落合陽一氏が提唱するデジタルネイチャーとは?

lake near mountain

2023年が明けました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

動画で知った、シンギュラリティの15年分前倒し!?

昨年末に、友人が教えてくれた動画をみて、落合陽一氏が伝えている『デジタルネイチャー』という概念を初めて知りました。

そして、その動画では、2040年に来ると言われていた「シンギュラリティ(技術的特異点)」が、なんと早くも2025年に来てしまう!と言われています。

シンギュラリティとは、コンピュータの進化スピードが臨界点を超え、もうそこから先は、人間がコンピュータを進化させるのではなく、コンピュータ自身が自ら自動的に進化を始める、といわれているポイントのことです。

参考:シンギュラリティとは?起こる時期や社会への影響について | 株式会社パソナ(旧パソナテック)|ITエンジニア・ものづくりエンジニアの求人情報・転職情報 (pasonatech.co.jp)

つまり、人間はその進化に取り残され、無用者になってしまう。それが、15年も早まってしまう、と言ってるのがこの動画。

ちょっとショックだけれど、たくさんの人にぜひ見てほしい動画でもあります。

2025年を境に、既存の人間観か大きく崩れていく、らしい。

らしい、と書きましたが、これは私もこのブログでは何度も書いてきた「AIの進化によって、人間は無用者階級となっていく」「人間の存在意義が問われる時代になる」ということと、全く合致していて、それがかなり早まってしまった、ということでもあります。

さあ、人間は一体、どうしたらよいのでしょう?

デジタルネイチャーとは何なのか?

デジタルネイチャーとは、とっても平たく言えば、今までは、人間が中心になって、コンピュータも使いながら自然を開発開拓してきたけれど、これからは爆発的に自ら進化し続けるコンピュータが自然を開発開拓していく主導権をとっていく(宇宙自然全体がコンピュータ(AI:人工知能)の研究対象・開発開拓の対象になっていく)ので、人間はその中で暮らす一部の要素になる、ということです。

AIは、世界初の論文も5分で書けるようになるし、音楽も絵も、新しいものを数秒で制作してしまう。そんな時代です。今までは、知的労働・一部の知的エリートの仕事だと言われてきたことや、クリエイティブな仕事だと言われてきたことが、のきなみ「機械」にとってかわられることになります。

落合氏は、このことが現実になる、その事実に一度かなり凹んだそうです。

でも、予測不能なことが起きているのではなく、自身の研究・主張してきた内容がそのまま起きるのだ、と理解して、楽しんでいけばいいか、と考えて落ち着いきを取り戻したとのこと。

圧倒的なAIの進化に対応するにはどうしたらよいの?

たしかに、AIが生み出したもの、生み出すものを上手に使って、楽しんで生きる世界もありだとは思います。が、人間にしかできないこと、人間だからできること、そこははっきり知って、人間であることに誇りを持てないと、人間が人間であることの尊厳を保つことは、とても難しくなります。

ドラえもんの圧倒的な賢さに、どうせ人間はバカだし、と無力感に浸ってやさぐれるか、ただ楽しませてもらい依存するだけののび太くんで終わってしまうのは、ちょっと切ない。

でも、安心してください。

コンピュータ(AI)がどんなに進化したとしても、決してたどり着けない領域はこれ!と、人間にしかできない領域を明確にして、誰もが教育によって、そこにたどり着くことができる、その道筋を案内している未来技術が日本で既に誕生しています。

それが、認識技術・nTechです。

この技術であり教育の内容は、nTech創始者NohJesu氏のこちらのブログにも記載されていますので、ぜひご覧ください。

デジタルネイチャー時代の限界を突破する未来技術 – NohJesu 公式ブログ (noh-jesu.com)

読んでみて、分からないことがあれば、いつでもコメントやメッセージを下さい!

お時間の合う方は、そらまめ主宰の「心感覚読書会」にご参加ください。その場で質問していただけたら、私の分かることであればできる限りお答えします。

『心感覚』読書会 ココカナcafe のお知らせ – そらまめ (soramame313.com)


時代の寵児ともいえる天才・落合陽一氏さえも凹んだそんな未来も、危機をチャンスに、楽しんで共に進化していけたら嬉しいです。

白洲正子について

20年前から気になる女性の一人に白洲正子がいる。

最初に知ったのは、庭の勉強をしていた20年以上前。

彼女と夫である白洲次郎も含む一家が、戦時中から移住した「武相荘」にも、20年前に一度、訪れたことがある。

そこには、当時の自分が憧れていた暮らし、そのものがあった。

自然を生かした広い敷地、庭や竹林のなかに佇む素朴な古民家。

大きな陶器のツボに行けられた一輪の椿や、日本的な部屋の中の書斎。

ただし、古民家にも関わらず、不便ではなく快適な暮らしができるように床暖房が取り入れられていたのには仰天した。

なぜこの女性が、あの有名な白洲次郎の妻になったのか?最初は不思議に思ったが、彼女の生い立ちや活動を知れば、どれだけ先進的でバイタリティーある女性だったのかがよくわかる。

骨董の世界や、着物等、生活に根差したアートの世界にも精通していて、執筆もしたり、そして石仏についても著書がある。

やはり、私が好きな世界を詰め込んだような生き方をしていた女性。

なぜ、好きなのか?と思ったときに、彼女の著書を読んでいると、骨董や着物といった「モノ」の中に隠れている「理(コトワリ)」を探究していたことが伝わってくる。

なんでもそうだが、一つのものをどこまでも追求しきると、その中には真理がみえてくる。

私は、その対象を、新しいものよりは、日本的な古いものの中に見出すのが好きなようだ。

そして、そこに見え隠れする「真理」のリズムや形が見えてくると、かなりワクワクする。

それは、とても美しく感じられて、細胞が勝手に喜ぶ。

ここでいっている「真理」は、かなり抽象的で、捉えにくいと思うけれど、誰の中にもある、わくわくする感覚、ときめく感覚等々、なんとなく通じるものはあるように思う。

最近、遅ればせながら「人生がときめく片付けの魔法」という近藤麻理恵(こんまり)著の本を読んだ。

彼女は、片付けを「ときめき」を基準にしてメソッド化している。

読み終わって感じたのは、こんまり=巫女さん、そのもので、巫女さんの仕事をメソッド化したんだなということ。

神道の世界は、一神教ではなく、すべてのものに神が宿る、という思想。その基準で、モノも人のように大切に扱い、ときめく、という「今、自分にとって本当に必要なものかどうか」を思考(脳)ではなく体(感覚)に聞いて選択し、今はもう必要ではないと判断するものは

感謝して手放し、次の役割へと送り出す、そんなモノと人の健全な循環システムをつくるように、わかりやすく提案している。

人に魂があるように、モノにも魂がある。

もちろん、植物にも、動物にも。

急にこんまりの話になってしまったが、白洲正子は、こんまり同様、モノの中にある魂をワクワクしながら探求し、それを文章で表現していた人だと思う。

ワクワクや、ときめきを基準に、人生を航海していくことは、すごく大切なことだと感じます。それが今日の結論。

ファイト

たまたまクリックした動画で、横須賀の見慣れた場所で歌っている女の子の動画が出てきました。

こんなにも中島みゆきの歌を、魂込めて歌える若者は、今まで見たことがなくて、感動したのでここでシェアします。

改めて感じたのは、この歌が、今の時代を生きる人たちが

誰とも分かり合えるはずがない脳の初期設定による構造的限界の中で、傷だらけになりながらも、孤独に戦い続けながらも、でも必死に生きる、その姿と叫びをうたった歌だなと。

人間みんな、人生初心者。

この【うぴ子】さんの歌。ほんとその通り。

うぴ子 公式Twitter https://twitter.com/upitter626

この子、これからすごく有名になっていくんじゃないかな・・・という予感。