新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十四章。
この章は、婦人・女性への教育と地位、つまり「女性と武士道のつながり」について書かれています。
一番心に残ったのは、武士道の中では、男性よりは女性の地位は低いもの、武士道は男性中心の精神性だった、というイメージが覆った点でした。
確かに、武士と言えば戦う人、戦うと言えば一般的に男性をイメージしがちです。
ですが、女性もなぎなたや護身術を習い、また、音楽や舞踊や文字を学ぶことは当然だったそうです。
それは、家庭を守る中心が女性(母)だからであり、家庭を健やかに保つ、そして守るためには、夫人は、死もいとわず命を捨てる覚悟で挑む。
家の外では主君と臣下の関係が、家庭の中では主人と妻の関係として、とても美しいシステムが連続二段階のような形で、できていたんじゃないか、と感じました。
他の章でも出てきたように、武士道での主君と臣下の関係は、ただ隷属するのではなく、もし主君の行いが天下の大道に反するものであれば、身をもってそれを制するというものでした。その精神が、夫と妻の関係にもあった、ということです。
さらに、家庭での子供の教育は妻に任されていた、ということですから、幼少期から日常で培われる武士道の精神は、母親からのものが多くを占めていた、と言えます。
地位に関しても、単純に比較できるものではなく、家の外では男性、家庭の中では女性、と、場面によって違うから一概には言えない、という見解でした。
夫婦で一体、という個人主義の国には見られない考え方が、「身内をほめることはしない」ということに反映されていて、それは夫もしくは妻を、自分の一部として認識しているから、という内容にも納得でした。
女性も実は、武士道という精神性の一部をしっかり担いかつ受け継いでいることを発見し、実感できる章でした。
今日も読んでくださってありがとうございます。