わせの職業だったからこそ、その精神性は、人間の肉体を持続させるためだけの道理ではなく、いかに死ぬか、つまりどう生きるか、どんな道理に従って生きて死ぬか、そこに意識が集中していったんじゃないかと感じます。

これから、日常でも、すべてに一貫して流れている道理と一つになって「義」を生きたい、そんな風に感じました。

今日も読んでくださってありがとうございます。

武士道を読んで。ー第二章 武士道の淵源ー

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武士道には、仏教と神道の要素が入っている、と第二章では書かれています。

剣道の達人が、すべての技を教えた後で、これ以上のことは教えられない、あとは禅に譲る、と言った逸話もあり、生死をこえた絶対的なものとの調和を重要視していることが伺えます。

さらに、強さゆえに傲慢にならないように「神道」の要素がそこを補完する、というくだりもありました。神道とは、先祖を大切に思う気持ちや、人の心がもともとは善であり、平等でもあるといった精神。

力に、絶対性と、愛や平等といったイメージをプラスαしたものが武士道なのかなと思いましたが、興味深かったのは、頭ではなく実行、つまり「知行合一」を重要視した点です。

「論語読みの論語知らず」という例えも出てきましたが、つまり「頭でっかち」はバカにされた、という、現代にも通じる内容もありました。

武士道は実践あって初めて武士道であり、ちゃんと武を磨き、それに見合う哲学的思惟ができたらあとは、言を弄するよりも行いで示せ、といったところでしょうか。

今日も読んでくださってありがとうございました。

武士道を読んで。ー第一章 道徳体系としての武士道ー

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今日は、第一章について。

武士道とは、武士が職業もしくは日常生活において守るべき道とされたもの。つまり、明文化されてはいないけれど、武士の職業規範、といったものだとあります。

文章化はされていないけれど、口伝や生活様式、躾と言った形で、伝わったものだと。

それは、西洋の騎士道精神にも通じるものがあるのではないか、との記載もありました。

日本で武士の世が始まったのは鎌倉時代。1192年と私が小学校の時は習いましたが、その頃です。

それまで、公家を中心に、祈祷等を行う体制で統治が成り立っていたところから、その神官たちを守る、いわゆる傭兵たちによる力での統治(平家・源氏の戦いのあたりから、すでに力による統治権の奪い合いは始まっていたのだとは思いますが)に移行しました。

武力による統治では、リーダーとなる人間には道徳が必要、と説いたのは、確か孔子だったかと思います。

鎌倉幕府が起こった鎌倉には、禅寺が多くあり、死が隣り合わせの武士たちは、死の恐怖を克服するため座禅を行っていた、と聞いたことがあります。

力で統治する人間に必要な徳、そして、生死を掛けた日常の実践的リーダーシップの道の集積体が、鎌倉幕府出発から707年後に新渡戸稲造博士によって「武士道」としてまとめられ、それがなぜか日本語ではなく、西洋の言葉である英語によって初めて表現されたということも、なんとも不思議な必然のような気もします。

今日も読んでいただいてありがとうございました。

武士道を読んで。 ー訳者序~緒言ー

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遅ればせながら、新渡戸稲造の「武士道」を読んでいます。

本を読んで感じたことを、綴っていきたいと思います。

まず、初日は、訳者序から緒言までの気づき。

この本が書かれたのが、新渡戸稲造博士38歳の時。

時代は、明治32年(1899年)。日清戦争の4年後、日露戦争の5年前。日本が国際社会に対して「東洋の小さな国が、なぜこんなにも強いのか??」その疑問が生まれるような、驚くべき動きをした時代に重なります。

英語で書かれたこの本は、その西洋からの問いに対して当時、「なるほど」という答えになったのではないかと感じます。

新渡戸稲造博士は、奥さんがアメリカ人だったようですね。江戸時代に幼少期をすごし、封建制度のなかで自然と教育された内容が、いったいどんなものだったのか、それを奥様や、外国の多くの方から聞かれたそうです。

それを「武士道」と名付けて世界に発表した、それがこの本。

日本人の中に眠っている、でも多くの部分を占めている何か、それが明らかになっていくことが楽しみです。

緒言は、ウィリアム・エリオット・グリフィスという方によって書かれています。

どのような人なのか調べたところ、以下のような方だそうです。

アメリカ合衆国出身のお雇い外国人、理科教師、牧師、著述家、日本学者、東洋学者である。明治時代初期に来日し、福井と東京で教鞭をとった。

引用元:ウィリアム・グリフィス – Wikipedia

この緒言の中に、キリスト教の根底が、武士道につながるのではないか、といった表現や、西洋と東洋が一つになるときに、日本が有力な「中間項」になるのではないか、といった記述もあり、当時の外国人が、日本をすでにそのように見ていたことに、感慨深いものがありました。

今日はここまで。読んでくださって、ありがとうございました。

遅ればせながら・・・藤井風、初めて聞きました。

woman listening on headphones

年末の紅白を、後半、爆睡してしまって聞き逃し・・・

しばらく前から、名前をきくことがあり、かつ、親類の家族全員が大ファンだと聞いて、どんな子なんだろな~とネットで検索してみました。

第一印象。

自由人!若者!そして、ピアノを弾く指の細くて長いこと・・・

声がいい!岡山弁!(今の朝ドラも岡山が舞台)

若者だけではなく、60代以上のシニア層の心もつかむ彼の歌は、とてもやさしく、愛が溢れている印象を受けました。

そして、とても楽しそうに、幸せそうに、自然体で歌っているのも印象的。

この3本のドキュメンタリーを見て、これだけでもファンになる人は多いんじゃないかなと感じます。

言葉が、独特ですね。小さいころから英語を話していたのか、岡山弁と英語が混ざっている感じ。

コロナ禍の中の日産スタジアムでの単独コンサートの様子。無観客で世界に配信して、視聴した人の数は170万人?ものすごい数ですね。(現時点の再生は490万)

音楽は、世界共通言語。

辻井伸行さんのドキュメンタリーも、最近見て感じたのは、音やピアノと演奏する本人が一つになっているということ。

辻井さんもそうですが、藤井風くんも、ストリートピアノでメジャーになったハラミちゃんも、譜面を見ずに引いています。目で見て演奏するのではなくて、音が、自分の体の中にある人は、イメージした通りに指が動き鍵盤をたたき、つまりピアノも体の一部の様に一体化しているんだろうな、と感じます。

心と一つになった音は、心にダイレクトに届いてきます。

その人が表現したい波動振動が、音となって伝わるからでしょう。

辻井さんが動画の中で「観客の人たちをうっとりさせたかったのですが、それができたと思います」と言っていたのが印象的でした。実際、YouTubeで聞いても、泣きそうなほどうっとりしました。

藤井風さんも、ピアノや歌を通して伝えたい思いがある。それが伝わってきます。

どうしたら、そんな音楽が奏でられるのでしょう?

それは、楽譜を目で見て、判断してから行動する(指を動かす)、という5感を通して処理する脳のスピードでは、遅すぎて難しいことですよね。

これはサムライの感覚と共通しています。相手の動きを見てから動いても切られてしまうため、鍛錬したのは相手の次の動きを読む、察知する、そんな感覚。

脳のスピードを超えるスピード。時間を超えるスピード。それが心感覚ともつながります。

脳から心へ。

心感覚とつながる話を書こうと思ったわけではないのですが、今日は感動したピアノ・音楽について書いてみました。

論語と算盤とnTech。

woman blowing snow from hand

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

元旦の今日は、今年のテーマ「経済循環」につながることを書いてみたいと思います。

明治維新後、日本に資本主義というシステムを持ち込んだのは、江戸幕府のあとの明治新政府であり、そのなかでも「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一だというのは有名な話です。

その渋沢栄一が書いた「論語と算盤」。昨年、大河ドラマでもやっていただけあって、書店にもたくさん本が並んでいますね。

年末の令和哲学カフェでは、初めて東洋思想を取り上げ、孔子についても解説があり、さらに、NHKの「100分de名著」では、マルクスの「資本論」が取り上げられていたので、

まさに、論語と算盤の、算盤が示す「資本主義」、そして「論語」という孔子の説いた哲学を同時にタイムリーに知ることができました。

マルクスの「資本論」に書かれた内容からは、過重労働がなぜ終わらないのか、資本家と労働者の格差が開いていく仕組み、そしてイノベーション(技術革新)によって、実は労働者はどんどん機械の様に仕事をする存在になっていくことなど、

資本主義社会で今、まさに起こっていることが、そもそも「そうならざるを得ない仕組みになっている」ということが、よくわかりました。

それも、資本家が「エゴ意識」を持ち、所有を増やしたい・拡大したいというそのエゴ意識に素直に従えば従うほど、その動きは助長されていく、ということも理解できました。

だからこそ、渋沢栄一は、日本に資本主義を持ち込むときに、孔子の説いた「徳治主義」(リーダーは、民のことを思い、徳をもって治めること)つまり論語をセットにすることを、重要視したんだなと、初めて納得が行きました。

その渋沢の功績によって、明治・大正・昭和の、主に戦前の日本式資本主義は、資本家だけが大儲けをして終わるのではなく、資本家も万人のために徳をもって会社を経営する、という精神が根付いていたのでしょう。

だからこそ、日本は、驚異的なスピードで全体がどんどん豊かになり、技術革新が進むと同時に、多くの日本人が素晴らしい技術者にも育っていく、という、世界にも類を見ないシステムが出来上がっていたんだと思いました。戦前の日本は、もしかしたら、マルクスが書いた、資本主義の弱点をクリアした理想国家が実現していたのかもしれません。

しかしながら日本は敗戦し、戦後、アメリカから自由主義の思想哲学が流入したことで、個人主義の色合いが強くなり、がんばって稼いでどんどんお金持ちになれば何でも実現できる、夢もかなえられると、アメリカンドリームを目指して、論語による徳治主義よりは、いかに効率よく稼ぐか、という能力主義へと、エゴ意識を強化し、個人の能力を重視する社会へと変化を遂げました。

その結果、今の日本は、格差は進み、徳治主義を掲げて政治を行うリーダーはおらず(口だけ唱える人はいても)、お金を稼ぐ能力のある人は短い時間で莫大な財産を築き宇宙に行き、もしくはとびぬけて優秀な成果を出す若者は世界から注目され、でもそれ以外の若者たちは失望の中にいて、あまりの格差に子供たちまで影響を受け未来を嘆き、「親ガチャ」ということばまで流行するような社会になっています。

この状況に対して、希望の未来を創るための解決策は、あるのでしょうか?

何を原因とみて、どこから、どのように解決していけるのでしょうか?

まず、ここまで書いてきて、人間が解決できていない根本的な問題、それは「エゴ意識」だということは、これを読んでいただいている皆さんも感じていらっしゃると思います。

明治時代は、それを、孔子の説いた「論語」と組み合わせることで解決していたのだと思います。

エゴ意識を、倫理道徳、つまり社会にとって良いと思われる最大公約数で標準化することで、つまりみんながちょっとずつ我慢して、みんながなるべくうまくいくところに合わせるようにすれば、社会全体としてベストなんじゃないか、それをリーダーがしっかり扇動する、という解決方法です。

でも、現代は、同じ方法で、リーダーが倫理道徳を説くことで、リーダーが徳を持つことで、本当にそれだけで、みんなが素直に言うことを聞いて、今生まれている社会の問題を解決できそうでしょうか?

もっともな理想論も、逆にうっとうしく感じたり、「口ばっかり」と思われるような、そんな時代です。

SNSやインターネットで、様々な情報が飛び交う現代は、それだけ、多種多様な意見が飛び交っていますから、人々のバラバラな観点・判断基準をひとつにまとめるのは、歴史上、もっとも難しい時代と言っても過言ではないでしょう。

では、どうしたらよいのか?

nTechは、今までの論語も算盤も、「脳」の中でやってきたこと、と言っています。

その脳でやってきたすべてのことに、いったん終止符を打ち、全く新しい「心」に移動することで、すべてを解決してしまおうといっているのです。

先日、80歳の方が、nTechについて、非常に的確な表現をされていて、なるほどー--!と思ったのでご紹介します。

天気予報、昔はあまり当たらなかったけれど、それは地上から観察していたから。地球の外に出て、地球を外から観察したときに、雲の動きや全体が見えた。外に出て全体を観察しているから、今の天気予報は非常に正確になっている。

つまり、今まで、人間は「脳と五感」という、非常に部分的なところしか観察できない道具を使って、すべてを知ろうとしてきたし、それですべてが分かるはず、と思って進化してきました。

でも、そろそろ当たり前のことに気づくべきです。この観察方法では、正しく分かることは一つもないことを。

まずは、脳の外側に出ること。そして、脳の外側から、この宇宙自然が生まれた仕組みを理解すること。その後で、その仕組みと実際がピッタリ当てはまるのか検証してみること。それがピッタリくれば、安心して新しい認識方式を、全方位的に適用すればよいだけです。

この、脳の外側に出る方法、そして脳の外側から宇宙自然が成り立つシンプルな仕組みを伝えているのがnTech・認識技術です。

そして、脳の外側に出たときに得られる感覚、それが「心感覚」です。

心感覚になったとき、人は、自分も誰もこれ以上責める必要がないことに気づき、すべてをすでに所有していることに気づき、これ以上、なにも欲しがらずとも今ここにすべてがあることが理解できます。誰も支配せず、誰からも支配されることのない、絶対尊厳で生きることができ、今ここ、自分の宇宙を、自分の意志で立ち上げ、新しく創造していくこともできます。

脳から心へ。中心軸が移動したときに、今までの論語も算盤も、まったく新しいものとして、活用していくことができるでしょう。

nTech×論語×算盤=シン日本式資本主義。

2022年は、新しい日本式資本主義がスタートする年になりますように。

日本文明の歴史的カウントダウン!

2021年、暮れも押し迫ってまいりました。

皆さんにとって、今年はどんな1年でしたか?

昨夜、仕事納めがあったのですが、そこで2021年がどんな年だったか、そして2022年をどんな年にしたいか、コメントする機会をいただきました。

いやー、2021年。もう、何がなんだか分からないくらい、慌ただしい年でした。

年初から春にかけて、かなり大規模なプロジェクトが終わって肩の荷を下ろしたと思いきや、さらにもっと怒涛の日々がスタートし・・・

もう年も年なんで勘弁してください~涙・・・。と毎回叫びながらも、振り返るとなんやかや、駆け抜けていた2021年、という感じ。

後半は、10月の国際カンファレンスで、nTech×プロジェクトマネジメントについて話させて頂いたり、「安心トランスフォーメーションメソッド」の入口となるイベントを何回か開催させて頂いたりと、

これまで、なるべく前に出ることはせずに、好んで裏方として暗躍(笑)してきたタイプですが、今年は、前に出てお話しする機会もいただく、という新しいチャレンジの年になりました。

思い返せば、年初に書いた今年の漢字一文字は「発」。そろそろ自ら、自分の言葉で、表に立って発信していこう、と思った、その通りの流れができた、とも言えます。

さあ、来年はどんな年になるのかな。

昨夜は

「悟った人たちによる誰もみたことのないチームプレーで、日本社会に大きな経済循環を起こしていく」

とお話させていただきました。

スタグフレーション※が起きるかもしれない、と言われている今、停滞した経済に活発な循環を起こしていくには、既存のやり方では難しく、新しい発想が必要です。

※スタグフレーション:景気は停滞した状態で、インフレーションが起こること。(経済循環はおこらないのに物価が上がっていくこと)

環境を能動的に変えることができる人が増えればそれ(活発な経済循環)は可能になり、実は本来の教育は、そんな人たちを量産することが使命。にも拘わらず、今の教育は、5感と脳を中心に、インプットされたものを処理して発動する受動的感覚を育てることにとどまっています。

心を中心とした能動的感覚、つまり「心感覚」に移動することで、環境を変えられることができる個人、協力し協働できる個人のつながりが生まれます。(詳しくは新刊本「心感覚」をぜひ読んでみてくださいね!)

2022年は、そんな人たちと一緒に、また面白いことをいろいろやっていく年になりそうな予感。日本式の新しい経済循環モデルをたくさんの人たちと一緒に生み出せたら最高です。

日本、2022年、いっちゃいましょう~!!

そしてそして、大みそかには、そんな、いっちゃう勢いの来年に向けて、先日ブログにも書いた「マトリックスレザレクションズ」の映画解析も聞きつつ、みんなで歴史的カウントダウンをやっちゃおう!というイベントも!!

20年ほど前、マトリックス3部作は、当時、かっこいいけど内容はイマイチよくわからない、マニア受けする映画、というイメージでしたが

それを、当時、もう、他のどこでも決して聞けないような内容で、めちゃめちゃわかりやすく、めちゃめちゃシャープで深く解析してくれたのが令和哲学者Nohさんでした。「ほー!へー!なるほどー--!そういうことかー--!」

と、大げさじゃなく度肝を抜かれて、びっくり&わくわく&相当スッキリしたことを今でもよく覚えています。nTechによる解析力のすさまじさを最初に感じたのはあの時だったかもしれません。最先端の物理学や仏教の世界も取り入れている映画なので、とても難解なのは当たり前。でも、土台に0=∞=1があれば、非常にシンプルに映画の構造や内容、その言わんとしていること(制作した監督本人もそこまでシャープに言語化して制作しているかはわかりませんが)も理解ができました。

そんなNohさんから、直接、最新作「マトリックスレザレクションズ 」の解析を聴けるのもめちゃめちゃ楽しみです。

Facebookでライブ配信されるそうなので、ぜひ紅白の裏音声?として一緒に楽しみましょう~

以下、詳細です!

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日本文明の歴史的 EVOLUTIONAL カウントダウン‼️
Noh Jesu 映画哲学オンラインサロン 3時間ライブ配信!

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2021年、世界は人類史上稀にみる厳しい冬の時代でした。
コロナウイルスにより世界で500万人以上の方が亡くなり、
変異株の出現など収束がみえない状況に不安が尽きません。

また、人間が暴力と財力に支配され、無理矢理我慢して合わせて演じる生き方の結果、
相次ぐ通り魔事件、うつや自殺の増加、
景気後退の中で物価が上昇するスタグフレーションの危機、
覇権争い、地球温暖化による人類滅亡の予測など
世界は三次戦争の危機ともいえる状況が続いてます。

世界の共産主義VS自由主義の対決構造を
「脳VS心」の対決構造へ戦争の性質を変えることで、
77億人が団結しチームプレーが可能になります。
それが日本文明の知恵なのです。

日本が世界を救済できると言い切り、
世界基軸教育を日本から全世界に発信しようと26年間
実践し続けてきた令和哲学者ノ ジェスから、
なぜ、危機をチャンスに大反転できる唯一無二の英雄集団が日本文明なのか?
日本文明にとって、2021年がどんな年だったのか?
2022年はどんな年になるのか?
そして800万年の人類の絶望からの夜明けとなるビジョンについて語ります。

日本文明の歴史的 EVOLUTIONAL カウントダウン‼️を共にしながら、
2022年、新しい年の幕開けをお祝いしましょう!!

◆◆◆タイムスケジュール◆◆◆

21:00-22:30
ノ ジェス×岡山未砂×塩見典子×原田卓による
ミレニアムイベント 「女性性開花、映画 『マトリックス』 の解析」

22:30-23:30
2021年を振り返って

23:30ー24:10
日本文明の歴史的 EVOLUTIONAL カウントダウン!!

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◆日時◆
2021年12月31日(金)
21:00~24:10 (予定)

◆参加方法◆
①Zoom参加(発言できるスタイル)
②ノジェスFacebook live配信(視聴のみ)
(https://www.facebook.com/noh.jesu)

◆申込先◆
https://pro.form-mailer.jp/fms/f252b339245091

主催:Project J -日本文明の挑戦-


なぜ私が、令和哲学・nTechをたくさんの人と共有したいのか。

silhouette photography of group of people jumping during golden time

みなさんにも、こんなことありませんか?

表面は笑顔で楽しそうにしていても、実は、ありのままの自分をだせず、心の奥底では「ここも自分の居場所じゃない」と孤独を感じ、本当の居場所、心底安心できる心の拠り所をいつもどこかで探している。

nTechに出会う前の私は、いわゆる大企業でシステムエンジニアという専門職に就いていました。有難いことに、上司から評価されて女性にしては昇進は早い方でしたし、後輩からも慕われて、入社2年目に書いた論文が本人は知らないうちに部内で模範的な論文として出回っていた(笑)等、一見するとそこそこの優良社員だったんじゃないかと思います。

two smiling women sitting on wooden bench
Photo by ELEVATE on Pexels.com



でも、、、実は、

周りからはよく「〇〇さん良い人だよね」と言われ、いろんな人に声をかけてもらい、人間関係は一見良好でも、ふと気が付くと「ここは私の居場所じゃない気がする・・・」と孤独を感じることが多くありました。人に気を遣いすぎて、なかなか本音が出せないし、私に親友と呼べる友人は一体何人いるんだろうか??そんな風に思うこともよくあり、一番身近な家族にさえ、一番わかってほしい部分を分かってもらえず、結局のところ「本当の自分は、誰にも分かってもらえない」と絶望したこともあります。でも、人生きっとこんなもんだろう。『人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし』と家康も言ってたじゃないか。 それが人生・世の常だと思って、こんな気持ちを他人に吐露しても仕方がないから、自分の心の中だけにとどめておこう。

そんな風に思って生きていました。

でも、本当は(心の底では)、安心してなんでも言える関係性、つまり何を言ってもやっても大丈夫で、しかもそれでいて絶対に壊れない、切れない関係性がほしい。そんな安定した関係をつくりたいし、つくれるようになりたい!

そう思っていました。

そう思うようになった背景は、幼少期にあります。

私の母は、私が幼いころはとても厳しい人でした。私の中では、怒られた記憶しか残っていないくらいです。

人はいつ怒り出すか分からないし、怒らせたり嫌われたりしたら、大変なことが起こる。私は、怒られた時に、立ち直れないほど心が傷つく経験を何度も繰り返しました。

3歳くらいのとき、家の裏にある川幅70~80センチほどの小さな川に、足を滑らせて落ちてしまいました。幸い、祖父に助けられましたが、母にものすごく怒られて、全身ずぶ濡れのまま家の前に立たされていたのを覚えています。

4~5歳のころには、何をしでかしたのか全く記憶にありませんが、真っ暗な蔵に入れられ、泣き叫んで出してくれと懇願し、重い土蔵の扉を自力で開けて、小さい子供が一人なら出られるくらいなんとか扉が開いたにも関わらず、母の許しが出ていないので、その扉から外に出ることもできずに、半分だけ体を外に出した状態で、泣き続けるしかありませんでした。

さらに、小学校に入ってから、習っていたピアノ教室の発表会で客席で聞いているときに、前に座っている親子の真似をして母親に膝枕をしてもらおうと寄りかかったら、「なにやってるのっ!?」とひどい剣幕で怒られました。

そんな出来事を通して、私は、 怒られたり、嫌われるようなことをしてしまったら最後、大声で叱られる恐怖と共に、私という存在そのものが一瞬で否定され、愛されていないこと、受け入れられていないこと、本当は生まれてきてはいけない人間だったことを強烈に思い知らされる。だから、とにかく、人は怒らせないように、嫌われないように、常に全方位に気を配って 最善を尽くして慎重に慎重に振る舞って生きていくしかない。だから、表面は一見笑顔だったとしても、内心ではいつ怒られるか、嫌われるか分からない緊張感や不安や恐怖に常に苦しんできました。

でも、0=∞=1に出会って心感覚を得た時、

なんだ、もう怖がる必要なんてないんだ!!と初めて思えました。

相手はいつ怒り出すかわからない恐怖の対象ではなく、 100%理解できる対象。相手を理解できるからこそ、壊れない関係性は自分から積極的・能動的につくれる!と、心の底から確信しました。その時、それまで人に対して感じてきた、緊張や不安や恐怖が一気にほどけて、生まれて初めて、道行くすべての人が、温かく感じられ、まるで以前から知っているようなやさしさ・親近感を感じました。

この変化によって、1;1の信頼関係構築から始まり、結果的に、数人~10人~100人規模のプロジェクトのマネジメント統括などもやらせていただき、メンバーと一緒に目標を達成するなど、関係性の構築が実際に仕事上でもプライベートでも自らの意志で安定的にできるようになりました。

そして、かつての自分と同じように、 安心して何を言っても大丈夫、しかもそれでいて絶対に壊れない、切れない安定した関係性をつくりたいのに、なかなかそれができずに、表面は笑顔でも、実は内心はあきらめと孤独の中で闘っている方々の役に立ちたい、という思いで、【安心トランスフォーメーションメソッド】を開発しました。

・親が厳しくて小さいころよく怒られた
・ほめられるよりは否定されることが多かった
・人が怖いと感じることがある
・人間関係に臆病になっている、あきらめがある
・休日はなるべく人と関わりたくない
・にもかかわらず、周りからは結構いい人と思われている
・人も自分も嫌いだが、本当は心から好きになれたらいいのにと思う

もし、そんな方がいらしたら、まずは、新刊本【心感覚】を題材にした、気軽にな読書会からはじめてみませんか?

揺るがない安心感と、関係構築できる自信を、あなたの内側に持ち続ける道を、ご案内します。

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