新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十六章。
この章は、”武士道はこの先も生き続けていくのか?”ということについて書かれています。
次の2点が印象的でした。
一つ目は、武士道は簡単にはなくならない。その根拠。
二つ目は、歪んだキリスト教について(新渡戸稲造はキリスト教徒です)。
一つ目について。いきなりの結論ですが、その根拠がいろいろ述べられていましたが、とくに印象的だったのは、
フランスの経済学者シェイソン氏の計算によれば・・・というくだり。
「各人は、その血管の中に少なくとも西暦一千年に生きていた2000万人の血液をもっている」そうです。
経済学者の計算、というのがとても興味深い。
歴史文化によって一世紀にわたって多くの人の意識が実は血液の中に入り込んでいて(今風に言えば、DNAの中に刻み込まれていて)、そんなに簡単に消え去るものではない、ということでしょうか。
表面的には西洋化して変わったように見えても、無意識の99%は武士道という美しいものが私たちの中にしっかり根付いている、と思うと、安心と共になんだか嬉しい気持ちになります。
そして二つ目。歪んだキリスト教については、今、宣教師が伝えるキリスト教は、本来イエスが説いた純粋な内容からは離れてしまって、西洋人(アングロサクソン)的思惟妄想を含むと。
異教徒にとって、異教徒の歴史の脈絡を配慮しながらその人たちがつかっているイメージを用いて伝達されたなら、普遍的な要素として速やかに納得されるだろうに、と。
確かに、何度理屈を聴いてもまったく納得できなかったことが、日常でよく使われている単語やイメージ一つで「なるほど、それを言いたかったのね」と、スッと分かってしまうことがあります。
単語ひとつも、長い長い歴史を紡いできた先人そして宇宙自然があって、それが私たちのイメージのバックボーンとなって、すべてを引き受けて今ここ生み出されている奇跡のような一言。
そして、キリスト教徒であった新渡戸稲造は、キリスト教の本質と武士道が、根柢ではつながっていることを見ていたのだと感じました。
ただ、最後の一文は気になりました。
武士道の存続を脅かす勢力がある、というものです。
それが、予兆だけではなかったことは、私たちは既に知っています。
ですが、この章にも書かれているように、意識ではなくても、日常のあちらこちら、そして無意識には、しっかり存続している「武士道」があることをタイムマシーンがあれば、著者に伝えに行きたい、と感じました。
今日も読んでくださってありがとうございます。
※9/12(月)より、令和哲学カフェでは『SAMURAI哲学』と題して、日本の侍たちの哲学を取り上げています。その中で、nTech講師でもある塩見典子さんが、この新渡戸稲造の「武士道」を取り上げて、解説していますのでそちらもぜひご視聴ください。