こんなニュースをみました。
「テニス界のスター選手が、姉を殺害した犯人が仮釈放されたことを試合直前に知り、初めての惨敗」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180818-35124222-cnn-int
ニュースによると、彼女は試合直前にみたインスタグラムでそのことを知ってしまい、試合中にどうしてもそのことが頭を離れなかった、と語っていたそうです。
印象的だったのは、ニュースの中に書かれている以下の内容でした。
聖書は許しを説いているものの、セリーナさんはマックスフィールド受刑者を許す気持ちには至っていない。ただ、「許したいし、許さねばならない。やがてそういう心境になるだろう」と語っている。
「許したくても、許せない。」
彼女のように、大きな悲劇に見舞われた人だから、そういう気持ちになるのでしょうか。
私は、どんな人でも、人生の中で大なり小なり、許したくてもどうしても許せない人、というのはいるんじゃないかと思います。
しかも身近に。
そして、その一番身近な事例が「自分自身」。
そして、「自分自身」を許せない思いが最高潮に達して、どこにも逃げ場が無くなった時に、人は、そんな自分と訣別するために、物理的、肉体的な「死」を自ら選ぶのだと思います。
あいみょん「生きていたんだよな」
そして、そんな風に自分自身を許せないと苦しめるのは、冷静に観察すると、他人や世間ではなくて、100%自分自身の考えです。
脳が生み出す考えや感情(体におこる感覚も含めて)が、「許せない」と叫んでいるのです。
ですから、すべてを許せるようになるには、自分の「脳」から考えや感情が生まれる、その出発と、プロセスと、結果、その仕組み全体を、自分自身で統制、制御できるようになること。
それが先決です。
そうなるためにまず、取り組むことは、今まであなたの脳が生み出したすべてを、一旦ゼロ化すること。
そのためには、いままでそれが出来なかったのはなぜだったのか、何が根本的な問題だったかを正しく知り、本来の働きの全体像を「まず知る」こと。
それが納得できれば、ゼロ化にも安心して取り組めます。
「特定の誰かを許せるようになる」には、
自分自身も含めてすべてを許せるようにならないと無理です。
そして、ほんとうに自分を許せるようになるには、今ここ「自分」と「自分の宇宙」が綺麗に消えないと、そこにはたどりけません。
でも大丈夫。
今ここ「自分」と「自分の宇宙」を綺麗にゼロ化できるようにする技術、それが認識技術です。
(ある意味、肉体は生きたままで死ねる技術、とも言えます。もちろん、それまでの記憶も消えたりはしませんのでご安心を(笑))
ちなみに、私は、認識技術とであった16年前、論理とイメージでその内容を理解しただけで
「嫌いな人、苦手な人が一掃される!」
という経験をしました。
もちろん、本人が煙の様に消えたわけではありません。
でも、私の意識の中で、嫌いな人、苦手な人が1人も、一気に、いなくなってしまったのです。
そして、相手は、嫌いな人、苦手な人、自分にとっての敵、ではなく
ただただ「理解する対象」へと一気に変わったのです。
そんな変化も起こりうるのが、認識技術です。
認識技術の入り口(全体像と、日本の役割を、認識技術の創始者が自ら伝える場)はコチラです。