【リテラシー】の重要性

clear light bulb placed on chalkboard

こんにちは。そらまめです。

今日は、リテラシーについて、書いてみたいと思います。

リテラシーについて、辞書で調べてみると、

リテラシー【literacy】 の解説

1 読み書き能力。また、与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力。応用力。

2 コンピューターについての知識および利用能力。→コンピューターリテラシー

3 情報機器を利用して、膨大な情報の中から必要な情報を抜き出し、活用する能力。→情報リテラシー

引用元:goo辞書



とありました。

概ね、情報を処理して活用する能力、と言えるかと思います。

大量の情報にさらされる現代社会。

なんでも、現代は、1日に受け取る情報量が江戸時代の1年分、そして平安時代の一生分ともいわれているそうです。

想像しただけでも目が回りそうです。(江戸時代の人が現代に来たら、卒倒しちゃうかもしれませんね(笑))

その大量の情報を、どうとらえて活用するのか、どう処理して今の自分の人生や社会、そして未来に生かしていくのか。これはとても重要な能力と言えます。

しかも処理スピードも要求されます。

次から次へと、情報は押し寄せてくるのですから・・・


何事もそうですが、処理するにしても、何らかの基準が必要です。

これは必要、必要じゃない等。その基準も持てないままでは、ため込むか、無視するか、あきらめて、もう適当に感覚的に好きなものだけをチョイスするか、

そのくらいしかできなくなってしまいます。

部屋のお掃除や、断捨離に通じるところもありますね。

あなたなら、どの方法を選びますか?

私も、最近は、あまりの情報の多さにアップアップすることもしばしばあります。

そんな時、令和哲学の概念をつかって、この大量の情報を、どのように取捨選択できるか、ちょっと考えてみました。


Q:今の時代に、最適な情報の処理方法とは?

まず、最初に浮かぶのは、やはり、

「今の時代は、プラス(+)することではなくマイナス(-)すること」

です。つまり、知識は増やすのではなく、いったんオールゼロ化。

そして、ゼロ化したところから、1・間・点、その仕組みをつかって(すみません、これは、令和哲学(nTech)を学んでいないと分からないかと思いますが、短い文章で説明するには限界があるため、すみません・・・)自分自身が作りたい未来を今ここ設計すること。

これも、断捨離をイメージするとわかりやすいと思います。

まず、散らかった部屋を抜本的に片付けるには、以下の手順がシンプルです。

①部屋の中からすべてのものを出して、空っぽにする。
②その空っぽの空間を、どうデザインしたいか、目的をもって完成図をイメージする。
③②のイメージに従って、必要なもののみ、部屋の中の決めた位置に戻す。

部屋があなたの頭の中。
その中にたくさん散らばっているいろいろなものが情報。

そんな風にイメージするとわかりやすいのではないでしょうか。


でも・・・

毎日流れてくる大量の情報を、的確にしかも時代に合うスピードで処理するのは、やっぱり大変ですよね。

そんなあなたに朗報です!

世界中に散らばっている大量の情報を一瞬で断捨離して、77億人がオールウィンできる未来をつくる方向性に合うように情報を再構築・再構成して、発信しているのが

NohJesuリテラシーマガジンです。

令和哲学やnTechを「まだよくわからない・・・」という方も、時事問題や、身近な話題を扱っていますので、自分ごととつなげて聞きやすい、受け取りやすいと思います。

かなり、よさそうだとおもいませんか?(手前みそかな(笑))

あなたの代わりに、現代の大量の情報を、NohJesu氏が断捨離して、快適なお部屋に住まわせてくれます!

令和哲学をすでに学んでいるあなたなら、自身の解析と、Noh先生の解析の、共通点や違いを整理して、さらに質問したりしてみると、リテラシー能力の向上につながっていくと思います。

どんなニュース番組のコメンテーターの意見を聞くよりも、自分自身の身になり、かつ参考になるのではないでしょうか。

NohJesuリテラシーマガジンの詳細はこちらから

先日お知らせした、明日のNohJesuリテラシーマガジン交流会は、本日24時〆切です。

今回は、非会員の方も参加できますので、ご興味のある方はぜひ!

詳細はこちらの記事から。

デジタル庁の発足と、Dignity2.0国際カンファレンスについて

こんにちは!そらまめです。

前回の更新から、2か月以上がたってしまいました。

この間、もう、この夏はいろいろなことがありすぎて・・・

一つはオリンピック。コロナパンデミックの中での開催を選択した日本。

反対する人も多く、リスクについても叫ばれていた中での日本政府の勇気ある選択。その結果、アスリートたちの姿や、メダルをとった選手の感謝のコメントひとつひとつに、勇気をもらった人、癒された人、若いアスリートの活躍に未来の希望を感じた人も、多かったのではないかと思います。

私も、こんなにオリンピックをしっかり見たのは、小学生の頃以来じゃないか?というくらい、夢中になりました(とくにスケボーにはわくわくしました!)。

パラリンピックも、選手たちの戦う姿、あきらめない粘り強さ、一つのプレーの裏にある日々の蓄積や努力、それを支える人たちの思いやエネルギーを思うと、目が離せなくなりましたし、「We have Wings」このメッセージには、深い意味が込められていることも、同時に感じた期間でした。

そして、季節は秋。

食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋。

いろいろなことが、充実した、実りを迎える季節。

日本では、今月9月1日に「デジタル庁」が発足しましたね。

デジタル庁発足式での、菅首相のコメントを紹介します。

新型コロナ感染症への対応の中、行政サービスや民間におけるデジタル化の遅れが浮き彫りになりました。思い切ってデジタル化を進めなければ、日本を変えることはできない。

これを強力にリードする司令塔が必要である、こうした思いで、デジタル庁の創設を決断いたしました。

デジタル庁発足式を行いました |デジタル庁 (digital.go.jp)




コロナパンデミックが、デジタル後進国と言われる日本のデジタル化を後押しした形ですが、日本の課題が浮き彫りになって、その対策に一気に舵が切られたことは、日本の未来にとって必要な選択だったと感じます。

そして、10月10,11日は、今年から、「デジタルの日」として制定されたそうです。

デジタルの日とは
デジタルの日は、デジタルに触れ、

使い方や楽しみ方を見つける日。
年に一度の、デジタルの記念日です。
実は、今年初めて創設されました。

デジタルの日ホームページ (digital.go.jp)




折しも、10月9.10.11日は、Dignity2.0国際カンファレンスが予定されています。

このカンファレンスの趣旨は、以下の設立趣旨文(一部抜粋)の冒頭にもあるような、以下の問題意識に対する明確な解決策を提示するものです。

Dignity2.0国際カンファレンス設立趣旨文

人工知能(Artificial Intelligence:AI)は第3世代AIの中心である深層学習(Deep Learning)を超え、第4世代へ向かっています。この驚異的な進化は多くの利便性をもたらすと同時に、人間の肉体労働や知的労働を代替し始め、近い将来、大半の人間が無用者になると揶揄されるほど危機的な状況に追い込んでいます。そんな中での新型コロナウィルスの出現は、小さなウイルス1つさえも制圧できないという現代科学の限界を露呈し、世界共通の脅威となりました。健康被害のみならず、経済も瀕死状態に追い込み、心の健康も潰され、鬱や自殺、憤怒による暴力が蔓延するなど歯止めが効かない状態です。

これらの出現が、私たち人類に突き付けている究極の問い、それは『人間の尊厳とはなにか』ではないでしょうか。2045年には科学技術の終焉を迎えると言われ、これまでの時代が幕を閉じようとする中、本格的に心時代の扉を開けて次なるステージに上がるためには、この問いへの答えは避けて通れません。

Dignity 2.0 国際カンファレンス – Dignity 2.0 International Conference




私が2019年、2020年で立ち上げに関わった、マインドームインストラクターという資格制度、そしてnOU(nTech Online Univ. エヌテック オンライン ユニバーシティ)も、このカンファレンスに出展する予定ですが、

いずれも、「意識の作動原理」と「物理の作動原理」と「コンピューターの作動原理」をすべてつなげて、それらの動きのベースとなる源泉の動き、そこから生まれる「デジタルの動き」でシンプルに表すことに成功した認識技術・nTechを土台にしているので、デジタルとは深く関わりがあります。

101011、0と1にこだわって制定されたというデジタルの日ですが、このDignity2.0国際カンファレンスのまさに当日だったという、この偶然にとてもびっくり!しました。

コロナパンデミックが起こり、人と人が直接出会うことが制限されて、この状態がいつまで続くか見通しが立っていないこの時代に、その状態を補っていくためにデジタル化が加速度的に進んでいくことに対して、抵抗感や不安をもったり、そもそもデジタルなんて難しいと感じる方も多いかと思います。

元SE(システムエンジニア)として、かつてコンピューター業界にいた私でさえ、昨今のSNS化の流れやIoT(※1),IoE(※2)の流れにいったいどこまでついていけるんだろうか?と不安になることもあります。

※1:Internet of Things:モノのインターネット。従来インターネットに接続されていなかった様々なモノがインターネット経由で通信すること

※2:Internet of Everything:あらゆる物事のインターネット/すべてのインターネット。モノだけではなくヒトやサービスも含めたすべてがインターネットにつながること


ですが、このデジタル化の波、「何がなんだか分からない」と思えば、ただ漠然と恐れるしかありません。大切なのは、デジタルとはそもそも何なのか、自分自身とつなげて理解できて、「あ、結局すべてが、このシンプルなデジタルの動きで成り立っていたんだ!」とわかれば、「なるほど、そういうことか!」と気づきを蓄積しながら、怖がらずにゲームを楽しむように色々なことを試したり、新しいことに挑戦することも、断然軽やかになるはずです。

これが、様々なデジタル機器や道具を使いこなすことの数十倍、いえ数百倍大事で、しかも安心につながると思います。この、根本原理を知って様々な課題の根本問題にアプローチし、それを「具体的に」解決していく方法について、教育・経済・政治・文化芸術・健康・ライフスタイルといった、様々な角度から提案がなされるのが、このカンファレンスです。

ぜひ、たくさんの方にご来場いただいて、次世代の哲学、学問、そして希望のビジョンに出会っていただけたらと思います。


●Dignity2.0国際カンファレンス2021公式サイトはこちら

【緊急】アルコール携帯キャンペーン

a hanging face masks

こんにちは。そらまめです。

先日、令和哲学カフェで、東京オリンピックの白熱議論(やる?やらない?最高のやり方、最低のやり方)がありましたが、その中で、

マスクに加えて、アルコールを携帯して、手が触るところはとにかく消毒、触った後も消毒して、生活防疫を徹底させよう、という発信がありました。

ウィルスの性質からみて「人間の手が触るところは、ウィルスがいるところ」。ウィルス感染は、とにかく手から。

だから、手を徹底的に消毒、手が触ったところも徹底的に消毒。

そうすれば、ウィルスは統制可能になります。

私たち一人ひとりにもできる対策、広げたいものですね。

医師の観点からも、その対策がとても有効である旨が示されていますので、長岡美紀先生のFacebookから、そのことが記載されている6/26の記事を紹介します。

・・・ワクチン頼りではない人間に備わっている真の力、自然免疫。まずはそれを強化すること。そして次に、エンベロープウイルスであるコロナウイルスへの直接的な対処は、アルコールに弱いという特徴を利用すればいいのです。あちらこちらにアルコールを設置し、また国民一人一人が携帯用のアルコールを持参して回る。今まさに国民全員がマスクを着けているように。飛沫感染と接触感染が主な感染経路のため、手と触ったところをアルコール消毒して回れば、コロナウイルスは感染力を失っていく。「そんな微々たることが・・・」そう思うかもしれません。しかし一人一人の微々たる働きが大きな結果を生むのです。アルコール消毒は有効です。

引用元: 長岡 美妃 | Facebook


東京オリンピックを境に、この対策方法が有効な事例として日本から世界に広がれば、世界中が、ウィルスとの戦い方がわかるし、人間がウィルスに怯えずに、勝利していく道が切り開かれていきます。

ぜひ、一緒にアルコール携帯キャンペーン、やりましょう!

<<拡散大歓迎です!!>>

person holding hand sanitizer
Photo by Anna Shvets on Pexels.com

座右の銘には、前置きがあった。

mountain covered snow under star

人生は、勇気ある冒険か、さもなくば無だ。』

たしか、20才ごろに出逢った言葉ですが、それ以来、長いこと私の座右の銘でした。

過去形で書いたのは、40代を超えてから、この座右の銘がそれほど響いて来なくなったから。(私もすっかり落ち着いちゃったのかな・・・(笑))

若い時は、ワクワク、そして心が引き締まるような、何かに掻き立てられるような感覚で、このコトバを反芻していました。

最近、このフレーズをメモした紙が出てきました。

そこには、すっかり忘れていた、このフレーズの”前置き”が書かれていました。

久しぶりに宝箱を開けてみたら、自分でも忘れていたお宝を再発見!したような、そんな嬉しい気持ち。

そこに記してあった前置きは、以下のような言葉でした。

人生最大の悲劇は多くがその夢を実現できないことにある

それはリスクを恐れるからだ

人生は勇気ある冒険か、さもなくば無なのだ。

ギルバート・キャプラン


ギルバート・キャプランさん、どんな人だったのか、全く記憶がなく、

作家だったか冒険家だったか・・・?と、ネットで検索してみました。

すると、音楽にはまったくの素人だった実業家の男性で、でもマーラーが大好きで、難曲と言われる「復活」という交響曲の指揮にチャレンジしたところ大絶賛され、有名になった方だそうです。

つまり、普通なら誰もチャレンジしない、チャレンジしようとも思わないことにチャレンジして、思いもよらない結果を得た、そんな人のことばだったようです。

そして、さらに調べてみると、

人生は勇気ある冒険か、さもなくば無なのだ。

という言葉は、ヘレンケラーのことばとしても有名だそうです。

ヘレンケラーも、普通ではあり得ないことに挑戦した人として、本当に有名です。

実際に挑戦して、そしてその結果、突破した過去の偉人たちのことばには、説得力があり、勇気を貰えます。

でも、今、この瞬間も、チャレンジし続けている人たちは世界にたくさんいて、その一つ一つのチャレンジは、見える結果に繋がらなかったとしても、その価値は計り知れません。

そして、一ついえることは、結果までつながった人の共通点は

あきらめなかったこと。

若い時は、リスクを恐れない勇気に魂を揺さぶられましたが、年を重ねると、あきらめないこと、あきらめずにチャレンジし続けること、それが実はとても難しく、そして難しいからこそ大きなことだと感じるようになりました。

あきらめない心はどこから生まれるのでしょう?どうしたら、そのモチベーションを保ち続けることができるのでしょうか。

最近知ったショーペンハウアーという哲学者は、人間には、生への盲目的欲求があり、そこからは誰も逃れることができない。しかも、人生は苦痛か、苦痛から逃れた先にあるのは退屈、そのどちらかを振り子のように繰り返す、と言っていたそうです。

苦痛から逃れたい、その思いにはモチベーションが働きますが、苦痛から自由になってしまったら、一気にそこまでのモチベーションは消え、退屈になってしまう。これは、夢を持てば頑張れる、でも、夢が叶えば途方に暮れる、または、衣食住に困らなくなった先進国の憂鬱といったイメージともつながります。

若い時は、ああなりたい、こうなりたい、と夢や希望に燃えて勝手にエネルギーが湧いてきたのに、年を取って経済的にも豊かになり安定して、先が見えてくると、何に情熱を燃やしたらよいかわからなくなる、そこともつながりますね。

あきらめない心、持続的にモチベーションを持ち続けることは、難しいものです。

あきらめない心は、いったいどこからうまれるのでしょう?

すべての存在を、変化運動移動している力の源泉。宇宙を137億年ずっと進化成長させ続けている力の源泉。

そこに、枯れないモチベーションの秘密があります。

その源泉動きを、人生に活用応用して生きることを可能にするのが、令和哲学でありnTechです。

今日も、読んでいただいてありがとうございました。




◆令和哲学カフェ|平日毎晩無料開催中!




【特別企画①】東京五輪は危機かチャンスか徹底討論!_令和哲学カフェ



【特別企画②】東京五輪の最悪のやり方 最高のやり方を徹底討論!_令和哲学カフェ


◆NohJesuリテラシーマガジン





最高のやり方、最悪のやり方。

illuminated tower

昨日と一昨日の令和哲学カフェ。

東京オリンピックの是非、そして、「やるならどうやるか?」その最高のやり方と最悪のやり方について、激論が展開されました。

この2日間、視聴してみて、感じたことは大きく2点あります。

一つ目は、議論するときの姿勢態度が美しいということ。

二つ目は、令和哲学者NohJesu氏の診断が、今の日本の実状を客観的かつ総合的にとらえた、非常に納得できるものである、ということ。

議論する姿勢態度の美しさ

6/23は、東京オリンピック開催は、危機かチャンスか、というテーマで、前半は危機を主張する側と、チャンスを主張する側の二手に分かれて討論がすすみました。

開催した場合のリスク、そして開催しない場合はどうなるのか、そのどちらの意見も、確かにその通り!と共感するしかなく、これまで言語化できなかったいろいろなモヤモヤを代弁してくれているかのような討論内容でした。

聴いていて、とても心地よかったのは、議論の展開が、相手の意見を受け入れた上で、さらにその足りない部分を突いていく、というかなり建設的な展開だった点です。

激論、と言えば、「朝まで生テレビ」の様に、深夜に熱くなって最後は取っ組み合いのケンカになって終わる(笑)、そんなイメージもあるかもしれません。それはそれで、エンターテインメント性もあって面白いかもしれませんが、ただ感情的に「こっちの方が正しんだ!!」と最後は吠えて終わり、というのでは、結局、主張の広がりや、融合への道は、見えてこないままじゃないかと感じます。

今回の討論は、相手の意見を受け入れた上で、更に深いポイントから主張を展開していく、という流れだったので、概念がどんどん深く掘り下げられて行くような感覚を覚えました。深く掘り下げるからこそ、そもそもオリンピックとは、どんな意図で始まったのか等、現在のオリンピックの在り方そのものに迫るような主張も自然と出てきたり。

まさにアスリートたちが切磋琢磨しながらお互いに世界最高記録を目指して高めあっているような、最高の解決策を、真向議論の中から生み出そうとしているような、そんな雰囲気。

日頃から、哲学を深めている出演者の皆さんの主張・討論は、品格があり、美しさも感じました。揚げ足をとるような、失言やお金のこと等、本当の問題に迫らず勢力争いだけを主軸としたワンパターンな攻撃し合いばかりが目立つ今の政治家、与野党のやりとりとの大きな格差を感じ、政治家の皆さんにはぜひ、この討論のスタイルを学んでほしい、と心底感じました。


令和哲学者NohJesu氏の診断

二点目についてです。

6/23は、二手に分かれた前半の議論の後で、NohJesu氏から、その議論を踏まえた診断が提示されました。

既にやるかやらないか、ではなく、開催は決定している。だから、やるならどうやるか?に基準点を素早く移動するべき。

たしかに。と思いました。

TVやニュースでは、開催に傾いた報道が多くなってはいるものの、全体としては開催を危惧する報道内容がまだまだ多い現状です。

NohJesu氏によると、開催が決定的になったのは、G7のタイミングだったとのこと。

菅首相が開催の意志を示し各国が支持。このことは、6/11~13のG7コーンウォール・サミットの成果文書にも記載されています。

新型コロナウイルスに打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催することに対する我々の支持を改めて表明する。

引用:2021 G7コーンウォール・サミット|外務省 成果文書 



昨日、6/24は、「オリンピック、やるならどうやるか?その最高のやり方、最悪のやり方」というテーマで、続きのディスカッションが行われましたが、NohJesu氏による

一国のリーダーが決断したことを、全力で応援することが与党の、そして国会議員のやる仕事ではないか。

このコメントにも非常に納得しました。

やると決まったら、最善を尽くす。80%が開催を危惧して反対する状態のままでは、最善を尽くすどころではありません。リーダーが選択したことを応援し、危機をチャンスに転換する意志を持って取り組むこと。リーダーを孤独にさせないことはかなり重要なことです。

そして、最善を尽くすには、感染対策を十分にすること。マスクだけではなく、消毒用アルコールを一人一人が常に携帯して、触ったところ&手指の消毒を欠かさない習慣をつける事。

これは、ウィルスの性質を仕組みから理解した上での対応策の発信ですので、国民一人一人が取り組む必要がある、かなり重要な現実的施策です。

ウィルスとの戦争、これを第三次世界大戦ととらえて、人間がウィルスに負けずに、尊厳をもって新しい時代を切り開けた、東京オリンピックがそんな象徴になれたら日本人として最高です。

逆に、東京オリンピックによって変異株が発生し、それが今までで最悪のウィルスとして世界中に蔓延したなら、それこそ日本は世界の信頼を失い、2021東京は、最悪のオリンピックとして歴史に名を遺すでしょう。

昨日の宮内庁長官のコメントも、天皇陛下がオリンピック開催を危惧しているといったイメージを受けとりがちですが、大事なのは、「開催するからには感染対策をしっかしして臨むように」というメッセージと、そこに答えようとする関係者の姿勢がしっかりと見られることだと思います。

「天皇陛下 五輪開催で感染拡大 ご心配と拝察」 宮内庁長官

引用:NHKニュースhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20210624/k10013101951000.html



やるならどうやるか?日本人の一人として、最高のやり方となるように、今回、令和哲学カフェを令和哲学カフェを視聴して感じたことを発信していきたいと感じました。

思えば、東日本大震災のときにも、NohJesu氏はいち早く、日本の人たちの不安を鎮めるためにメッセージを発信しました。今回も、オリンピック開催について、誰よりもどこよりも早く、日本の可能性を信じて、基準点の移動の必要性をはっきりと示し、不安を払しょくして開催に向けて集中する道を示してくれています。

これには、ひとりの日本人として、やはり感謝しかありません・・・。

この二日間の内容は、アーカイブ視聴もできますので、よかったら以下、是非ご覧ください。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました!


【特別企画①】東京五輪は危機かチャンスか徹底討論!_令和哲学カフェ



【特別企画②】東京五輪の最悪のやり方 最高のやり方を徹底討論!_令和哲学カフェ




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オリンピック、やると決めたならば・・・

city dawn dusk night

オリンピックの開催、圧倒的に反対意見が多いと報道される中、開催が決まりましたね。

しかも、無観客ではなく、1万人を上限に観客を入れて開催するとの判断。

テレビ報道も、開催を盛り上げる雰囲気に、ここ数日で変わってきた気がします。

来月の今日は、いよいよ開会式。

ワクチン接種のスピードも、諸外国と比べてかなり遅い日本ですが、この状況をみなさんはどう思われますか?

今から1カ月前、私もオリンピックについては、こんな記事を書きました。

そこから1カ月たって、いよいよ本格的に開催が決定したわけですが、まだまだ賛否両論あって、複雑な感情や、さまざまな意見をお持ちの方、多いんじゃないかと思います。

でも、やる、と決まった今ここですごく大事なのは、

開催後の展望があるのかどうか

ということじゃないかと思いました。

開催後の未来に、希望のイメージがないまま開催しても、終わった後に残るのは、祭りの後の空虚感と、更にます、経済や体や心の健康への出口のみえない不安感、そんな風に感じます。

日本がどんな姿勢でオリンピックを開催して、その後の未来、世界の展望をどうメッセージできるのか。

令和哲学カフェでは、日本から新しくはじまる産業を「英雄産業」として打ち出していますが、

今夜はそのスペシャルバージョンが配信されるそうです。

オリンピック後の日本、その希望のイメージとは?

今夜が楽しみです。


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誰もが実はヒーロー(英雄)だった!?

今日は、誰もが実はヒーロー(英雄)だった!?というテーマで書いてみたいと思います。

突然ですが、ふと思い出しました。

昔、「あんたが大将!」という歌がありました。

お!もしや「誰もがヒーローだよ!」と既に歌っている歌だったのか?

と思って調べてみたら、全然違ってました(汗)

どちらかと言えば、

”人生そんなに簡単に上手く行かないけれど、今宵だけは「あんたが大将!」と持ち上げて、いい気持にさせてやるよ!”といった内容・・・

40年以上前の海援隊の歌でした。でも、このころの武田鉄矢さん、若くてかなり反骨精神がある目をしていますね。

はい。雑談でした。

でも、誰もがヒーローになれる、あなたもヒーローなんだ、といわれても、
「何を持ち上げようとしてるんだか」
「おだてたって何もでないよ」
「単なる理想論でしょ?」
そんなふうに思いやすいですよね。

誰もが実はヒーロー(英雄)、なぜこれを書こうと思ったか、といえば、今、時代的にも、どんどん人間の存在意義が小さくなってしまっているからです。

昔は、尊敬される人、憧れの人、そんな分かりやすいモデルとなる人物がいました。大統領、政治家、先生、銀幕のスター、歌手、等々。

でも、時代は進み、価値観が多様化して、インターネットの普及やSNSの広がりによって、更に価値観はどんどんバラバラになり、どんな人物像を目指せば、多くの人にとって貢献でき、模範となるような生き方ができるのか、様々な情報に触れれば触れるほど、判断がつかなくなり、皆目分からなくなってしまったのが、今の時代です。

更に、AIの台頭により、人間の仕事は奪われ、多くの人は、ベーシックインカム、つまり配られたお金で静かに暮す、いわゆる「無用者階級」が量産される社会が、それほど遠くない未来に来る、と予想されています。

誰もが、自分とは何なのか?何のために生まれたのか?どこに向かって、何を目指して生きたらよいのか?そんな本質的な問いに答を持たない限り、「無用者」となってまで、何のために生き続けないとならないのか分からない、人間として、なんとも生きにくい世の中になるでしょう。

そんな時代だからこそ、自分のことをまず自分自身が、とても尊く、そして勇気をもって非凡なことを成し遂げる存在、つまりヒーローだと認識できることは、かなり重要ではないでしょうか。


では、どうしたら、「自分がヒーローだ」と思えるのでしょうか?

結論から先にいうと、だれもがヒーローであることを気づかせる、その役割をするのが令和哲学です。

哲学は、認識主体を啓発するもの。

今、あなたが見ている、聞いている、この現実画面は、認識の結果物、つまり認識対象です。

あなたの身体も実は、認識主体ではなく、認識対象になるのです。

これは、カントが既に18世紀に「純粋理性批判」で語っている内容です。

認識主体を啓発していった先には、カントでいえば「物自体」があり、そこに、「誰もが実はヒーロー」と言い切れる鍵があります。


令和哲学カフェでは、ヒーローたちが生み出す新産業、「英雄産業」についても語っています。多くのヒーローが、新しい概念を生み出し、新しい産業を興していく、そんな未来が語られています。

興味のある方は、ぜひご覧ください。

今日も読んで頂いて、ありがとうございました。


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瞬間、という言葉の美しさ

瞬間:瞬きする間

日常で何気なくやっている瞬き。

瞬きする間のことを瞬間と言うのですね。

ほんの短い時間を表す言葉。

日本語とは面白いものです。

そのあっという間の時間にも、「間」という言葉が入っています。

あっという間にも「間」という言葉が入っていますね。

この「間(ま)」

令和哲学を理解するために、とても重要な概念ですが、一瞬の時間を表す言葉にも、この間の概念が入っていることに、日本人独特の、本質と繋がる繊細な感覚を感じました。

この一瞬にも、間があって、それが、

本質と現実を繋いでいます。

すべての美しさを凝縮したようなことば。瞬間。

今日も、読んで頂いてありがとうございました。

そもそも、悩みとは、どこから生まれるのか?

今日は、悩みがうまれる原因について、書いてみたいと思います。

このブログでも、30代や40代の女性の悩みをご紹介してきましたが、私たちの頭の中には日々、いろいろな悩みが生れたり、消えたりします。

ひとつの悩みが解決したと思ったら、しばらくすると、また別の悩みが生れたり、

別の悩みと思っていたら、あれ?なんだか以前と同じことで悩んでる?私?

と気が付いたり。

人生は、そんな風に、次から次へと悩みが襲ってくる、そんなもんでしょ。

とあきらめの境地になったり。

私も、以前は、そんな「悩み」に明け暮れる日々を過ごしていました。



では、そもそも、この「終わりなく悩みが生まれる原因」とはなんでしょう?

悩み、というものは、シンプルに考えれば

【理想と現実のギャップ】

と言えます。

「こんなはずじゃない!」

と思うのも、「理想の状態」のイメージがあればこそ。

もしも、今が最高!といつも思っていれば「こんなはずじゃない」という言葉自体、うまれてきませんよね?

となりの芝生は青い。という言葉にもあるように、理想はそっち(隣の芝生)だ、ここにはない、と思ってしまう。

ここまで読んでみて、どうでしょうか。

そうかそうか。「となりの芝生は青い。」ついうっかり思っちゃったな。自分の芝生、自分の足元の幸せを、ちゃんと認識しよう!そんな風に思った方もいますよね。

でも、そう頭では分かっていても、なかなかやっぱり、自分の足元を幸せと、100%思えないのが私達人間です。

今ここ、今おかれている状況そのものを、丸ごと全肯定できたら、それはそれはいつも満たされている状態になれるし、スッキリしそう。でも、そんな方法、一体あるんだろうか?

そう思われる方がほとんどじゃないかと思います。


では、どうしたらよいのでしょうか?

この現実は相対世界。かならず「2つ」があります。

例えば、理想と現実。これも相対する2つ。

つまり、理想と現実のはざまをさまようよう、つまり理想と現実を行ったり来たりするように、そもそもできているのが、相対世界。

つまり、相対するものを一つにできない限り、この行ったり来たりは終わりません。

そのためには、まず、この相対世界が生まれる前、もともと「2」でなく「1」だった、その出発にもどることです。

出発に戻るための一番大切な第一歩。それは、今まで人間が当たり前に使ってきた「脳」、実は、この脳機能に、そもそも限界があったことを知ること。

悩みの根本原因を発見できることが、悩みをオールクリアするスタートになります。



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男性も妊娠・出産できるようになる??

question mark illustration

令和哲学カフェ、第3期が始まりました。

今期のテーマは「女性性哲学」。

そして、昨夜は、

「男性も妊娠・出産できる女性性とは、どういうことなのか?」

というテーマで、ディスカッションが行われました。

令和哲学でいう男性性、女性性は、とても独特です。でも、そこにはすごく納得感があります。

今までの男性性、女性性は、身体を中心にして語られてきた、いわば「空間的な」男性性・女性性でした。

令和哲学でいう男性性と女性性は、今までと、今ここから。今までの人間の全ての歴史文明が男性性だった。そして、今ここからは女性性、というように、「時間軸で」みています。

男性性の文明を脳を中心にしてきた文明、そして、女性性の文明は心を中心にする文明、ともいえます。

今までは、獲物という敵・目標に向かって団結する「狩の文化」、これからは、すべての観点を鍋に溶かして美味しい料理に仕上げる「料理の文化」、という表現もありました。

nature sky man arm
Photo by Mikhail Nilov on Pexels.com
vegetables and tomatoes on cutting board
Photo by Pixabay on Pexels.com


狩りの文化は、敵に対しては団結できるけど、内輪もめが終わらない。敵を倒しても倒しても、また新しい敵が生まれる。本当に人類の歴史を「言い得て妙」でした。

対して、料理の文化は、敵をつくって団結するのではなく、敵も味方も、鍋の中に全部が解けてなくなってしまって、ワクワクするような、まったく新しいものが生まれる。

まるで、絵本「ぐりとぐら」みたいです。

大きなホットケーキをつくって、森のみんなで美味しく楽しく食べる。

stack of pancakes with strawberry fruits
Photo by Chokniti Khongchum on Pexels.com

男性性と女性性のイメージを使うと、令和哲学の概念がとてもイメージしやすくなるように感じます。

そして、本当の女性性に行くためには、「究極の絶望」に行くこと(但し、体験・経験ではなくイメージで)が、とても大切で、すべての苦しみ悲しみを超えたときに、「究極の希望」に行ける、というコメントがとても印象的でした。

77億の絶望を全て集めた究極の絶望、その絶望でひとつになること。それが、実は究極の希望のスタート。

今日も読んで頂いて、ありがとうございました。


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