座右の銘には、前置きがあった。

mountain covered snow under star

人生は、勇気ある冒険か、さもなくば無だ。』

たしか、20才ごろに出逢った言葉ですが、それ以来、長いこと私の座右の銘でした。

過去形で書いたのは、40代を超えてから、この座右の銘がそれほど響いて来なくなったから。(私もすっかり落ち着いちゃったのかな・・・(笑))

若い時は、ワクワク、そして心が引き締まるような、何かに掻き立てられるような感覚で、このコトバを反芻していました。

最近、このフレーズをメモした紙が出てきました。

そこには、すっかり忘れていた、このフレーズの”前置き”が書かれていました。

久しぶりに宝箱を開けてみたら、自分でも忘れていたお宝を再発見!したような、そんな嬉しい気持ち。

そこに記してあった前置きは、以下のような言葉でした。

人生最大の悲劇は多くがその夢を実現できないことにある

それはリスクを恐れるからだ

人生は勇気ある冒険か、さもなくば無なのだ。

ギルバート・キャプラン


ギルバート・キャプランさん、どんな人だったのか、全く記憶がなく、

作家だったか冒険家だったか・・・?と、ネットで検索してみました。

すると、音楽にはまったくの素人だった実業家の男性で、でもマーラーが大好きで、難曲と言われる「復活」という交響曲の指揮にチャレンジしたところ大絶賛され、有名になった方だそうです。

つまり、普通なら誰もチャレンジしない、チャレンジしようとも思わないことにチャレンジして、思いもよらない結果を得た、そんな人のことばだったようです。

そして、さらに調べてみると、

人生は勇気ある冒険か、さもなくば無なのだ。

という言葉は、ヘレンケラーのことばとしても有名だそうです。

ヘレンケラーも、普通ではあり得ないことに挑戦した人として、本当に有名です。

実際に挑戦して、そしてその結果、突破した過去の偉人たちのことばには、説得力があり、勇気を貰えます。

でも、今、この瞬間も、チャレンジし続けている人たちは世界にたくさんいて、その一つ一つのチャレンジは、見える結果に繋がらなかったとしても、その価値は計り知れません。

そして、一ついえることは、結果までつながった人の共通点は

あきらめなかったこと。

若い時は、リスクを恐れない勇気に魂を揺さぶられましたが、年を重ねると、あきらめないこと、あきらめずにチャレンジし続けること、それが実はとても難しく、そして難しいからこそ大きなことだと感じるようになりました。

あきらめない心はどこから生まれるのでしょう?どうしたら、そのモチベーションを保ち続けることができるのでしょうか。

最近知ったショーペンハウアーという哲学者は、人間には、生への盲目的欲求があり、そこからは誰も逃れることができない。しかも、人生は苦痛か、苦痛から逃れた先にあるのは退屈、そのどちらかを振り子のように繰り返す、と言っていたそうです。

苦痛から逃れたい、その思いにはモチベーションが働きますが、苦痛から自由になってしまったら、一気にそこまでのモチベーションは消え、退屈になってしまう。これは、夢を持てば頑張れる、でも、夢が叶えば途方に暮れる、または、衣食住に困らなくなった先進国の憂鬱といったイメージともつながります。

若い時は、ああなりたい、こうなりたい、と夢や希望に燃えて勝手にエネルギーが湧いてきたのに、年を取って経済的にも豊かになり安定して、先が見えてくると、何に情熱を燃やしたらよいかわからなくなる、そこともつながりますね。

あきらめない心、持続的にモチベーションを持ち続けることは、難しいものです。

あきらめない心は、いったいどこからうまれるのでしょう?

すべての存在を、変化運動移動している力の源泉。宇宙を137億年ずっと進化成長させ続けている力の源泉。

そこに、枯れないモチベーションの秘密があります。

その源泉動きを、人生に活用応用して生きることを可能にするのが、令和哲学でありnTechです。

今日も、読んでいただいてありがとうございました。




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