遅ればせながら、新渡戸稲造の「武士道」を読んでいます。
本を読んで感じたことを、綴っていきたいと思います。
まず、初日は、訳者序から緒言までの気づき。
この本が書かれたのが、新渡戸稲造博士38歳の時。
時代は、明治32年(1899年)。日清戦争の4年後、日露戦争の5年前。日本が国際社会に対して「東洋の小さな国が、なぜこんなにも強いのか??」その疑問が生まれるような、驚くべき動きをした時代に重なります。
英語で書かれたこの本は、その西洋からの問いに対して当時、「なるほど」という答えになったのではないかと感じます。
新渡戸稲造博士は、奥さんがアメリカ人だったようですね。江戸時代に幼少期をすごし、封建制度のなかで自然と教育された内容が、いったいどんなものだったのか、それを奥様や、外国の多くの方から聞かれたそうです。
それを「武士道」と名付けて世界に発表した、それがこの本。
日本人の中に眠っている、でも多くの部分を占めている何か、それが明らかになっていくことが楽しみです。
緒言は、ウィリアム・エリオット・グリフィスという方によって書かれています。
どのような人なのか調べたところ、以下のような方だそうです。
アメリカ合衆国出身のお雇い外国人、理科教師、牧師、著述家、日本学者、東洋学者である。明治時代初期に来日し、福井と東京で教鞭をとった。
引用元:ウィリアム・グリフィス – Wikipedia
この緒言の中に、キリスト教の根底が、武士道につながるのではないか、といった表現や、西洋と東洋が一つになるときに、日本が有力な「中間項」になるのではないか、といった記述もあり、当時の外国人が、日本をすでにそのように見ていたことに、感慨深いものがありました。
今日はここまで。読んでくださって、ありがとうございました。