※この記事は、映画のネタバレを含みます。
8月も、間もなく終わりますね。
毎年8月になると、「戦争」というものについて、深く思いを馳せます。
そんな中、つい先日、私の周囲でも話題になっていた映画『開戦前夜』を観に行きました。
映画のストーリーは、おおよそ次のような流れで進みます。
日米開戦前、日本の未来を担う各分野の天才や精鋭たちが集められました。
そして、「実際に戦争になった場合、日本はどうなるのか」という本気のシミュレーションが行われます。
その結論は、
「戦うべきではない」
「必ず負ける」
というものでした。
しかし、その後、日本は戦争へと突入します。
そして、その結果は、今を生きる私たちがみんな知っている通りです。
驚くことに、原爆投下以外は、そのシミュレーションで予測された通りの結果になったといいます。
勇気をもって、「戦争をするべきではない」と、シミュレーションの結果を当時の国の指導者たちに伝えた若者たち。
そして、その結論を聞き、納得し、受け入れながらも、最終的には開戦へと踏み切ってしまった――いや、踏み切らざるを得なかったともいえる、当時の権力者や指導者たち。
この映画を観て、私が感じたことは、大きく3つありました。
① 未来を予測できた人が、未来をつくるしかない
戦争になれば、日本は必ず負ける。
そして、日本は焼け野原になる。
その未来が、鮮明に見えていたのが、シミュレーションを実施した優秀な若者たちでした。
しかし、未来が明確に見えていたにもかかわらず、その結果を外部に漏らすことは一切禁じられていました。
つまり、多くの日本人には、その情報は伝わらなかったのです。
もし、新しい未来をつくり出せる可能性があったとしたら――。
当時、「必ず負ける」という未来を予測できた人たち以外に、それができた人はいなかったのではないか。
私は、そんなことを感じました。
そして今、私たちの前に現れているAIという大きな変化についても、同じようなことが言えるのかもしれません。
誰も経験したことのない変化の中で、これから何が起こるのか。
AIがもたらす危機とは、いったいどのようなものなのか。
そして、その危機を乗り越えるための解決策があるとしたら、それは何なのか。
その未来を予測できる人たちが、未来を切り開いていくしかない。
言い換えれば、
未来を予測できる人たちだけが、新しい未来をつくることができる。
私は、そんなふうにも感じました。
② 未来を予測できた人は、発信しなければならない
戦争が始まる前、部分的な情報しか知らされていなかった多くの人々は、アメリカとの国力の差も、未来のシミュレーションの結果も知らないまま、感情や世の中の雰囲気に流されていきました。
マスコミによる報道や扇動もあり、アメリカを憎み、怒り、開戦を望む空気が社会の中に広がっていった。
そして、その大河のような大きな流れを、国を牽引する立場にいた人たちでさえ、変えることができない状況になってしまっていた。
結果として、戦争を望む空気の中にいた多くの庶民自身が、最終的には計り知れないほど大きな被害を受けることになりました。
未来を予測できた人がいても、その情報を多くの人に伝えることができないまま、日本は戦争へと突入していったのです。
もしも、危機を訴える声がもっと大きく社会に届いていたら。
もしも、マスコミがより多くの事実を報道していたら。
人々の声や社会の流れは、少し違った方向へ向かっていたのかもしれません。
そして今、AIについても、さまざまな意見があります。
AIがもたらす可能性を歓迎する声がある一方で、その危険性を指摘する声もあります。
ただ、今の社会全体を見ていると、「危機にどう向き合うか」ということ以上に、
いかにAIを開発し、活用し、利益を最大化するか。
いかに競争に勝つか。
という方向の勢いのほうが、強いようにも感じます。
だからこそ、AIがもたらす危機の本質を正確に捉え、その未来を予測できた人から。
そして、その解決策を見つけた人たちから、
そのことを、もっと広く世の中に発信していかなければならないのではないか。
私は、そのように感じました。
③ 最初の一歩を、どう変えるのか
映画を観て、もう一つ考えたことがあります。
それは、
始まってしまった大きな流れは、途中からでは止められないことがある。
ということです。
では、一体、最初とは何なのか。
どこから修正すればよかったのか。
もっと言えば、
人類の戦争の歴史における「最初」とは、何なのか。
そもそも、戦争が繰り返される根本的な原因は何なのか。
人間とは、何なのか。
なぜ、平和は永遠には続かず、人類は何度も戦争を繰り返してしまうのか。
その「最初の一歩」を変えない限り、本当の意味では何も変わらないのではないか。
だからこそ、
一番最初の出発点を変えること。
それが必要なのだと思います。
そして、そのことを可能にする一つの鍵が、「認識技術」なのではないかと、私は感じています。
私がこの映画を観て感じたことは、この3つでした。
みなさんは、この映画を観て、どのようなことを感じるでしょうか。
「ここが印象に残った」
「私はこう感じた」
そんな感想があれば、ぜひ聞いてみたいです。
そして、令和哲学者のノさんも、この映画についてFacebookに感想を投稿されていました。
そこでは、一般的な日本人の視点とはまた異なる角度から、この映画と日本の歴史についての解析がされていました。
日本人自身からはなかなか出てこないような、この独特な視点やリテラシーは、とても貴重なものだと私は感じています。
なぜなら、この戦争によって、そして戦争に負けたことによって、日本人の中に深く刻まれたものがあるように感じるからです。
そして、その傷や無意識の影響には、日本人自身では見えにくい部分もあるのではないか、と私は思っています。
日本人の集団無意識や、その癒しについて興味のある方は、ぜひノさんの解析もご一読ください。

