新渡戸稲造の「武士道」を読んで、章ごとに、気づいたこと・感じたことを綴っています。
今日は第十二章。
この章は、『自殺および復仇の制度』について書かれています。
武士の自殺といえば、言わずと知れた「切腹」のこと。
復仇(ふっきゅう)とは、あだうち、かたきをうつこと、を指しています。
この章は、かなり強烈でした。
切腹に関しては、実際にその場に立ち会った外国人が記した内容の記載もあり、物語とは違う事実の記述は、今までどんな映画やドラマで見た切腹よりも、とても強い印象を受けました。
そして、武士の切腹という行為には、人間が表現しうる精神性の、究極の姿、まるで【肉体よりも精神が勝ることを体現する姿】が映し出されているように感じました。
そして同時に、そこには「武士の哲学」というものが凝縮されているようにも感じました。
実際に、切腹は「最も高貴なる行為」とみなされていたそうです。
それは、あるときは罪を償う行為であったり、またあるときは、潔白を証明する行為であったとのこと。
腹部には霊魂が宿ると考えられていたため、「腹を切る」ということは、霊魂が汚れていないことを、自ら開いて示す行為でもあったようです。
切腹を命じられた兄弟が、8歳の子供でさえ、兄たちのやり方に倣い、静かに切腹するという記述に、武士とは、生まれた時からどれだけ高い精神性を教育されているのか、と驚きました。
最後の一人になるまで、大切なものを守るため、命を賭して戦う。アメリカが恐れたのは、その日本人の精神性だったと思います。
だからこそ、アメリカは日本に徹底的な空爆をし、原爆を2つも落とした。
そして、日本は敗戦を選択しました。
あれから77年。まもなく夏の盛り。終戦記念日がやってきます。
あのときの精神性は、すっかり失われてしまったのでしょうか?
武士道精神は、今でも私たちの生活のあちこちに残っているのを感じます。アニメや映画や、生活習慣や、日本人が、日常で当たり前につかう口癖のなかに。
今日も読んでくださってありがとうございます。