新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十五章。
この章は、「武士道の感化」について書かれています。
冒頭にあった、「まず武士階級を照らした倫理体系は、ときをふるに従い大衆の間からもその追随者を惹きつけた」という文章が印象的でした。
朝、まず山頂を照らした光がやがては山のすそ野にまで広がるように・・・という例えにあるように。
武士道は、最初は武士の階級を貫く倫理体系だったものが、大衆にも受け入れられ、それを模範として自らもそうあろうとし、老若男女が賛同したからこそ文化として根付いたものだったのだと感じました。
それが日本における武士道。
鎌倉幕府創設以来、武士が天皇を支えながら日本を統治するようになり、その700年近い歳月の間、とくに武士が治めつつも戦いがなくなった江戸300年間に、倫理規範として体系化され、庶民にもその規範に沿った生き方が根付いたのではないでしょうか。
「花は桜木、人は武士」
と言われたことからも、武士は全日本人の理想、ヒーローでもあったようです。
本居宣長の
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」
とにかく、武士を表すときに、セットでイメージされるのは桜。
薔薇のように華美ではなく、淡い香り。
でもその美しさや潔さ、そして、微かな中にもそれとはっきりわかるその香りが、日本そのものの心をあらわしていると言われれば、とてもしっくりきます。
「大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である」
という文章も印象的でした。
自然に、この日本に醸し出された魂、それが大和魂。
それを植物に例えれば、まさに、自然に山に咲いた桜。
誰に見せるためでもなく、ただ自然の中でありのまま毎年咲き続けるのが山桜です。
第二次世界大戦で大敗し、その後は世界の平和と発展のために、戦争犯罪国家の烙印を押されようとも、黙々と働き続けその利益を、世界中の国々に還元し続けた、まさに日本という国の魂をあらわしている、
そんな風に感じました。
今日も読んでくださってありがとうございます。
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