AIは過去、人間は未来。

2021年になって、1月も今日で最終日です。

令和3年ですね。そして2回目の緊急事態宣言中の神奈川県です。

大変遅ればせながらではありますが、今年もどうぞよろしくお願いします。

陰陽五行でいうと、今年は、冬の午前二時。

一番寒い時だそうです。

一番寒い真夜中は、外に出歩いて活動しませんよね。

自然と中に向かう、内面に向かう、そんなタイミングだそうです。


さてさて、今日のタイトル『AIは過去、人間は未来』について書きたいと思います。

昨年は、令和哲学カフェをオンラインで毎晩見ながら、今までの人生で全く縁のなかった西洋哲学を聞きかじることができました。

AIが人間の知能を超える未来が叫ばれるようになったことに加えて、昨年はコロナ禍が起こり、人間とは何なのか?どう生きたらよいのか?という哲学的な問いに、多くの人が向き合いやすくなった、というより向き合わざるをえなくなった気がします。

令和哲学では、コロナに対しても、AIが台頭する時代の人間の生き方についても、明確に解決策や方向性を示していますが、

一言で言ってしまえば、今まで人間が蓄積してきた認識すべてを、オールゼロ化して、まったく新しいところから始めることできるのは、人間にしかできない特権です。

つまり、コンピューターは、一番シンプルに言ってしまえば、0と1の組み合わせで成り立っていますが、逆にいえば、0と1がないと成り立たない世界です。

この、0と1さえも生みだす何か、そこが認識できるのは人間にしかできないこと。

だからこそ、人間とコンピューターは、役割分担ができる、といえます。

0と1の組み合わせは、すでに有る何かが蓄積して生まれた様々なもの。例えばビックデータやプログラム等々。すでに有る、ということは、もう過去のものです。

すでに有る、にたいして、まだどこにもない、これから生まれるものは未来です。

何もない所から、全く新しく何かを生み出す。それが人間がやる仕事です。

0と1でこれまで誰も現わしたことがなかったものを、0と1が生まれる前の何もないところから、全く新しく生み出す。

生れた後はAIの仕事、生み出すのは人間の仕事。

過去はAIに任せて、人間は未来を創る。

それが、AIと人間の役割分担です。

重要なのは、この、人間にしかできない認識「0と1さえも生みだす何か、そこを認識すること」そして「何もないところから、今ここが成り立つ仕組みを理解すること」が、どうしたらできるのか、ということです。

これは、1996年からこれまでの研究開発により、nTech(認識技術)で可能になっています。

nTechを使って、人は、AIにはできない仕事、未来を創る仕事ができます。


宗教は信じることからスタート、哲学は疑うことからスタート。

疑っても疑っても疑い切れない哲学、令和哲学を土台にした新しい技術、nTechを活用して、日本が新しい人間のプレートをつくる役割を担うこと。そのことに、多くの人が納得して共感して、一緒に未来を創る仕事に取り組める日が来ますように。

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