ゴジラが平和の伝道師だったということ。

子ども時代は、「ウルトラマン」のような、ただの怪獣映画だと思っていたので、そんなメッセージが込められていることはしらなかったけれど、

映画「シン・ゴジラ」を見たときは、ゴジラの生い立ちを知って、ラストシーンのゴジラの叫びが、恨みや怒り、絶望や悲しみ、といった全ての感情を含んだ、そして「目を覚ませ!」という、人間に対する強烈なメッセージじゃないかと感じたことを、

この記事を読んで思い出しました。


ソ連兵に撃たれた「ダムダム弾」の痛みは今も――宝田明85歳、戦争体験とゴジラに込めた平和への願い

2019.8.23 Yahoo!ニュースより引用


戦争を実際に体験した方たちの中に、生きているうちにそのことを伝えようと、発信してくださる方が増えていると感じます。

当時は、一人一人が壮絶な体験をして、でも戦後は、占領下での長い検閲の影響(※)もあり、事実やその時の様子を積極的に語ることは、長い間できなかったんじゃないでしょうか。

私の記憶でも、父母は戦争当時、4~6才といった幼少期だったので、「みんなお腹を空かせていて大変だった」といったことは聞いたことはありましたが、戦争を体験したときに大人だった祖父母からは、戦争について聞いたことは、ただの一度もありませんでした。


ハルビンの自宅で、両親といっしょにラジオの「玉音放送」を聞きました。父親と母親が、畳の上にへなへなとへたり込んだ姿をよく覚えています。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1421


こういったシーンは、数々のドラマでみたことがあります。

でも、当時の大人たちが、どんな気持ちだったのか、「畳の上にへたり込む」ほどのショックとは、どのようなものだったのかと、想像したときに

それは、まさに「アイデンティティが崩壊した」「一番大切にしてきたものを、ある日突然失った」「中心軸が崩壊した」、家に例えれば、大黒柱が、突然亡くなってしまった、

そのくらいの強烈な衝撃的な経験だったのではないかと思います。


ただ、そのショックを、多くの大人たちが、語ることを禁じられて、自分の胸の中に閉じ込め、耐える事しかできなかったとしたら、それが、どのくらい辛く苦しいことだったのかと思うと、想像を絶するものがあります。

祖父は、そして当時の一人一人の大人たちは、その押さえ込んだ感情の発露を、どこに見出していたのだろう?

そう思ったときに、明らかに、それが戦後の復興や経済成長の推進力になり、

でも、もう一方では、「一番近い身内にしか向けられない怒り」になったケースが多いんじゃなかろうか。

実際、寡黙で、男らしく、実直に仕事をする明治生まれの祖父は、食卓で祖母にだけは、よく大声で怒鳴っていました。

当時の私は、それが祖母の性格や言動が悪いせいだと決めつけ、勝手にそう思い込んでいましたが、家を継いでくれた娘夫婦(私の父は婿養子)や孫たちには気を遣って出せない怒りを、祖母にだけはストレートに向けることができたのかもしれません。

そして、その怒りや悲しみのエネルギーは、実は無意識に連綿と受け継がれている気がします。


令和に入り、その癒されないまま、一人一人がため込んでいる大きな痛み、引き継いできた痛みを、ようやく、オープンして癒しに向かうタイミングが来たように思います。

令和の幟は、その癒しのシンボルでもあります。


【8.25大阪リライズフェスティバル】

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大阪令和維新Re・riseフェスティバル
~明治維新を超える令和維新~
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https://t.livepocket.jp/e/46e_5


映画『東京裁判』が訴えていることとは?

渋谷の映画館で、今週まで上映されていると聞いて、慌てて観に行ってきました。

初めてみる「東京裁判」。

戦勝国に、敗戦国日本が裁かれる様子を撮影したドキュメンタリー映画として、あまりにも有名な、でもこの年齢になるまで一度も見たことがなかった映画です。

しかも長編。

なんと、270分。つまり、4時間半(汗)。

にもかかわらず満席。立ち見まで出るほどに。

令和の時代に入り、日本に本当は何が起こったのか、日本の本当の姿を知りたいという思いが、多くの人たちの中に、自然に湧き上がってきているのかもしれません。


そして、2時間以内の映画でも寝てしまう私が・・・

驚くことに、一睡もしませんでした。

http://www.tokyosaiban2019.com/

【映画 東京裁判 公式サイト】



見終わって感じたことは、あまりにも多くありすぎて、おそらく一回の記事では書ききれません。

日本が、一体、どのような経緯で「戦争犯罪国家」の烙印を押されたのか。

本来、どんな国も、その国にとっては正当な理由があって戦争を始めるはずです。

つまり、戦争を始めたことや、戦争を行った国自体が「犯罪だ」と法廷で判決が下されたことは、それまで、人間の歴史上、ただの一度もなかった。

にもかかわらず、「敗戦国」というその一点だけで、一方的に、戦勝国から犯罪国家として決めつけられた裁判。

それが東京裁判でした。



戦争で負けた痛みだけではなく、

大義をもって戦争を起こしたことや、国民が一つになって何年も耐えてがんばって守ろうとしたあらゆることが悪だったのだと、世界から烙印を押され

国全体のアイデンティティを全否定される、という

日本にとって、これは、そのくらいの

大きな大きな痛み、経験だったんだと感じました。


そして、その傷は、今も実は一人一人の中に残っているのだと思います。


印象的だったのは、終戦の数年前に、非暴力・不服従を唱えたインドのガンジーが日本について語った言葉です。

「もし正義のためだったとしても、日本が、暴力によってそれをなそうとするのは間違っている」

当時の世界情勢からみたときに、日本は、「武力」を使うしかなかったのだと思います。

でも、日本が使うべきは、武力ではないということを、先の大戦では、人間だけではなくて、宇宙自然や歴史文明が、判断したとも言えるんじゃないかと感じました。

世界を、平和と調和に導くために、次の大義は、暴力ではなく、心を使って成し遂げる。

そのために、あらゆる痛みに耐える覚悟で、負けを選択してくれた、先人たちの悔しさと、涙と、潔さと、勇気に報いたいと思いました。


フィクションや再現ドラマではなくて、すべては実際に起こったことを撮影した映像で全編が構成されているこの映画は、リアルだからこそ、多くのことを訴えかけてきます。


私は、東条英機と言う人が、極悪人だったのだと当たり前の様に思い込んでいましたが

なぜ、彼が、真っ先に批判の矢面に立たされることになったのか、その背景も、この映画によって初めて知りました。

先日読んだ、 東条英機氏の直系の曾孫にあたる方のインタビュー記事も、その後のご家族の苦労が明かされていて、とても印象的だったので、ご紹介したいと思います。


「世界を知るには、まず自分を知ることから」 一般社団法人 国際教養振興協会 東條 英利さん

https://note.mu/mamitsukazaki/n/n286a96bae147?magazine_key=m891c62a08b36

リライズニュース 美しい時代を創る人達より】


映画の冒頭に流れた、1945年8月15日の玉音放送を聞いて、私の隣に座っていた年配の女性は、泣いている様子でした。

当時の日本人にとって、初めて聞く天皇の声が、その、敗戦を告げる声だったそうです。

そんな状況で、日本中の人たちは、その日、何を感じたのでしょう。

戦争は、まだ終わっていない。

日本人の中に実は涙があふれていること、そして、あの時はあえて世界人類のために負けを選んだけれど、

後の日本人へと、託されたものがある。

令和になって、その思いや意志を、受け取る準備ができた人たちが加速度的に増えているように感じます。


この週末、8月25日には、大阪で令和の幟が立ちます。

日本が本当に成し遂げたかった夢を、次は武力ではなく、心を使う心のプロになって、みんなで成し遂げていこう、そんな思いがこもった幟です。

何か感じた方は、ぜひ一緒に、8.25大阪の令和の幟のもとに集いましょう。


【8.25大阪リライズフェスティバル】

https://t.livepocket.jp/e/46e_5