新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第五章。
この章は、仁について書かれています。
まず、愛、寛容、愛情、同情、憐憫、なかでも慈悲が一番重要だとありました。
仁とは、人のことですが、人の中でも、君主として立つ人の在り方、人の上に立つ人の在り方として、仁=慈悲の心が非常に大事だ、ということだと理解しました。
タイトルにある「惻隠」とは、かわいそうに思うこと、同情すること、だそうです。
同情とは、文字のまま受け取ると、相手の気持ち・感情と同じ感情を感じること、つまり、相手の気持ちを推し量りその気持ちに寄り添うこと、ともいえるかと思います。
相手の心と一つになるあり方、ですね。
四章の最後に、「平時の時に友に値するものだけが、戦時の敵となることを要求し、そのレベルになった勇が仁に近づく」とありましたが、
相手と一つになるからこそ、さらに高みを目指し、最高の敵同士(好敵手というとわかりやすいかもしれません)にもなれる、そんな風に感じました。
もう一つ、印象的だったのが、伊達政宗が言ったという格言、
「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」
にも、なるほどと思いました。
道理に固執したら固くなるし、相手に寄り添いし続けて一緒に悲しんでいるだけでは物事は前進しない、なんだか、男性性と女性性ともつながるように思います。
男性は、正しいことを言って道理で解決しようとするし、女性は気持ちに共感するだけでほぼほぼ解決したり・・・と。(ただ共感してほしいだけなのに、解決策を理路整然と提示されて切れそうになった世の女性は多いはず(笑))
いずれにしても、ここまでの義と勇のバランスととるのが、仁、というイメージも来ます。
日常生活でも、正しい道理を通すことに偏りすぎると、かなり疲弊してしまいますよね。そんなときは、すべてとひとつになる(nTechからみたら、「源泉動きひとつしかない」ですが)仁をイメージすると、心が安らぎそうです。
今日も読んでくださってありがとうございます。