今日は、誰もが実はヒーロー(英雄)だった!?というテーマで書いてみたいと思います。
突然ですが、ふと思い出しました。
昔、「あんたが大将!」という歌がありました。
お!もしや「誰もがヒーローだよ!」と既に歌っている歌だったのか?
と思って調べてみたら、全然違ってました(汗)
どちらかと言えば、
”人生そんなに簡単に上手く行かないけれど、今宵だけは「あんたが大将!」と持ち上げて、いい気持にさせてやるよ!”といった内容・・・
40年以上前の海援隊の歌でした。でも、このころの武田鉄矢さん、若くてかなり反骨精神がある目をしていますね。
はい。雑談でした。
でも、誰もがヒーローになれる、あなたもヒーローなんだ、といわれても、
「何を持ち上げようとしてるんだか」
「おだてたって何もでないよ」
「単なる理想論でしょ?」
そんなふうに思いやすいですよね。
誰もが実はヒーロー(英雄)、なぜこれを書こうと思ったか、といえば、今、時代的にも、どんどん人間の存在意義が小さくなってしまっているからです。
昔は、尊敬される人、憧れの人、そんな分かりやすいモデルとなる人物がいました。大統領、政治家、先生、銀幕のスター、歌手、等々。
でも、時代は進み、価値観が多様化して、インターネットの普及やSNSの広がりによって、更に価値観はどんどんバラバラになり、どんな人物像を目指せば、多くの人にとって貢献でき、模範となるような生き方ができるのか、様々な情報に触れれば触れるほど、判断がつかなくなり、皆目分からなくなってしまったのが、今の時代です。
更に、AIの台頭により、人間の仕事は奪われ、多くの人は、ベーシックインカム、つまり配られたお金で静かに暮す、いわゆる「無用者階級」が量産される社会が、それほど遠くない未来に来る、と予想されています。
誰もが、自分とは何なのか?何のために生まれたのか?どこに向かって、何を目指して生きたらよいのか?そんな本質的な問いに答を持たない限り、「無用者」となってまで、何のために生き続けないとならないのか分からない、人間として、なんとも生きにくい世の中になるでしょう。
そんな時代だからこそ、自分のことをまず自分自身が、とても尊く、そして勇気をもって非凡なことを成し遂げる存在、つまりヒーローだと認識できることは、かなり重要ではないでしょうか。
では、どうしたら、「自分がヒーローだ」と思えるのでしょうか?
結論から先にいうと、だれもがヒーローであることを気づかせる、その役割をするのが令和哲学です。
哲学は、認識主体を啓発するもの。
今、あなたが見ている、聞いている、この現実画面は、認識の結果物、つまり認識対象です。
あなたの身体も実は、認識主体ではなく、認識対象になるのです。
これは、カントが既に18世紀に「純粋理性批判」で語っている内容です。
認識主体を啓発していった先には、カントでいえば「物自体」があり、そこに、「誰もが実はヒーロー」と言い切れる鍵があります。
令和哲学カフェでは、ヒーローたちが生み出す新産業、「英雄産業」についても語っています。多くのヒーローが、新しい概念を生み出し、新しい産業を興していく、そんな未来が語られています。
興味のある方は、ぜひご覧ください。
今日も読んで頂いて、ありがとうございました。