哲学するってどういうこと?

みなさんは『哲学』というとどんなイメージがありますか?

私は、悩み多きタイプだったせいか、学生時代は「生きる指針がそこにあるんじゃないか?」という意味で「憧れ」のようなものがありました。

心理学や哲学、というものを「一度は学んでみたい」と思っていましたが、同時に、特に哲学は、「小難しいにちがいない」と、敬遠してしまった節もあります。


ですが、先月下旬から始まった【 令和哲学カフェ 】を視聴し始めて感じるのが、

哲学とは、そのひとの、すべての思考の基準軸となるもの

なのだ、ということ。


そう思うと、哲学がある人生と、無い人生は、とてつもなく大きな違いが生まれてしまうことがわかってきました。

というのも、思考の基準軸がない、とすると

その場その場で、相手に合わせて、考え方や感じ方がコロコロ変わり

「それもいいね、あ、あれもいいね」と、

自分の好みなのか他人の好みなのか、訳も分からず、合わせてるのかいないのかも分からず、

結局蓄積の起きない、訳の分からない人生になってしまいます。

このタイプ、日本人にはとても多いのではないでしょうか??


思考の基準軸がある場合、は、どうでしょうか?

いろいろなものを見たり聞いたりするときに

「それは、自分の基準と照らしたらこんなふうに違いがある、だから好き、だから嫌い」

といったように、その基準をベースに「判断」することができますよね。

そして、それを相手に伝達することもできるでしょう。



哲学のある人生と、ない人生。

混乱の時代には、「哲学」を求める人が増える。

これまでの価値観、これまでの社会一般の規律、常識といったものが通用しない時代になった時、「一体、何をどう考えたらよいのだろう?」と、思考の基準軸を求めるのは、自然なことだと思います。

特に、今、新型コロナウィルスの出現、アメリカが世界を主導できなくなっていることによる世界情勢の混乱、AIの登場により人間の存在意義まで問われるようになり、今までの常識では、この世界の方向性を見定める事が困難になっています。

そんな時代に求められる哲学とは、どんな哲学でしょうか。


今、毎晩オンラインで無料開催されている【令和哲学カフェ】で今週のテーマとして扱われているのが、超難解!といわれている『カント哲学』です。

「純粋理性批判」「経験」「先験」・・・使われる単語だけみると、ついついめんどくさくなって投げだしたくなりそうです(笑)

カントが生きた時代も、産業革命という時代の波の中、科学技術の台頭により、「科学が万能ならば人間の価値とは?」ということが問われた時代でもあったそうです。

近代の知性に、大転換をもたらした、といわれるカント哲学。

そのカントの哲学が、どのようなものなのか、さらに人類の歴史の中でどのような位置づけで、さらにいえばどこが限界だったのか。

それをどのように超えていけるのか。

令和哲学者Noh Jesu氏の解説によって、そういった難解な哲学も、とてもシンプルに整理されていきます。

昨日は、時間、空間、アインシュタインの相対性理論との関連、形而上学からポストモダニズムに転換する大きな役割を、カント哲学が果たした、といったこともさらっと語られていました。

そして、一緒に出演するメンバーのコメント、やりとりからも、カントがどんどん身近な人物となり、さまざまな情報から、その人物と哲学が浮き彫りになっていきます。


ところで、Nohさんはなぜ、そのような解析が、さらっとできてしまうのでしょう?


それは、一番うしろにひいた、すべてが観える次元(次元もない0次元のポジション)から、全体をみつつ部分(カント哲学)もみる、という、「令和哲学」の基準に立っているから。

令和哲学をまだよくご存知ない方は、「どこからみているのか?」というクエスチョンを持ちながら、視聴して頂くのも面白いかもしれません。

令和哲学の基準から見た世界は、知ってる知らないの○×はなく、ただ、すべてが面白く、興味深く、不思議で、ワクワク、新しい発見に溢れて、先人の知恵に感嘆し、感謝して、すべてを含んで1点にまとめるような

とっても面白い世界です。

まさに、シンプル美学。

どうせ「哲学する」なら、今の時代にぴったりな、すべてを統察(とうさつ)できる哲学がおすすめ。


5/29の名言は、『哲学があれば、人を好きになれる』

次は明後日、6/3(水)!カントの続きが楽しみです。

↓↓

https://reiwaphilosophy.com/


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