先日、「日本のフードロスは、年間800万トン」というニュースを見ました。
800万トン。とてつもない数字でイメージがわきません。
農林水産省の統計でみると、国民一人当たりが、一年間に食べる量は、458.9kg(1日当たり約1.3kg)。
800万トンを単純に割ると、なんと、約1750万人分の食料に相当する量が廃棄されていることになります・・・
なんという無駄。
少し調べてみたら、世界の食糧問題について、とても分かりやすく書かれているサイトがありました。
このサイトの中には、以下の記載もありました。
・世界では毎年、食用に生産されている食料の3分の1にあたる13億トンが捨てられています
https://worldfoodday-japan.net/world/
・たとえば、ハンバーガー1個に使われている小麦や牛肉を生産するためには999リットル=2リットルのペットボトル500本分の水が必要です
私たちは、どのくらいの地球上の資源を消費して、食料を得ているのでしょう。しかも、世界規模で見れば、その資源の1/3をただ無駄にしていることになります。
このままのライフスタイルを続け、人口が増え続けたら、以前から言われてきたことですが、人間によって地球環境は破綻するでしょう。それを防ぐために、地球は自浄作用に傾く。とすれば、地球が危機感から、人間の活動をストップさせるために新型コロナウイルスというものを生じさせた、といった解釈も納得できます。
では、私達人間は、今の当たり前のライフスタイルの、何を、どこから、どのように変えて行けばよいのでしょうか。
このライフスタイルが始まったのは、フランス市民革命、産業革命以降でしょう。
つまり、西洋でルネサンスが起こり、科学万能主義に人間の文明が切り替わったところから始まっています。
6/2の令和哲学カフェでは、科学技術の終焉と、哲学の時代のはじまりについてディスカッションが展開されていました。
科学とは何か?哲学とは何か?それぞれの役割とは何なのか?
科学と哲学がそれぞれが、対称性で語られ、非常に深まるものがありました。
科学技術を追求し続けてきた人類の生活は、ものすごく便利になり、いろいろなものが、簡単に安い値段で手に入るようになっています。ですがその反面、心は孤独な人が増え、ウィルスによって家の中に閉じ込められ、さらに人間よりも賢いAIまで登場してしまって、多くの人は無用者階級に落ちると言われています。
さらに、貧富の格差も含めて二極化はどんどん進み・・・。そのように、今、人類は完全に、あるべき方向性と行き場を見失っています。
人間を幸せにするはずだった科学技術が、人間をここまで追いつめている。
便利さを追求し続けたら、いつのまにか、なんだかとても心が不自由な世界になってしまった。
西洋哲学は、これまで、科学技術の後塵を拝してきました。なぜならば、飛躍的に発展してきた科学(数学・物理学)を包含して説明、整理整頓できる「哲学」が生れていなかったから。
令和哲学は、最先端の数学、そして物理学も、一つの数式と、シンプルなイメージを使って説明しています。人間とは何なのか、人間の認識メカニズムは、どこから、どのように生まれているのか、そして、目の前の現実・現象は、どのように成り立っているのか、それらを、明確に語っています。
だからこそ、脳機能の限界を語りながら、その脳を中心に発展してきた今までの全ての学問は、中途半端であると言い切って、基準点を脳の外、白紙に戻したところから、新しい認識方式でスタートしましょう、と伝えています。
哲学の役割は、今までのすべてにノーをすること。
時代をけん引できる、新しい哲学は、すでに日本から生まれています。
今日も、読んで頂いて、ありがとうございました。