新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十一章。
この章は、『克己』について書かれています。
武士は「喜怒色に現さず」がよしとされ、感情を表にだすことは、男らしくないこと、と思われていたようです。
例えば、親だったら通常子供に対して「こうしたい」「ああしてほしい」等のいわゆる「親心」の感情を出すことは「弱さ」とされる。
何かに励んでいる忙しい子供には、あえて臨終を知らせなかったり、とくに父親が人前で、自分の子供を抱いてかわいがる、等は良しとされなかったり。
とにかく武士は「自制心」というものを日常でとことん鍛えられている。
私たちの日常でも、道徳的な感覚としてそれはあちこちに残っていて、「一番苦しいときこそ笑顔で」などは、様々なドラマや、親からの教え、学校の先生の講和等々にちりばめられていたように思います。
感情をみだりに見せないのが美しいとされる国民性。
自制するからこそ、文学(詩歌なのの表現)では、繊細な感情表現をするようになったのかもしれません。
以前、韓国出身の令和哲学者ノジェス先生から、「韓国では、感情を出すことが美しいとされている。」
と聞いた時は、心の底からびっくりしたのを覚えています。
大げさな感情表現をする隣国の国民性を、実は私はそれまで奇異な目で、しかもどこか嫌悪感さえ感じつつみていましたが、
感情を出すこと/出さないこと、にもその国が培ってきた歴史的な文化や背景が表れているのだと理解できてから、偏見はなくなりました。
そして、日本については、どれだけ心にストイックな国民なんだろう??としみじみ感じました。
心(ここでは感情、の意)の制御を、世界一トレーニングしてきたのが日本人と言えると思います。「心感覚」をマスターするために、準備されてきた国。
今日も読んでくださってありがとうございます。