落合陽一氏が提唱するデジタルネイチャーとは?
2023年が明けました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
動画で知った、シンギュラリティの15年分前倒し!?
昨年末に、友人が教えてくれた動画をみて、落合陽一氏が伝えている『デジタルネイチャー』という概念を初めて知りました。
そして、その動画では、2040年に来ると言われていた「シンギュラリティ(技術的特異点)」が、なんと早くも2025年に来てしまう!と言われています。
シンギュラリティとは、コンピュータの進化スピードが臨界点を超え、もうそこから先は、人間がコンピュータを進化させるのではなく、コンピュータ自身が自ら自動的に進化を始める、といわれているポイントのことです。
参考:シンギュラリティとは?起こる時期や社会への影響について | 株式会社パソナ(旧パソナテック)|ITエンジニア・ものづくりエンジニアの求人情報・転職情報 (pasonatech.co.jp)
つまり、人間はその進化に取り残され、無用者になってしまう。それが、15年も早まってしまう、と言ってるのがこの動画。
ちょっとショックだけれど、たくさんの人にぜひ見てほしい動画でもあります。
2025年を境に、既存の人間観か大きく崩れていく、らしい。
らしい、と書きましたが、これは私もこのブログでは何度も書いてきた「AIの進化によって、人間は無用者階級となっていく」「人間の存在意義が問われる時代になる」ということと、全く合致していて、それがかなり早まってしまった、ということでもあります。
さあ、人間は一体、どうしたらよいのでしょう?
デジタルネイチャーとは何なのか?
デジタルネイチャーとは、とっても平たく言えば、今までは、人間が中心になって、コンピュータも使いながら自然を開発開拓してきたけれど、これからは爆発的に自ら進化し続けるコンピュータが自然を開発開拓していく主導権をとっていく(宇宙自然全体がコンピュータ(AI:人工知能)の研究対象・開発開拓の対象になっていく)ので、人間はその中で暮らす一部の要素になる、ということです。
AIは、世界初の論文も5分で書けるようになるし、音楽も絵も、新しいものを数秒で制作してしまう。そんな時代です。今までは、知的労働・一部の知的エリートの仕事だと言われてきたことや、クリエイティブな仕事だと言われてきたことが、のきなみ「機械」にとってかわられることになります。
落合氏は、このことが現実になる、その事実に一度かなり凹んだそうです。
でも、予測不能なことが起きているのではなく、自身の研究・主張してきた内容がそのまま起きるのだ、と理解して、楽しんでいけばいいか、と考えて落ち着いきを取り戻したとのこと。
圧倒的なAIの進化に対応するにはどうしたらよいの?
たしかに、AIが生み出したもの、生み出すものを上手に使って、楽しんで生きる世界もありだとは思います。が、人間にしかできないこと、人間だからできること、そこははっきり知って、人間であることに誇りを持てないと、人間が人間であることの尊厳を保つことは、とても難しくなります。
ドラえもんの圧倒的な賢さに、どうせ人間はバカだし、と無力感に浸ってやさぐれるか、ただ楽しませてもらい依存するだけののび太くんで終わってしまうのは、ちょっと切ない。
でも、安心してください。
コンピュータ(AI)がどんなに進化したとしても、決してたどり着けない領域はこれ!と、人間にしかできない領域を明確にして、誰もが教育によって、そこにたどり着くことができる、その道筋を案内している未来技術が日本で既に誕生しています。
それが、認識技術・nTechです。
この技術であり教育の内容は、nTech創始者NohJesu氏のこちらのブログにも記載されていますので、ぜひご覧ください。
デジタルネイチャー時代の限界を突破する未来技術 – NohJesu 公式ブログ (noh-jesu.com)
読んでみて、分からないことがあれば、いつでもコメントやメッセージを下さい!
お時間の合う方は、そらまめ主宰の「心感覚読書会」にご参加ください。その場で質問していただけたら、私の分かることであればできる限りお答えします。
『心感覚』読書会 ココカナcafe のお知らせ – そらまめ (soramame313.com)

時代の寵児ともいえる天才・落合陽一氏さえも凹んだそんな未来も、危機をチャンスに、楽しんで共に進化していけたら嬉しいです。
武士道を読んで。ー第十七章 武士道の将来ー
新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十七章。とうとう、最後の章になりました。
この章は、武士道の将来、つまり、今後「武士道」はどうなっていくのか?について書かれています。
そのことが、ヨーロッパの騎士道との対比で語られていました。
封建制度、つまり武力によって国を治める制度がなくなってから、騎士道はキリスト教会によってその寿命を延ばしたけれど、
日本の武士道の場合は、それに相当する宗教はないので、なかなか難しいだろうと。
ただし、全体を通して述べられているのは、形としての武士道は失くなっても、その意志や本質、神聖なる本能は残って、人間の様々な行動や生き方の中に広く浸透していくだろうという予測を込めた願いでした。
他にも印象的だったのは、武士道は、主に治者や公人や国民の道徳的行為に重点を置いていたのに対して、キリスト教は個人のこと、個人的にキリストを信じる人に関する道徳を説いているので、
個人主義が広がる時代には、キリスト教的道徳が勢力を増すだろうとあり、
まさにそれは、現代を表していると感じました。
地球上に個人主義が蔓延して、その良さを通り越して問題点が多く語られるようになった現代には、地球に生きる一人として、つまり「公人」としての規範である武士道の理念に、もう一度、光を当てるタイミングに来ていることを、改めて強く感じます。
今回、この書籍を約8か月に渡って少しずつ読み進めてきて感じたのは、武士道が今ここ、私たち日本人の中に、その日常の中、あちらこちらに今も確かに息づいている、という点です。
そのことが、戦後77年を経て、令和のこの時代に、世界の基準となる精神性として、武力ではなく、心の力として、人と地球が持続可能なシステムとなるための基本の教育として受け入れられていくことを期待しています。
今日も読んでくださってありがとうございます。
※9/12(月)より、令和哲学カフェでは『SAMURAI哲学』と題して、日本の侍たちの哲学を取り上げています。その中で、nTech講師でもある塩見典子さんが、この新渡戸稲造の「武士道」を取り上げて、解説していますのでそちらもぜひご視聴ください。

武士道を読んで。ー第十六章 武士道はなお生くるかー
新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十六章。
この章は、”武士道はこの先も生き続けていくのか?”ということについて書かれています。
次の2点が印象的でした。
一つ目は、武士道は簡単にはなくならない。その根拠。
二つ目は、歪んだキリスト教について(新渡戸稲造はキリスト教徒です)。
一つ目について。いきなりの結論ですが、その根拠がいろいろ述べられていましたが、とくに印象的だったのは、
フランスの経済学者シェイソン氏の計算によれば・・・というくだり。
「各人は、その血管の中に少なくとも西暦一千年に生きていた2000万人の血液をもっている」そうです。
経済学者の計算、というのがとても興味深い。
歴史文化によって一世紀にわたって多くの人の意識が実は血液の中に入り込んでいて(今風に言えば、DNAの中に刻み込まれていて)、そんなに簡単に消え去るものではない、ということでしょうか。
表面的には西洋化して変わったように見えても、無意識の99%は武士道という美しいものが私たちの中にしっかり根付いている、と思うと、安心と共になんだか嬉しい気持ちになります。
そして二つ目。歪んだキリスト教については、今、宣教師が伝えるキリスト教は、本来イエスが説いた純粋な内容からは離れてしまって、西洋人(アングロサクソン)的思惟妄想を含むと。
異教徒にとって、異教徒の歴史の脈絡を配慮しながらその人たちがつかっているイメージを用いて伝達されたなら、普遍的な要素として速やかに納得されるだろうに、と。
確かに、何度理屈を聴いてもまったく納得できなかったことが、日常でよく使われている単語やイメージ一つで「なるほど、それを言いたかったのね」と、スッと分かってしまうことがあります。
単語ひとつも、長い長い歴史を紡いできた先人そして宇宙自然があって、それが私たちのイメージのバックボーンとなって、すべてを引き受けて今ここ生み出されている奇跡のような一言。
そして、キリスト教徒であった新渡戸稲造は、キリスト教の本質と武士道が、根柢ではつながっていることを見ていたのだと感じました。
ただ、最後の一文は気になりました。
武士道の存続を脅かす勢力がある、というものです。
それが、予兆だけではなかったことは、私たちは既に知っています。
ですが、この章にも書かれているように、意識ではなくても、日常のあちらこちら、そして無意識には、しっかり存続している「武士道」があることをタイムマシーンがあれば、著者に伝えに行きたい、と感じました。
今日も読んでくださってありがとうございます。
※9/12(月)より、令和哲学カフェでは『SAMURAI哲学』と題して、日本の侍たちの哲学を取り上げています。その中で、nTech講師でもある塩見典子さんが、この新渡戸稲造の「武士道」を取り上げて、解説していますのでそちらもぜひご視聴ください。

武士道を読んで。ー第十五章 武士道の感化ー
新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十五章。
この章は、「武士道の感化」について書かれています。
冒頭にあった、「まず武士階級を照らした倫理体系は、ときをふるに従い大衆の間からもその追随者を惹きつけた」という文章が印象的でした。
朝、まず山頂を照らした光がやがては山のすそ野にまで広がるように・・・という例えにあるように。
武士道は、最初は武士の階級を貫く倫理体系だったものが、大衆にも受け入れられ、それを模範として自らもそうあろうとし、老若男女が賛同したからこそ文化として根付いたものだったのだと感じました。
それが日本における武士道。
鎌倉幕府創設以来、武士が天皇を支えながら日本を統治するようになり、その700年近い歳月の間、とくに武士が治めつつも戦いがなくなった江戸300年間に、倫理規範として体系化され、庶民にもその規範に沿った生き方が根付いたのではないでしょうか。
「花は桜木、人は武士」
と言われたことからも、武士は全日本人の理想、ヒーローでもあったようです。
本居宣長の
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」
とにかく、武士を表すときに、セットでイメージされるのは桜。
薔薇のように華美ではなく、淡い香り。
でもその美しさや潔さ、そして、微かな中にもそれとはっきりわかるその香りが、日本そのものの心をあらわしていると言われれば、とてもしっくりきます。
「大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である」
という文章も印象的でした。
自然に、この日本に醸し出された魂、それが大和魂。
それを植物に例えれば、まさに、自然に山に咲いた桜。
誰に見せるためでもなく、ただ自然の中でありのまま毎年咲き続けるのが山桜です。
第二次世界大戦で大敗し、その後は世界の平和と発展のために、戦争犯罪国家の烙印を押されようとも、黙々と働き続けその利益を、世界中の国々に還元し続けた、まさに日本という国の魂をあらわしている、
そんな風に感じました。
今日も読んでくださってありがとうございます。
※9/12(月)より、令和哲学カフェでは『SAMURAI哲学』と題して、日本の侍たちの哲学を取り上げています。その中で、nTech講師でもある塩見典子さんが、この新渡戸稲造の「武士道」を取り上げて、解説していますのでそちらもぜひご視聴ください。
令和哲学カフェ 第551回(9/13開催分)では、新渡戸稲造の「武士道」を解説!(9/20まで無料で視聴できます)

10/8・9・10は、第2回Dignity2.0国際カンファレンス@ニセコ
昨年、大阪で初開催されたDignity2.0国際カンファレンス。
コロナ禍の中でも、オンライン、オフライン、メタバースで3000名が全国から、さらにはオンラインでは世界各地からも結集して、大変盛り上がりました。
今年は、開催地を北海道・ニセコに移して、来月の10月8(土)~10(月・祝)の3日間、開催されます。
今年のテーマは、『-シン技術でつくるわたしの宇宙- 心( シン)未来への出発』。
昨年、講演された植松電機の植松社長が、今年はロケットを打ち上げる企画をされるそうです。
なぜロケットを?と思いますよね。
実は、今回打ち上げ予定のこのロケット、サイズは2mほどですが、構造や仕組みは、本物のロケットと同じだそうです。そのロケットが、本物さながらに空に打ち上げられる。こんな機会、なかなかないですよね。ちょっとワクワクしませんか?
この企画を通して植松さんが伝えたいこと。それは、多くの大人は、とっくにあきらめてしまっているかもしれない「夢は叶う」という実感、だそうです。
これは、 Dignity2.0国際カンファレンス 全体の主旨にもつながります。
誰もチャレンジしようとしてこなかった、不可能だと思われてきたことへのチャレンジ。
でも、そこに到達する道具はある。だから、あきらめさえしなければ、きっと叶う。
それが、 Dignity2.0国際カンファレンスを昨年に引き続き開催する、私たちの思いでもあります。

公式ホームページに記載されている、このカンファレンスのコンセプトは以下の通りです。
Dignity2.0ムーブメントとは
2050年人類滅亡の危機が叫ばれる背景に
1.気候変動による環境破壊の危機
2.SDGsを掲げるも進展がみえない持続不可能な危機
3.AI活用による尊厳破壊の危機
4.貧富格差による共同体破壊の危機
5.人間関係が築けないことによる少子高齢化の危機があります。これらの危機を解決できるイノベーションが必要です。
それを、教育、経済、政治、文化芸術に対して、何をどのように変化させるべきかの「革新的価値」を提供するために研究していくのが『Dignity2.0ムーブメント』です。
それらの危機に対して、「革新的価値」を提供するための研究発表の場が『Dignity2.0国際カンファレンス』です。
Dignity2.0国際カンファレンスでは、1日目は教育、2日目は経済、3日目は政治、文化芸術のジャンルで研究の発表、討論、翌年へつなげていくイベントを開催しています。
引用元:2022開催日程&概要 – 2022年 Dignity 2.0 国際カンファレンス 3Days in 北海道
ロケットの原理が発明されたからこそ、そして、何度もその打ち上げに命がけでチャレンジし続けた人たちがいたからこそ、人は宇宙に飛び立つことができ、月面に着陸することができました。
今、解決が難しいと思われている、上記5つの危機も、このカンファレンスで語られる「革新的価値」があるからこそ、それを使ってあきらめずにチャレンジし続ければ必ず、すべての問題は解決に導くことができる、そう言い切って、昨年に続き今年も開催されるのがこのDignity2.0国際カンファレンスです。
今年も、3日間で様々な企画が出展されます。
タイムテーブル – 2022年 Dignity 2.0 国際カンファレンス 3Days in 北海道
今年のカンファレンスの詳細は、こちらになります。興味のある方は、ぜひ一緒に参加しましょう。そして、北海道にお住まいの方は、オフライン会場でのロケット発射の瞬間を体験してみることをお勧めします。
2022年 Dignity 2.0 国際カンファレンス 3Days in 北海道 – 10月8日~10日 ヒルトンニセコビレッジでオフライン/オンライン/メタバースでトリプル開催!

今日も、読んでくださってありがとうございました。
揺るがない安心感を手に入れる道をご案内します。
こんにちは。空豆です。このブログを読んでくださって、ありがとうございます。
突然ですが、私のビジョンは、否定や怒りのない、優しく安心できる社会・関係性をつくることです。
そのために、ゆるがない安心感を手にれる道を案内する「安心トランスフォーメーションメソッド」を開発・提供しています。
なぜ私が、これをやろうと思ったのか?
それは私の幼少期に遡ります。
幼少期の私は、母に怒られた記憶しかないくらい、厳しい母のもとで育ちました。
一番強く記憶に残っているのが小川事件です。
それは4~5歳の頃でしょうか、
家の裏にあった小さな川に落ちてしまったときのことです。
幸い、近くにいた祖父に助けられたのですが、母からは激怒され、
ずぶ濡れのまま玄関先に立たされた、という出来事がありました。
その時、着ていた洋服も覚えているくらい、鮮明な記憶です。
川に落ちた恐怖よりも、母に怒鳴られたことの方が強く記憶に残っているくらい、ひどいショックを受けました。
この時、私は、溺れずに助かったというのに、喜ぶどころか激怒する母に恐怖を感じるのと同時に
「母にとって私は、いらない存在、生まれてこない方がよかった邪魔な人間なんだ」と感じました。
人を怒らせると、恐怖と共に耐えられない心の痛みを経験することを覚えた私は、
とにかく母を怒らせないように、とても慎重に気を付けて「良い子」を全うするようになりました。
でも、怒らせないようにと必死に考えてやったことが逆に裏目に出て、さらにひどく怒られる、といったことを繰り返し経験し、
その結果、私は常に、その後の人間関係において
「相手を怒らせないように常に慎重にふるまわないとならない。でも、どんなに気を付けても最終的には、結局怒られ否定され、自分はこの世界に必要のない存在だと思い知らされる」
そんな、世の中や人生・人に対する終わらない恐怖と、絶望的なあきらめに似た感情に、無意識的にずっと苦しめられてきました。
これは学校生活・社会人生活で、非常にプラスに働く側面も多くありました。
絶対に怒らせないように人間関係をつくるため、表面上はそつなく見える私は、「上司にも部下にも同僚にも、人当たりがよく信頼できる良い人」と評価されました。
さらに、怒られないよう何事も先回りして考える習慣がついていたため、人より早くかつ細かいことにもいろいろ気が付くので「慎重で漏れがない完璧な業務スタイル」はサラリーマン生活では、さらに信頼され評価される要素になりました。
でも、実際は、人間関係でも仕事でも、心の中はいつも緊張状態で、完璧にこなしているつもりでも、不慮の事故の様に、たまに起こってしまう失敗や叱責に対するショックや落ち込みは、年々ひどくなる一方でした。
次、もしショックなことが起こったら、私は一体、立ち直れるんだろうか?
本気で自殺したくなるんじゃないだろうか?
と、そこまで心配するようになっていた時です。
nTech(エヌテック)という、認識を変化させる技術に出会いました。
その出会いによって、人生で初めて、心の底からの安心感というものを得ることができました。
それは、nTechによって、認識のオールゼロ化が起こったからです。
もう少し詳しく言えば、人間共通の脳の仕組みと心の働きを知り、その仕組みに沿って自身の認識アルゴリズムが今ここどのように働いているのか、その全体像が見えました。そして、それまでの認識をオールリセットして、新しい認識をゼロ状態からどのように形成すればよいか、もわかり、
そもそも、あの小川事件のときに、「母に怒られ、母にとって自分はいらない人間だ」と思ってしまった、そのこと自体が、
幼かった私が、ひとりで勝手にそう思いこんでしまった「私独自の解析(リテラシー)だった」ということがはっきりと理解・納得できたからです。それによって、私の認識のベースは、恐怖から安心へと大きくシフトしました。
さらに、今ここで自身の認識がゼロになりさえすれば、どんな相手であっても「100%理解できる」ことに確信を持つことができ、
その結果、それまで、相手に怒られないようにと、ただただ必死で頑張り続けた私の人生は終わりを告げ、代わりに、相手を理解し、相手に寄り添いながら一緒に問題を解決していく、そんな人生へと大きく変化しました。
そうなったことで、その後はさらに1:1の信頼関係をベースに、数人~数十人、さらに百人規模の様々なプロジェクトのマネジメントも任されるようになりました。
これは、とかくズレてしまいがちな、リーダー(経営者)の思いと、社員の思い、その双方に寄り添い、両者の「間の役割」をするマネジメントを行うことで、お互いの疎通が円滑な状態をキープでき、プロジェクト全体を安定して目標達成(納期や成果物、達成感も含めて)に導くことが可能になったためです。
そんな私が今、この「安心トランスフォーメーションメソッド」を提供しているのは、
かつての私と同じように、「人に怒られることに何よりも強いストレスを感じ、その結果、どうしても相手に合わせて頑張り続ける人生になってしまう。でも、そんな人生は終わらせて、心の底から安心して信頼できる関係性を自分からつくれるようになりたい。でもその道がわからない・・・。」そんな人に向けて、
あきらめなくていい、絶対的な安心感から常に始めることができる道がある、と伝えたいと思ったからです。
そんな私が、今後やりたいことは、言いたいことが何でも言えてかつ、怒りや恐怖・否定が存在しない、二度と傷つけあうことができない笑いにあふれた優しく、温かい絶対的な安心感を土台に、お互いがお互いを全力で応援し合えるつながりを広げていくことです。
興味のある方、気になる方は、まずはぜひ、空豆が主催する各種イベントやワークショップにお越しいただくか、お試しセッションをお気軽にご利用ください。
お会いできることを楽しみにしています。


論語と算盤とnTech。
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
元旦の今日は、今年のテーマ「経済循環」につながることを書いてみたいと思います。
明治維新後、日本に資本主義というシステムを持ち込んだのは、江戸幕府のあとの明治新政府であり、そのなかでも「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一だというのは有名な話です。
その渋沢栄一が書いた「論語と算盤」。昨年、大河ドラマでもやっていただけあって、書店にもたくさん本が並んでいますね。
年末の令和哲学カフェでは、初めて東洋思想を取り上げ、孔子についても解説があり、さらに、NHKの「100分de名著」では、マルクスの「資本論」が取り上げられていたので、
まさに、論語と算盤の、算盤が示す「資本主義」、そして「論語」という孔子の説いた哲学を同時にタイムリーに知ることができました。
マルクスの「資本論」に書かれた内容からは、過重労働がなぜ終わらないのか、資本家と労働者の格差が開いていく仕組み、そしてイノベーション(技術革新)によって、実は労働者はどんどん機械の様に仕事をする存在になっていくことなど、
資本主義社会で今、まさに起こっていることが、そもそも「そうならざるを得ない仕組みになっている」ということが、よくわかりました。
それも、資本家が「エゴ意識」を持ち、所有を増やしたい・拡大したいというそのエゴ意識に素直に従えば従うほど、その動きは助長されていく、ということも理解できました。
だからこそ、渋沢栄一は、日本に資本主義を持ち込むときに、孔子の説いた「徳治主義」(リーダーは、民のことを思い、徳をもって治めること)つまり論語をセットにすることを、重要視したんだなと、初めて納得が行きました。
その渋沢の功績によって、明治・大正・昭和の、主に戦前の日本式資本主義は、資本家だけが大儲けをして終わるのではなく、資本家も万人のために徳をもって会社を経営する、という精神が根付いていたのでしょう。
だからこそ、日本は、驚異的なスピードで全体がどんどん豊かになり、技術革新が進むと同時に、多くの日本人が素晴らしい技術者にも育っていく、という、世界にも類を見ないシステムが出来上がっていたんだと思いました。戦前の日本は、もしかしたら、マルクスが書いた、資本主義の弱点をクリアした理想国家が実現していたのかもしれません。
しかしながら日本は敗戦し、戦後、アメリカから自由主義の思想哲学が流入したことで、個人主義の色合いが強くなり、がんばって稼いでどんどんお金持ちになれば何でも実現できる、夢もかなえられると、アメリカンドリームを目指して、論語による徳治主義よりは、いかに効率よく稼ぐか、という能力主義へと、エゴ意識を強化し、個人の能力を重視する社会へと変化を遂げました。
その結果、今の日本は、格差は進み、徳治主義を掲げて政治を行うリーダーはおらず(口だけ唱える人はいても)、お金を稼ぐ能力のある人は短い時間で莫大な財産を築き宇宙に行き、もしくはとびぬけて優秀な成果を出す若者は世界から注目され、でもそれ以外の若者たちは失望の中にいて、あまりの格差に子供たちまで影響を受け未来を嘆き、「親ガチャ」ということばまで流行するような社会になっています。
この状況に対して、希望の未来を創るための解決策は、あるのでしょうか?
何を原因とみて、どこから、どのように解決していけるのでしょうか?
まず、ここまで書いてきて、人間が解決できていない根本的な問題、それは「エゴ意識」だということは、これを読んでいただいている皆さんも感じていらっしゃると思います。
明治時代は、それを、孔子の説いた「論語」と組み合わせることで解決していたのだと思います。
エゴ意識を、倫理道徳、つまり社会にとって良いと思われる最大公約数で標準化することで、つまりみんながちょっとずつ我慢して、みんながなるべくうまくいくところに合わせるようにすれば、社会全体としてベストなんじゃないか、それをリーダーがしっかり扇動する、という解決方法です。
でも、現代は、同じ方法で、リーダーが倫理道徳を説くことで、リーダーが徳を持つことで、本当にそれだけで、みんなが素直に言うことを聞いて、今生まれている社会の問題を解決できそうでしょうか?
もっともな理想論も、逆にうっとうしく感じたり、「口ばっかり」と思われるような、そんな時代です。
SNSやインターネットで、様々な情報が飛び交う現代は、それだけ、多種多様な意見が飛び交っていますから、人々のバラバラな観点・判断基準をひとつにまとめるのは、歴史上、もっとも難しい時代と言っても過言ではないでしょう。
では、どうしたらよいのか?
nTechは、今までの論語も算盤も、「脳」の中でやってきたこと、と言っています。
その脳でやってきたすべてのことに、いったん終止符を打ち、全く新しい「心」に移動することで、すべてを解決してしまおうといっているのです。
先日、80歳の方が、nTechについて、非常に的確な表現をされていて、なるほどー--!と思ったのでご紹介します。
天気予報、昔はあまり当たらなかったけれど、それは地上から観察していたから。地球の外に出て、地球を外から観察したときに、雲の動きや全体が見えた。外に出て全体を観察しているから、今の天気予報は非常に正確になっている。
つまり、今まで、人間は「脳と五感」という、非常に部分的なところしか観察できない道具を使って、すべてを知ろうとしてきたし、それですべてが分かるはず、と思って進化してきました。
でも、そろそろ当たり前のことに気づくべきです。この観察方法では、正しく分かることは一つもないことを。
まずは、脳の外側に出ること。そして、脳の外側から、この宇宙自然が生まれた仕組みを理解すること。その後で、その仕組みと実際がピッタリ当てはまるのか検証してみること。それがピッタリくれば、安心して新しい認識方式を、全方位的に適用すればよいだけです。
この、脳の外側に出る方法、そして脳の外側から宇宙自然が成り立つシンプルな仕組みを伝えているのがnTech・認識技術です。
そして、脳の外側に出たときに得られる感覚、それが「心感覚」です。
心感覚になったとき、人は、自分も誰もこれ以上責める必要がないことに気づき、すべてをすでに所有していることに気づき、これ以上、なにも欲しがらずとも今ここにすべてがあることが理解できます。誰も支配せず、誰からも支配されることのない、絶対尊厳で生きることができ、今ここ、自分の宇宙を、自分の意志で立ち上げ、新しく創造していくこともできます。
脳から心へ。中心軸が移動したときに、今までの論語も算盤も、まったく新しいものとして、活用していくことができるでしょう。
nTech×論語×算盤=シン日本式資本主義。
2022年は、新しい日本式資本主義がスタートする年になりますように。
なぜ私が、令和哲学・nTechをたくさんの人と共有したいのか。
みなさんにも、こんなことありませんか?
表面は笑顔で楽しそうにしていても、実は、ありのままの自分をだせず、心の奥底では「ここも自分の居場所じゃない」と孤独を感じ、本当の居場所、心底安心できる心の拠り所をいつもどこかで探している。
nTechに出会う前の私は、いわゆる大企業でシステムエンジニアという専門職に就いていました。有難いことに、上司から評価されて女性にしては昇進は早い方でしたし、後輩からも慕われて、入社2年目に書いた論文が本人は知らないうちに部内で模範的な論文として出回っていた(笑)等、一見するとそこそこの優良社員だったんじゃないかと思います。

でも、、、実は、
周りからはよく「〇〇さん良い人だよね」と言われ、いろんな人に声をかけてもらい、人間関係は一見良好でも、ふと気が付くと「ここは私の居場所じゃない気がする・・・」と孤独を感じることが多くありました。人に気を遣いすぎて、なかなか本音が出せないし、私に親友と呼べる友人は一体何人いるんだろうか??そんな風に思うこともよくあり、一番身近な家族にさえ、一番わかってほしい部分を分かってもらえず、結局のところ「本当の自分は、誰にも分かってもらえない」と絶望したこともあります。でも、人生きっとこんなもんだろう。『人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし』と家康も言ってたじゃないか。 それが人生・世の常だと思って、こんな気持ちを他人に吐露しても仕方がないから、自分の心の中だけにとどめておこう。
そんな風に思って生きていました。
でも、本当は(心の底では)、安心してなんでも言える関係性、つまり何を言ってもやっても大丈夫で、しかもそれでいて絶対に壊れない、切れない関係性がほしい。そんな安定した関係をつくりたいし、つくれるようになりたい!
そう思っていました。
そう思うようになった背景は、幼少期にあります。
私の母は、私が幼いころはとても厳しい人でした。私の中では、怒られた記憶しか残っていないくらいです。
人はいつ怒り出すか分からないし、怒らせたり嫌われたりしたら、大変なことが起こる。私は、怒られた時に、立ち直れないほど心が傷つく経験を何度も繰り返しました。
3歳くらいのとき、家の裏にある川幅70~80センチほどの小さな川に、足を滑らせて落ちてしまいました。幸い、祖父に助けられましたが、母にものすごく怒られて、全身ずぶ濡れのまま家の前に立たされていたのを覚えています。
4~5歳のころには、何をしでかしたのか全く記憶にありませんが、真っ暗な蔵に入れられ、泣き叫んで出してくれと懇願し、重い土蔵の扉を自力で開けて、小さい子供が一人なら出られるくらいなんとか扉が開いたにも関わらず、母の許しが出ていないので、その扉から外に出ることもできずに、半分だけ体を外に出した状態で、泣き続けるしかありませんでした。
さらに、小学校に入ってから、習っていたピアノ教室の発表会で客席で聞いているときに、前に座っている親子の真似をして母親に膝枕をしてもらおうと寄りかかったら、「なにやってるのっ!?」とひどい剣幕で怒られました。

そんな出来事を通して、私は、 怒られたり、嫌われるようなことをしてしまったら最後、大声で叱られる恐怖と共に、私という存在そのものが一瞬で否定され、愛されていないこと、受け入れられていないこと、本当は生まれてきてはいけない人間だったことを強烈に思い知らされる。だから、とにかく、人は怒らせないように、嫌われないように、常に全方位に気を配って 最善を尽くして慎重に慎重に振る舞って生きていくしかない。だから、表面は一見笑顔だったとしても、内心ではいつ怒られるか、嫌われるか分からない緊張感や不安や恐怖に常に苦しんできました。
でも、0=∞=1に出会って心感覚を得た時、
なんだ、もう怖がる必要なんてないんだ!!と初めて思えました。
相手はいつ怒り出すかわからない恐怖の対象ではなく、 100%理解できる対象。相手を理解できるからこそ、壊れない関係性は自分から積極的・能動的につくれる!と、心の底から確信しました。その時、それまで人に対して感じてきた、緊張や不安や恐怖が一気にほどけて、生まれて初めて、道行くすべての人が、温かく感じられ、まるで以前から知っているようなやさしさ・親近感を感じました。
この変化によって、1;1の信頼関係構築から始まり、結果的に、数人~10人~100人規模のプロジェクトのマネジメント統括などもやらせていただき、メンバーと一緒に目標を達成するなど、関係性の構築が実際に仕事上でもプライベートでも自らの意志で安定的にできるようになりました。
そして、かつての自分と同じように、 安心して何を言っても大丈夫、しかもそれでいて絶対に壊れない、切れない安定した関係性をつくりたいのに、なかなかそれができずに、表面は笑顔でも、実は内心はあきらめと孤独の中で闘っている方々の役に立ちたい、という思いで、【安心トランスフォーメーションメソッド】を開発しました。
・親が厳しくて小さいころよく怒られた
・ほめられるよりは否定されることが多かった
・人が怖いと感じることがある
・人間関係に臆病になっている、あきらめがある
・休日はなるべく人と関わりたくない
・にもかかわらず、周りからは結構いい人と思われている
・人も自分も嫌いだが、本当は心から好きになれたらいいのにと思う
もし、そんな方がいらしたら、まずは、新刊本【心感覚】を題材にした、気軽にな読書会からはじめてみませんか?
揺るがない安心感と、関係構築できる自信を、あなたの内側に持ち続ける道を、ご案内します。
読書会に興味のある方は、ぜひコメント欄からご連絡ください。
詳しいご案内をお送りします。
10月の国際カンファレンス、そして1230人で共有した21世紀の悟りについて。
2021年も早いもので師走に入りました。
今年もあと僅か。お久しぶりの更新です。
おかげさまで、10/9.10.11の国際カンファレンスは、のべ3500人という多くの方にご参加いただいて、オンライン/オフライン/メタバースと、3つの空間で大盛況のうちに終わりました。
緊急事態宣言は解除されたとはいえ、コロナ禍の中での国際カンファレンスを開催すること自体、そしてそこに集う方々も、この時代へのチャレンジ精神と勇気溢れる、異端児であり最先端の存在だと、終わってみてひしひしと感じました。
3日間の様子をまとめたダイジェスト映像はコチラです。
更に、当日のプログラムや、このカンファレンスの趣旨を記載した小冊子も、こちらからご覧になれます。
2021_Program_Dignity2.0INC_Full.pdf
この3日間を通して、私が感じたことは、nTechという技術が、「まず理解する・学ぶ」ところから、本格的に「応用・活用する」フェーズに入った、ということです。
これまでは、NohJesu氏が発見した0=∞=1という概念を、まず正確に理解すること、そしてそれを誤解なく共有・伝達できるようにすること、つまり、21世紀の悟りを教育コンテンツとして体系化する、という、これまでだれも成功することのなかった超難題である「悟りの教育プログラム化」に、NRグループは26年間、オールインしてきた、と言えます。
そして、今回の国際カンファレンスでは、nTechを学んだ多くのメンバーが、3日間にわたり、それぞれのブース(企画枠)で、その学びを通して生み出した、新しいコンテンツやプロジェクト、さらにnTechによって何がどのように変化し、どのような効果や可能性が期待できるのか、といった実績を伴う希望を発信しました。
ようやく、教育から、その教育を土台に、物を得ることで生まれる感動ではない、認識の変化によって生まれる直接的な感動の「体験」を価値とする新しい経済循環、新しい資本主義を生み出していくフェーズに移動した、とも言えます。
新しい資本主義とは、心の入った経済システム、とも言えると思います。
昨今のCOP26等をみても、やはり今までの認識(脳と5感覚を中心)から出発する取り組みは、どうしても自分の生存本能中心、つまり自国中心の施策にしかなりません。いくら地球環境が破綻する可能性があると叫ばれても、各国とも、地球資源を搾取して、物をどんどん作り、それをどんどん売ることで経済循環を生む、それが人間の欲求を増大させて、必要以上に物を欲しがるようにさせることで成り立っているとしても、そのようにして経済循環を生み出すシステムを変化させることができません。
脳から心へ。すべてを成り立たせている本来の心、源泉動きから始まる認識に切り替わった時、初めて人間は、すでに今ここ、足りないものは何もなく、十分に満たされているあり方からスタートできます。さらに、分離独立して自己が存在するイメージからも自由になって、地球市民としてのアイデンティティに立って、思考・感情を展開することが可能になります。
これは、倫理道徳的な精神論ではなく、この宇宙自然の仕組みを100%の理解し納得した上で、一人一人が主体的に選択して実行する、新しい資本主義づくりのアクションと言えるでしょう。
現在、多くの場面で、お金のために命が削られ、命を維持するためには心をも亡くすという、お金>命>心、という矛盾した優先順位が出来上がっています。
このおかしな優先順位を、一番深くから湧き上がる心とつながった、命、そしてその命を生かすお金の循環に、反転させていくことが必要だと思います。
そのために、共有したい概念である「0=∞=1」。
この 「0=∞=1」 の概念、つまり認識技術・nTechを、たった1日で伝達しようとするチャレンジが、10月23日に初開催されました。
1230人の方が申し込まれて、そんな大人数でオンラインでつないで講座を受けることも初で、かなりドキドキしました。







講師はもちろん、令和哲学者であり、21世紀の悟り人NohJsesu氏。
26年間の研究開発の内容、0=∞=1の概念であり、21世紀の悟りを、たった1日に圧縮してしまうことも驚きでしたが、その内容を、多くの人が受け取っていたこともまた驚きでした。
時代が、新しい認識を求めている、それを確認する1日でもありました。
さらに、11/23には、バージョンアップした第二弾が開催され、またまた1000人を超える方が申し込まれたそうです。
0=∞=1の概念が、多くの人に受け入れられる時代になったことがとても嬉しいです。
